ジャイアントキリング発サッカーエンターテインメントマガジン GIANT KILLING extra

Jリーグ全力応援宣言!スタジアムに行こう!!

【ファミリー~Jリーガーと家族 ⑨】 サンフレッチェ広島 森﨑浩司選手(後編)

『GIANT KILLING extra』の新しいインタビューシリーズが始まりました。

Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。

9人目の登場は、サンフレッチェ広島・森﨑浩司選手です。前編はこちら

これまでに登場した選手たち

  • 【1人目】 川崎・小林悠選手(前編後編
  • 【2人目】 広島・森﨑和幸選手(前編後編
  • 【3人目】 浦和・柏木陽介選手(前編後編
  • 【4人目】 鹿島・土居聖真選手(前編後編
  • 【5人目】 湘南・菊池大介選手(前編後編
  • 【6人目】 柏・中川寛斗選手(前編後編
  • 【7人目】 川崎・谷口彰悟選手(前編後編
  • 【8人目】 鹿島・永木亮太選手(前編後編



カズがいたから僕はサッカーを続けられた

サンフレッチェ広島の森﨑もりさき浩司こうじは、中学生になると、双子の兄・和幸かずゆきとともに、進学した矢野中学校のサッカー部に入部した。ただ、思春期になり、双子として比較され、注目されることに羞恥心しゅうちしんを抱くようになっていた彼らは、距離を取るようになった。

「家に帰れば、今までのように仲も良いし、普通なんですよ。でも、学校では一緒にいるところを見られるのが嫌で、一緒にいることはほぼなかったですね」

小学生のときは一緒になって遊んでいたはずなのに、中学生になると登下校すら別々にするようになった。学校の廊下ですれ違っても、互いに意識するあまり、反応すらできなくなった。

「もう、外で会話するのは、サッカーのときだけですよね。学校でも会話しないし、友達も別々だし。何となくだけど、二人の間には暗黙の了解みたいなものがありました。今、思えば、なんでそんなことになったのか、僕にもさっぱり分からないですね」


中学3年生になり、先輩がいなくなると、その微妙な関係性は、二人にとっては聖域だったサッカーにも及ぶことになった。

「毎日ってわけじゃないですけど、僕が練習をサボるようになったんです。まあ、着替えて部活には出ているんですけど、砂場でサッカーボールの上に座って、何人かとぺちゃくちゃ話しているだけだったり(笑)。顧問の先生が毎日練習を見ているわけじゃなかったこともあって、いないときはサボってましたね」

そのとき兄の和幸は、キャプテンを任されていた。和幸は、後輩の見本にならなければいけない立場だということを自覚していたためか、浩司がサボっていてもそこに加わることはなかったという。

「あいつ、ホントに真面目だなぁって思って見てましたね。おそらくカズ(和幸)が顧問の先生と相談して練習メニューも決めていたと思うんですけど、手を抜かずにやる姿を見て、よくやるよなぁって思ってました。今もそうですけど、あいつは責任感や正義感が強いから、自分だけでもしっかりやらなきゃという思いがあったんでしょうね」

そうは言っても、同い年である。試合に負ければ、怒りの矛先は兄弟である浩司に向けられた。

「何でそんなミスするんだよ! ちゃんと練習やらないからだろ!」

浩司を中心に練習をサボっていたチームメイトに、和幸は吐き捨てるように文句を言った。日頃の行いを省みれば、他の同級生は反論できない。ただ、血のつながっている浩司は違った。

「うっせーよ、ボケ!」

ときには試合中に口喧嘩することもあった。

「実際、カズはうまいし、ちゃんと練習もやっているから、誰も言い返せない。でも、僕にはそんなこと関係ない。だから、平気で言い返してました。そのときの自分はカズの気持ちを理解してあげようとは思えなかった。今思えば、ただ単にいきがっていただけなんでしょうね」

そんな状態だったから、当然、プロのサッカー選手になりたいという思いも薄れていった。

「高校進学が近づいてきたときも、サッカー推薦で仲の良い先輩のいる高校に入れたらいいなってくらいしか考えてなかった。プレーすることは好きだったから、その後は趣味で続けられたらなぁって思っていたくらいで。サンフレッチェのユースに入ったのも、友人に誘われてカズと一緒に練習参加したら、セレクションを受けずに加入できることになって。だから、僕の意思というよりも、このときも暗黙の了解じゃないですけど、どうせやるならカズと一緒のところがいいといった感じで、サンフレッチェユースに入ったんです」

気を遣わない間柄であっても、取材となれば口調を変える和幸に対し、浩司はいつもフランクに答える。そんな彼が一瞬、真顔になると、こう言った。

「だから、僕はカズがいなかったら、たぶんサッカーをやめていたと思うんですよね。中学生のときは、お互いに難しい時期でしたけど、カズがいてくれたから、僕はサッカーを続けられたんだと思います」

そして、思春期を過ぎた浩司にとって、いつしか和幸は最も身近なライバルとなった。

「悔しかったですね」

現役引退を決めた今だから、きっと素直に話せるのだろう。

「カズが高校3年生でJリーグデビューした1999年11月20日のガンバ大阪戦は、僕もベンチにいたんです。そのときは、プロの中で普通にプレーしているカズを見て、ただただ、すごいなって思ったんですけど、その後もあいつは評価されて、元日に行われた天皇杯決勝のピッチに、高校3年生で立った。国立競技場で行われたその試合を、僕はスタンドで見ていたんですけど、めっちゃ悔しかったんですよね。なんであいつが試合に出られて、自分は出られないんだって」

2000年にトップチームへと昇格したが、和幸に比べると浩司は出場機会に恵まれなかった。悶々もんもんした日々が続いていた中、当時指揮していたエディ・トムソン監督の発言を知り、血気盛んだった浩司はいきどおりを覚えた。

「トムソン監督が僕とカズの違いについてコメントした記事を読んだんです。カズは練習でできていることが試合でも出せるけど、僕はプレッシャーが掛かると出せなくなると書いてあった。でも今思えば、そのときの僕は全然、メンタルの重要性を理解していなかったんですよね」

浩司がそれを痛感させられたのが、自身が初先発した試合だった。2000年7月22日に行われたアビスパ福岡戦で二人はそろって先発したが、浩司は前半が終わると交代を命じられた。

「試合当日、急に先発で出ることを告げられて、そのときから心臓がばくばくで。めちゃめちゃ緊張したんですよ。試合中も全然、身体が動かなくて、もうプレーしているのが怖くて仕方がなかった。正直、交代させてくれって思いましたもん。そのとき、平然とプレーしているカズを見て、改めてこいつすごいんだなって思った」

それからはカズの背中に追いつこう、追い越そうと切磋琢磨してきた。

「(2004年に)アテネ五輪のメンバーに僕が選ばれて、カズが落ちたときも、追い越せたという感覚はなかったし、できれば一緒に行きたかった。だから、あのとき僕が感じたのは、自分は左利きで良かったなという思いだけでした。そのあとも、ずっとカズに追いつきたいという思いだけでやってきましたけど、結局、一度もあいつには追いつけなかったと思っています。試合数もそう。僕はJ1で260試合ですけど、あいつは418試合も出ている。気がつけば150試合以上も差が付いているんですから。僕が抜けたのは得点数だけですからね(笑)」。


光と影だったから、互いに補うことで僕らはやってきた

子どものころから比較され続けてきただけに、過剰なまでにその存在を意識したこともあった。そんな二人が、互いを認められるようになったのは、共に体調不良に陥り、長期間、試合だけでなく練習自体も休まざるを得なくなってからだ。

「僕がオーバートレーニング症候群、カズが慢性疲労症候群になって、お互いに練習を休むようになったあたりから距離がぐっと縮まった。症状が共通しているところも多く、打ち明けたときは、初めて共感してくれる人が見つかったという感覚でした。それからは、何でも相談できる相手になって、お互いに助けられたところはあると思う」

細かくは触れないが、不眠、食欲不振、倦怠感けんたいかん目眩めまい——2004年頃から見られはじめたその兆候は、キャリアを重ねていく中で二人をむしばんでいった。浩司は2009年シーズンを最初に、その後もたびたびその症状に苦しんだ。

一方の和幸も2006年、2009年、2010年と3度、同症状でチームを離脱した。

「カズには、『悪い状態のときも受け入れて、良いときも悪いときも常にフラットでいろ』って言われたけど、元気になっていた僕は、もう二度と落ちることがないと思っていたから、それを受け入れられずに繰り返してしまった。やっぱり、あいつは賢いから、僕よりも先に自分自身とのうまい付き合い方を見つけて、自分の精神面をコントロールできるようになった。結果、ポイチさん(森保もりやすはじめ)が監督になった2012年以降、あいつは一度も離脱していないですからね。やっぱり、すごいですよね」

双子だから、そして同じ症状に苦しんできたからこそ、浩司には、和幸がプレーを続けているすごさが分かる。


光と影——どちらかが活躍すれば、どちらかが離脱する。17年に及ぶキャリアを振り返れば、そんな日々を二人は送ってきた。

「本当に不思議ですよね。まるでシーソーみたいですもんね。カズともそのことについて話したことがあるんです。でも、今思い返すと、光と影だったから良かったと思うんです。お互いに足りないところを補って、僕らはやってきた。

それに……きっと僕は、カズがいなければ、同じチームでプレーしていなければ、もっと前に現役を引退していたと思うんですよね」

不思議なのは、久しぶりに二人が揃って活躍した2012年に、広島が初のJ1優勝を成し遂げたことだ。

「あの年だけですからね。二人揃って活躍できたのは。だから初優勝した瞬間を、二人揃ってピッチで味わえたのは、僕にとって最高の思い出です。今までやってきたことが間違いじゃなかったんだなって思えましたから。今振り返っても、幸せなキャリアでした」

10月29日、エディオンスタジアム広島にて浩司が話したスピーチに込められていた兄への思いには、こんな物語があった。その瞬間、二人が同時に流した涙の理由が、僕にも少しだけ分かった気がした。

浩司はひと足先に、第二の人生を踏み出す。ときには反発もしたし、競争もしたかもしれないが、年齢を、キャリアを重ねることで、お互いを認めることもできた。きっと、その作業はこれからも続いていく。どうしても僕には、奇妙なシンクロを見せるこの二人が、また揃ってピッチに戻ってくるのではないかと思えてならないのだ。

そのときは、きっとお互いの文句を電話してくるのだろう。そう思うと、僕はまたニヤリとした。 (了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

森﨑浩司(もりさき・こうじ)

1981年5月9日、広島県生まれ。MF。サンフレッチェ広島のユースで育ち、双子の兄・和幸と共に広島一筋でプレー。2004年にはU-23日本代表としてアテネ五輪に出場。2012年をはじめ3度のJ1優勝に貢献し、今シーズンをもって17年間に及ぶ現役生活から引退することを決意した。



《ファミリー》10人目の登場は、
浦和レッズ・梅崎司選手です。