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【ファミリー~Jリーガーと家族 ⑧】 鹿島アントラーズ 永木亮太選手(後編)

『GIANT KILLING extra』の新しいインタビューシリーズが始まりました。

Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。

8人目の登場は、鹿島アントラーズ・永木亮太選手です。前編はこちら

これまでに登場した選手たち

  • 【1人目】 川崎・小林悠選手(前編後編
  • 【2人目】 広島・森﨑和幸選手(前編後編
  • 【3人目】 浦和・柏木陽介選手(前編後編
  • 【4人目】 鹿島・土居聖真選手(前編後編
  • 【5人目】 湘南・菊池大介選手(前編後編
  • 【6人目】 柏・中川寛斗選手(前編後編
  • 【7人目】 川崎・谷口彰悟選手(前編後編



母親に言われて受けたセレクションに、合格した永木ながき亮太りょうたは、小学校4年生になるとヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)ジュニアに通うようになる。地元のFC奈良をやめて、よりレベルの高い環境に身を投じ、さぞかし希望に満ちあふれていたことだろうと思いきや、永木は悶々もんもんとした日々を送っていた。

「練習のある日は、朝、学校に行くときから憂鬱ゆううつで。午後になって、サッカーの練習に行く時間が近づいてくると、今日はどうやって練習を休もうかを考えていましたね」



練習をずる休み体温計を温めて風邪を引いたとうそをついた

別にサッカーが嫌いになったわけではなかった。小学校の文集には、「将来の夢はサッカー選手」とつづるほど、それは純粋な思いだった。ただ、彼にはそこでの練習が、どうしても肌に合わなかった。

「何となく面白くなかったんですよね。楽しくなかったんです。周りの子も、ちょっと自分とはノリというか、雰囲気が違う気がして……」

想像するに、人見知りだった性格も災いしたのかもしれない。ただただ、永木は、その環境に馴染なじめなかったのだ。

「最初は我慢して通っていたんですけど、だんだん練習に行きたくなくなって、ずる休みをするようになりました。親には噓をつきたくなかったのですが、体温計をずっと脇に挟んで温めて37℃になるのを待つと、それを見せて『風邪ひいたみたい』って言ってました」

必死に体温計をこする永木少年の姿を想像すると、失礼ながら、かわいくて笑えてくる。ただ、当時の彼にはいたって深刻だった。


「他にも学校の催し物が近くなって、それをみんなで練習しなきゃいけないときには、自分から率先して『今日の放課後、残って練習やろうよ』って言っていましたね。それもサッカーの練習のある日にわざわざ。別にその日じゃなくても良かったのに。学校の行事のために、サッカーの練習に行けないとなれば、さすがに親にも許してもらえるかなって」

よっぽど、嫌だったのだろう。話し出すと止まらなくなったのか、次から次へと記憶の扉が開いた。

「あっ、今、思い出したんですけど、ずっとそのことが頭にあって、僕だけが悩みを抱えているんじゃないかと思って、学校の友達に『悩みごとある?』って聞いて回っていたこともありました。そうしたら、あっさり、『ないよ』って言われて……当たり前ですよね(笑)。今、考えれば誰かと悩みを共感したかったんでしょうね」

それは挫折ざせつではなく、まさに苦悩だった。なかなか両親にも真実を伝えられなかったのは、親への気遣いがあったからだ。

「幼いながらも母親が作ってくれた道だということを分かっていたからかもしれないですね」

ずっと我慢していたし、ずっと耐えていたのだろう。ただ、遂に堪えきれなくなると、母親に思いの丈をぶつけた。

「打ち明けたときには、『そうだったんだ』って言って、母親は泣いてました。僕もつられて泣いてしまって。『うん。分かったよ。だったら、また、FC奈良に戻ってサッカーしようね』って言ってくれた覚えがあります」

Vヴェルディ川崎ジュニアには、小学校4年生で加入し、5年生まで続けていたというから、我慢していた時期は、それなりに長かった。そこには、彼の心の優しさが垣間かいま見える。



知らない人の中に飛び込んでサッカーするのが苦手だった

ただ、彼の母親が、これにりたかと言えば、決してそうではなかった。中学生になった永木は、川崎フロンターレの育成組織でプレーするようになるのだが、またしても、そのきっかけを作ったのは、母親だった。

「これも母親ですね」

そう言って永木は微笑む。

「自分は進学する奈良中学校のサッカー部に入ろうと思っていたんです。FC奈良のチームメイトに聞いても、みんな、そうするって言うし、他のチームでプレーするという発想すら、自分にはなかったんですよね」

ところが、彼の母親は、永木にこう言った。

「せっかく、ここまでやってきたんだからもったいないでしょ」

そして、勝手に幾つかのクラブチームのセレクションに申し込むと、永木はその中のひとつだった川崎Fフロンターレに合格した。

「全部、母親ですね」

もはや観念したかのように、永木は笑った。

小学校時代に苦い出来事があれば、息子を新たな環境に飛び込ませることを躊躇ちゅうちょするのが普通だ。ましてや永木は一人っ子であり、溺愛できあいしていれば、なおさら守りたくなるはずだった。だが……彼の母親が取った行動は逆だったのだ。

それは一人息子の才能を、より引き出そうとしての判断だったのかもしれない。ただ、話を聞いていると、「昔から、知らない人の中に飛び込んでサッカーをするのが苦手でした」と話す、彼の性格を思っての行動だったように感じられてならない。


川崎Fの育成組織からトップチームに昇格することはできなかったが、それでも夢を諦めなかった永木は、大学でもサッカーを続けた。そして、卒業が迫り、思い続けてきた夢がかないそうになったときにも、母親に相談すると、こう言われていた。

「複数のチームからオファーが来て、悩んでいるということを話したら、『自分が行きたいと思うチームにしなさい。自分で全部、決めなさい』って言ってくれましたね」

だから永木は、素直に自分の気持ちに従うことができた。湘南ベルマーレでプロへの一歩を踏み出したのは、「チームの雰囲気が好きだった」のと、川崎Fの育成組織で指導を受けた「チョウ貴裁キジェ)さんの存在が大きかった」からだと言う。

「いつも何か大切なことを相談するのは母親が多かったですね」

振り返れば、いつも母親が導いてくれた。そして、その感謝を言葉にする素直さも、彼は持ち合わせている。

「プロになり、自分でお金を稼ぐようになってからは、プレゼントをあげることもできました。あとは、リーグ戦100試合出場を達成したとき、次の試合で、花束を持って来てもらう役目を母親に頼んだんですけど、ものすごく喜んでくれましたね」

母親に親孝行しているのかと、聞けば、また、次から次へと記憶の扉が開く。

「それと、J2で優勝したときも、見に来てくれたので、家族でシャーレを持っている写真を撮ってもらったんですよね。うん……あれは、いい写真でしたね。その写真は、今も実家のリビングに飾ってあります」

彼の口からは、自然と母親の話ばかりが出てくるものだから、フッと話題を変えて、父親のことを聞いてみた。すると、「実は父親のほうが人見知りなんです」と言って、また笑った。

聞けば、永木の父親は、野球に柔道や弓道をやっていたという。さらに鹿児島から上京してきてからは、プロボクサーを目指してジムにも通っていたというから驚きだ。

「父親は、サッカー経験こそなかったんですけど、うまかったですよ。僕がサッカーをはじめてから、父親もサッカーにはまったみたいで、FC奈良ではコーチもやってくれていました」

目の前に座る彼の優しそうな表情は母親譲りで、少し人見知りのところは父親譲りなのかと思うと、急に微笑ほほえましくなった。そして、ピッチで見せる“激しさ”もまた、父親の譲りなのだろうと納得した。

「だから、父親はサッカーのことについて、いろいろと言ってくるんですよね。今もたまに言われます(笑)。しかも、自分がミスしたこととか、一番、気にしているところを、蒸し返してくるんですよね。それも親戚とか、みんながいるところで言うから、たまにイラッとします(笑)」

「それに……」と言って永木は続けた。

「父親とも話すには話すんですけど、お互いそんなに会話が弾むタイプではないんです。男同士ということもあるとは思うんですけど、やっぱり、どうしても母親のほうが話しやすいというのがありますよね」

取材をはじめてから1時間半が経過し、最初のぎこちなさはなくなっていた。正直、インタビュアーとしては失格かもしれないが、気がつけば、彼に自分のことを話していた。それを永木は嫌な顔ひとつせず聞き、その都度、優しくうなずいてくれた。

取材を終え、鹿島のクラブハウスから東京駅に向かうバスの中では、反省しつつ、ずっと考えていた。人見知りと言いながら、その話しやすさや、フワッとしたところが、彼の魅力なのだろうと……。

そして最後に永木と交わした会話を思い出していた。僕は今の永木と同じ年齢のころに父親を亡くし、全く親孝行できなかったという話をしていたのだ。

「大人になったら父親と二人で飲みに行きたいと思っていたんだけど、結局、実現できなかったんだよね」

すると永木は、また優しい口調で、こう答えてくれた。

「僕も父親と二人で飲みに行ったことってないんですよね。ずっと、行きたいなって思っているんですけど、なかなか言う機会がなくて……」

そこには男同士だからこその照れもある。だが、大切な人の存在が身に染みて分かる彼だからこそ、実現させてほしい。

次に取材をする機会があれば、必ず彼にそのことを聞こうと思いながら、僕はバスを降りた。 (了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

永木亮太(ながき・りょうた)

1988年、神奈川県生まれ。MF。中央大学を経て、2010年に湘南ベルマーレへ加入。プロ2年目に主力へと台頭すると、2013年からは主将を務め、2014年のJ2優勝、2015年のJ1残留に貢献した。今季より鹿島アントラーズに移籍。豊富な運動量と激しいプレーで存在感を示している。



《ファミリー》9人目の登場は、
サンフレッチェ広島・森﨑浩司選手です。