『GIANT KILLING extra』の新しいインタビューシリーズが始まりました。
Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。
川崎・小林悠選手(前編 /後編)、広島・森﨑和幸選手(前編/後編)に続く三人目の登場は、浦和レッズ・柏木陽介選手です。
Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。
川崎・小林悠選手(前編 /後編)、広島・森﨑和幸選手(前編/後編)に続く三人目の登場は、浦和レッズ・柏木陽介選手です。
お涙頂戴の話を期待していたこちらの意に反して、あまりにも柏木陽介はあっけらかんと言うものだから少々拍子抜けした。
「みんながオカンの話を聞くから答えているだけで、特にマザコンって感じではないですよ。普通です、普通。それに中学を卒業して寮生活を始めたから、親離れも早かったんですよね」
浦和レッズの柏木が母子家庭で育ったことは、すでによく知られているところだ。本人も事あるごとに聞かれているのを認めつつ、苦労話をしてくれた。
「うちのオカンは二度も離婚していますし、家族の話をすると、もうドロドロですよ(笑)」
すべては生きるために必要なこと
ときに笑いを交えながら話す姿は、サービス精神旺盛な関西人そのものである。「サンフレッチェ広島ユースで寮生活を送っていたときは、みんなは夜食だったり、ジュースを買ったりしていたけど、自分は寮のお弁当とお茶や水で我慢していました。スパイクにしても、中学時代から穴が開いたらテーピングを巻いて工夫して履いていたんで、ユースでもそれは抵抗なかったですね」
3人兄妹の次男として兵庫県神戸市に生まれた柏木は、両親の離婚を機に小学校4年生で同県の揖保郡御津町(現・たつの市)へと移り住んだ。
「転校は怖かったですね。明るく見えて実はオレ、人見知りなんですよ。引っ越せば、初めて会う人ばかりだし……。それに神戸市内と比べれば、御津町はすごい田舎だなって思いましたよね。もう、のどかなんてもんじゃない。オレが町を出てからやっとコンビニが一軒できたくらいで、駅もなかったですからね。まあ、山も海もあって、綺麗なところですけどね」
自然溢れるその場所で、柏木は、今も恩師と慕う御津スポーツ少年団の指導者・出口幸治と出会う。そして、その出口の薦めで、他にもあった選択肢の中から柏木は広島ユースへと進んだ。
広島では15歳にして初めて経験する寮生活だったが、「家に帰りたいとか、ホームシックになることはなかったですね」と笑った。
「ちょうど広島のユースに行くことが決まった頃に、再婚していた母親がまた離婚したんですよ。だから家にお金がないってことは分かっていたんですよね。たぶん、オレの寮費も馬鹿にならなかったはずなんです。だから、ユースでレギュラーになると寮費が安くなるルールがあったので、まずは早くレギュラーになろうって頑張った。(育成年代の)日本代表に選ばれれば、スパイクだってもらえる。だから、代表に選ばれる選手になろうって思いましたよね」
先輩や同級生の部屋にはカラフルなラックや家具が置かれていたが、柏木の部屋だけは殺風景だった。サッカーに没頭しているとはいえ、年頃の青年だっただけに、多少は遊びたかっただろうし、オシャレもしたかったことだろう。でも、「ゲームもやらなかったし、なるべく洋服は安くすまそうと古着を買っていました」と、当時の境遇を明かしてくれた。
「オカンに弱音を吐いたことはないと思いますよ。特にサッカーのことをいちいち言われるのは嫌だったから、たぶん言わなかったと思いますね。実際はオカンに聞かないと分からないですけどね。もしかしたら、オレが強がっていて、そう思っているだけかもしれないですし(笑)」
少々ぶっきらぼうに聞こえるのは、人見知りゆえのこちらへの照れ隠しにも思える。
「オレが広島に行っているとき、オカンが昼も夜も働いていたことは知っています。だから、あんまり寝てなかったんじゃないかなって思いますね。お金がかかるのはオレだけじゃないですから。兄もいれば妹もいましたしね。女性が一人で、それも田舎で、3人を養っていくのは並大抵の覚悟じゃできなかったはず。それは自分がプロで稼ぐようになってから分かったことですけどね。どんな苦労をして、お金を工面してくれていたのかは分からないですけど、生きるために必要なことを、すべては子どもたちのことを思ってしてくれていたのは感じていました。 だから、ずっと子どもたちのために働いてきた分、今は自分のために自由にしてくださいって感じです(笑)」
心には言葉にできないほどの感謝があり、返しきれないほどの恩がある。だからこそ、簡単にはそれを口に出せないのだろう。次第に饒舌になっていく柏木は、うれしそうに母・清美さんの作ってくれた手料理に思いを馳せた。 (前編了)
取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹
写真=佐野美樹
柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日、兵庫県生まれ。MF。サンフレッチェ広島ユースから2006年にトップチームへ昇格すると、当時広島を率いていたペトロヴィッチ監督の指導もあり主力へと成長。10年に浦和レッズ移籍後は、司令塔として活躍。今季より背番号10を付け、タイトル奪還に挑む。日本代表10試合出場。後編へ続く