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【ファミリー~Jリーガーと家族 ⑤】 湘南ベルマーレ 菊池大介選手(後編)

『GIANT KILLING extra』の新しいインタビューシリーズが始まりました。

Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。

5人目の登場は、湘南ベルマーレ・菊池大介選手です。前編はこちら

これまでに登場した選手たち

  • 【1人目】 川崎・小林悠選手(前編後編
  • 【2人目】 広島・森﨑和幸選手(前編後編
  • 【3人目】 浦和・柏木陽介選手(前編後編
  • 【4人目】 鹿島・土居聖真選手(前編後編



中学卒業と同時に湘南ベルマーレのユースに加入するまで、菊池きくち大介だいすけは大きな挫折ざせつを知らなかった。小学6年生のときには全国大会に出場し、中学時代には早くも育成年代の日本代表候補に選ばれるなど、順調にプロへの階段を駆け上ってきた。

「小学校5~6年生のときは自分が一番だって勝手に思ってやっていたので、サッカーをするのがきついとか、苦しいというのは全くなかったですね。中学生のときはクラブチームだったんですけど、最初の練習で中3の先輩と一対一をしたら余裕で勝っちゃって、気持ちいいなって。先輩たちは強かったですし、身体も大きかったですけど、特に挫折という挫折は経験していないんですよね」

だから、両親は常に厳しい言葉を菊池に投げかけたのだろう。

そして、その一つひとつが彼の反骨心をき立て、さらなる高みへと導いていったことは間違いない。ただ、プロ8年目になった今もそれが変わらないというから驚きだ。「たぶん、酔って送ってきていると思うんです」と前置きしつつ、父・英之ひでゆきさんとのやり取りを明かした。

「試合が終わってロッカールームに戻ってきたとき、たまに携帯電話を見るんですけど、父さんからLINEが来てるんですよね。オレはもう『またかよ』って感じなんですけど、見ると『サッカーやめていいよ』とか『何のためにサッカーやっているんだ』って書いてある。絵文字とかも何もなく、ホント、ひと言、それだけ。当然、その文章を送ってくるのは、勝った試合の後じゃなくて、負けた試合の後だから、自分自身もショックを受けているのに、さらに追い打ちを掛けるようなダメージを与えてくるんです(笑)。だいたい母さんは試合を見に来てくれているから、一人でお酒を飲みながらテレビで見ているんでしょうね。止めてくれる母さんもいないから、自分の思うままに送ってくるんです。酔っているって分かっているから、だいたい返信はしないですけどね」

明るい口調で話すから、こちらも思わず爆笑してしまう。その厳しさは肉親だからこそ掛けることのできる言葉だとフォローしたが、菊池の自虐的なトークは止まらない。

「サッカーでめられた記憶って、ホント、ないんですよ(笑)。母さんは毎試合、感想を送ってきます。今シーズンは『もう、やるしかないよ』とか『あんたがチームを引っ張らなきゃいけないんじゃないの!』って」

父・英之さんが酔って少々乱暴なLINEを送ってくるからといって、母・香織かおりさんが毎試合手厳しい感想を寄こしてくるからといって、そこに愛情を感じていないわけではない。今日一番の笑みを浮かべながら菊池が話してくれた。

「でも、なんだかんだ言いつつ、SNSのトップ画像がオレになっていたり、オレのことを大好きでいてくれてるんだろうなっていうのは伝わってくる。それにオレにはあんまり言わないけど、周りには自慢してくれているんですよ、オレのこと。母さんは、ホームゲームはほぼ全試合見に来てくれますし、アウェイも近ければだいたい見に来る。父さんも仕事がなければ来てくれる。毎回、長野から車を運転して。すごいですよね。オレのことが好きじゃなかったら、そこまで頻繁には試合を見に来ないはずですから」


ここからは一人でがんばるんだよ。両親の涙に決意した

菊池が両親からの愛情を実感するのは、試合を見に来てくれるときだけではない。少し照れくさそうに、湘南に加入することになった15歳の自分に思いをは馳せた。

「中学3年生になって、いくつかJリーグのクラブから声を掛けてもらったんです。声を掛けてくれたチームの練習にはすべて参加して、その中からベルマーレに決めました。小学校のときに通っていたSC鳥取(現・ガイナーレ鳥取)のスクールでお世話になった塚野つかの真樹まさきさん(現・ガイナーレ鳥取代表取締役社長)がベルマーレユースのコーチを務めていたというのも大きかったですし、そこはきっと両親も同じ思いだったはずです。他にも当時ユースの監督だった曺さん(チョウ貴裁キジェ/現・湘南ベルマーレ監督)が長野の実家まで話をしに来てくれたことも大きかったですね」

ただ、ベルマーレには寮がなく、菊池は加入するに当たって一人暮らしをすることになった。

「すぐそこに住んでたんですよ」

取材を受けるクラブハウスの一室で、菊池は背後を指さした。 そして、当時の情景を思い出すかのように、記憶を9年前の春へとタイムスリップさせた。

両親と一緒に車に揺られ、佐久から平塚へと出てきた。家族で荷ほどきを終えると、両親は「じゃあ、そろそろ行くからね」と、重い腰を上げた。

「ここからは一人で、がんばるんだよ」

両親の顔をのぞくと、二人とも涙を流していた。扉が閉まり、両親は帰っていく。まだ、生活感のない部屋に残された菊池は「これから新しい生活がはじまるな」と決意しながら、彼もまた一人で涙を流した。

「親は二人とも涙もろいんですよね。結構、すぐに泣くんです。それにオレもつられちゃうのかもしれない。遺伝だな、これ(笑)。でも、平塚に引っ越したとき、オレは両親の前では泣かなかったですね。両親が帰ってから、一人で泣きました。弟もいるから、きっと両親はさみしくないだろうと思って気持ちよく出てきたんですけど、別れた直後は、やっぱり、さみしかったですね。普段はいろいろとワーワー言われますけど、そういうときに愛されているんだなって思う。それでバランスが取れているのかもしれない」

高校1年生にして新天地での一人暮らしをスタートさせた菊池だが、家事はそれほど苦ではなかったという。

「食事はクラブが契約してくれたお店に行けば、朝も夜も名前を書くだけで食べることができました。それに最初の頃は親も心配で、ちょくちょく様子を見に来てくれたんです。そのとき、カレーとか、温めたらすぐに食べられるようなものを毎回作ってくれて。それにオレも長野が好きだったから、オフの日にはよく帰っていたんです。その理由のひとつには、母さんの手料理が食べたいというのもあったかもしれない。母さんのメシ、めちゃめちゃうまいんですよ。何でもうまいんですけど、特に手の込んだ鍋が好きですね」


育ててくれた平塚の町に恩返ししたい

ただ、サッカーでは初めてとも言えるくらいの壁にぶち当たった。

「高校1年生の夏前くらいからトップとユースを行き来するようになった。トップの選手たちはやっぱり身体からだも大きくて強いから、ちょっと練習に行くのが怖いなって思った時期もありましたね。鳥取や長野でプレーしていたサッカーとのギャップがものすごくあって最初は特に苦しんだんです。常に自分が一番で、ずっと自由にやってきて、何でもありなのが急にそうじゃなくなった。トップの練習に参加しているとはいえ、ユースでは曺さんに叩きのめされて、先輩たちにも独りよがりなプレーが多いって怒られてました」

両親に弱音は吐かなかったのかと尋ねると、首を横に振る。

「苦しかったですよ。普通ならば、練習が終わって家に帰れば、親がいて、食事を作ってくれて、それを食べれば元気が出るし、話し相手にもなってくれる。でも、自分は家に帰っても一人だから、『うぁー』ってなることもあった。でも、親に弱音を吐くのは恥ずかしかった。苦しいよりも恥ずかしいほうが勝っていたんでしょうね」

菊池にとって救いだったのは、平塚の町にも本気で怒ってくれる人がいたことだ。当時のユースの監督で、現在トップチームの指揮官を務める曺貴裁である。

「昔、流行はやったSNSで、自分だってばれないだろうって思って『今から学校行くのだるいな』って書き込んだのが、曺さんにばれちゃって。クラブハウスに呼び出されて、曺さんには『オレとお前の二人だと、オレは抑えられなくなるかもしれない』って言われて、女性スタッフも同席した上で、めちゃめちゃ怒られたんです。曺さんの前で大泣きして、すごく反省しました。当時、少しツンツンしていた時期で、学校だるいな、行く意味あるのかなって思ってたんですよね。曺さんには、サッカーのことでも怒られましたけど、ユースのときは学校や私生活で怒られたことのほうが多かったかもしれない。もう10年近い付き合いですからね。もしかしたら、親よりいる時間は長いかもしれない。曺さんがいてくれて良かったですよね、オレ」

佐久から平塚に出てきた菊池も25歳になった。平塚で暮らして10年になろうかとしている。

「今ではどの町よりも長くここに住んでいることになる。ここが自分にとってのホームタウン。昔はちんちくりんだったのに、髪を染めたりだとか、ずっと町の人に見られてきているので、恥ずかしさもありますね。今まで、お世話になった人は本当に数え切れない。ユースのときに食事をさせてくれたお店の人、今は別のチームで働いているスタッフの人もそう。高校も協力してくれたし、挙げればきりがない。ベルマーレと湘南そのものが、オレにとってのファミリーかもしれないですね」

だからこそ、この町に恩返しがしたい。

「すごく責任も感じています。今、思うのは、自分がここでプレーしていることによって、サッカーをやっている子どもたちがベルマーレに入りたいと思ってくれること。それが一番の幸せだし、自分に求められていることであり、やるべきことなのかなって思っています」

サポーターは育成組織で育った生え抜き選手のことを、愛情を込めて「うちの子」と呼ぶ。両親に怒られ反骨心を磨き、曺監督をはじめとする平塚の町に育てられた「うちの子」は、今、背番号10のエースナンバーを立派に背負い、その責任と使命を全うしようともがいている。すべてのファミリーのために。 (了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

菊池大介(きくち・だいすけ)

1991年4月12日、神奈川県生まれ。MF。父親の転勤で小学生時代を鳥取県米子市で、中学生時代を長野県佐久市で過ごし、高校入学と同時に湘南ベルマーレユースに加入。J2最年少出場記録となる16歳2ヵ月25日で公式戦のピッチに立つ。2010年にはザスパ草津に期限付き移籍したが、翌年、湘南ベルマーレに復帰。2012年からは背番号10をつけ、中心選手として活躍している。



《ファミリー》6人目の登場は、
柏レイソル・中川寛斗選手です。