「本格推理漫画」という新たなジャンルを切り開き、今なおトップランナーであり続ける「金田一少年の事件簿」シリーズ30周年を記念して、超激レアな対談が実現! 「金田一耕助」の名前の元となった言語学者・金田一京助先生の曾孫にして、辞書編纂の第一人者・金田一春彦先生の孫。さらには言語学者の金田一秀穂先生の息子で、自身は劇団の主宰者であり俳優であり、TVのクイズ番組でも活躍する金田一央紀さんが、はじめとの「金田一対談」にノリノリで応じてくれました!
(文・構成:奥津圭介 写真:大坪尚人)
※この記事はイブニング2022年21号に掲載されたインタビューのフルバージョンです。
偉大な先祖を持つ
ダメな二人が意気投合!?
はじめ: 初めまして! ……いやぁ、ジッチャンの名前の元になった方(金田一京助)の曾孫さんとの対談。なんか変な気分ですね。
央紀: 僕の方は『金田一少年の事件簿』の連載初期のころから読んでいましたからね。『金田一37歳の事件簿』が始まったころに、僕もちょうど37歳。「うわ、俺じゃん。年齢も追いついちゃったよ」とか思って、ちょっと興奮しましたよ(笑)。
はじめ: 本当ですか? 俺なんか「偉大なるジッチャンの孫」なのに、小さなPR会社であくせく働いてますよ。幻滅しませんでした?
央紀: いや、ちゃんと働いていて、すごいなって(笑)。僕なんか、演劇にハマってほとんど働くこともなく、30代半ばでしたからね。当時は京都で演劇を作りながら、東京の演劇専門学校で講師をしていました。そのまま、誘われてその学校の教職員になって1~2年経ったころに『37歳』の連載が始まったんですよ。
はじめ: なんだ、ちゃんと働いてるじゃないですか(笑)。
央紀: いや、連載が始まった直後に、辞めちゃいました。もともと学生たちに演技を教えたくて講師として働いていたのに、教職員になったら講師を管理する側に回ることになったんです。イベントの会場設営とか、お弁当の手配とか……。事務仕事ばかりになって、収入は安定したけど仕事がつまらなくなっちゃったんですよ。当時の僕は黒スーツに黒いネクタイという山岡士郎*1みたいな恰好で、本当に山岡士郎みたいに世を拗ねた雰囲気だったと思います(笑)。で、結局は「俺に演劇をやらせろ~!!」って、辞めちゃった。
はじめ: あらら。央紀さんも「偉大なる先祖を持つ人」なのに社会不適合者というか、俺と同じでけっこう”ダメ”なんですね(笑)。
央紀: 7年ほど前に出演した『有吉反省会』でも、まっすぐ『クズ』のレッテルを貼られたしね(笑)。やっぱりちゃんと働いているはじめ君は、すごいですよ。ところで、どうして中小のPR会社に就職したの?
はじめ: ん~、その辺は俺にもなんとも……。でも、PR会社なんかに就職しなければ、これほどいろいろな場所に出張することもなく、そうなると出張先で事件に出くわすこともなかったのかな、とは思っちゃいますね。
央紀: そうだよね。でもはじめ君が一番働いちゃいけない職場は、旅行会社じゃないかな。ツアーの添乗員とかしたら、必ず誰かが犠牲になりそう……(笑)。
はじめ: やめてください!(笑)
央紀: 作品の中で幸村警視がはじめ君のことを「どんな殺人事件の現場にも必ず絡んでいる。金田一はシリアルキラーに違いない」と疑っていたよね。はじめ君も読者も「バカなこと言ってる」みたいに流していたけど、普通に考えたら疑われても仕方がないレベルだと思うよ(笑)。
はじめ: なんとも因果なDNAみたいで……(笑)。
”日本一の探偵”の名前が
「金田一耕助」になった理由とは
央紀: 『金田一少年の事件簿』が始まったころは、小学校5~6年生だったかなぁ。突然、友だちからいきなり「金ちゃん、探偵やってるじゃん!」とか言われて。もちろん小学校に漫画を持ってきちゃいけなかったんだけど、悪ガキ仲間がロッカーに単行本を隠していたので、読ませてもらったんだよね。そしたら「うわ、超面白れぇ~」ってなって。
はじめ: おお、ありがとうございます! そうか、連載開始当時は小学生でしたか。そりゃ30周年なんだから、そうなりますよね(笑)。
央紀: 今思い出すと、小学生には結構こわい描写も多かったですけれどね。吹雪の中に雪夜叉*2が立ってるような描写とか、放課後の魔術師*3のワケわかんない東南アジア系のマスクとマントとか……。けっこう、ドキドキしながら読んでいた記憶があります。
はじめ: 央紀さんの子どものころって、どんな子だったんですか? 「金田一」の名前を背負っていて、苦労したことなどありましたか?
央紀: 当時、東京の西の方に住んでいたのですが、やっぱり「金田一家」は地元では有名だったので「あの金田一さんのところの坊ちゃん」という感じで見られていましたね。小学校に「同窓会文庫」と呼ばれる、図書室とは別で手塚治虫先生の漫画なども置いてある書架があったのですが、そこに「金田一春彦先生、どうもありがとうございます」みたいな感謝状が掲げてありましたしね。寄贈かなにかだったのかな? ともかく初対面の人には必ず「金田一って、あの……?」という感じで一歩、引かれるのが日常茶飯事でした。なにより名前が珍しいから、ごまかしようがない(笑)。
はじめ: そうですよね(笑)。俺も高校時代、成績はボロボロだったけど「あの金田一耕助の孫」ということで、一部の教師などからなんか変な期待をされたりもしましたし……。
央紀: テレビをつけたらおじいちゃん(春彦さん)が『笑っていいとも!』で日本語の解説をしているし、かと思うと夜は『風雲!たけし城』で、緑山スタジオの野外でやっている巨大なカルタの読み手をしていたりしてね。おじいちゃんは少し離れた場所で私たち親子とは別々に暮らしていたので、そこまで身近な存在というわけではなかったですが、ちょっと誇りには思っていましたね。
はじめ: そこに『金田一少年の事件簿』が始まって、またややこしくなった?(笑)
央紀: ですね(笑)。まぁそんな中でも、友だちとはけっこう仲良くやっていたのですが、漫画の連載が始まってもう一度、面白がってはやし立てられたりしましたね。しかも、漫画の「金田一少年」と我が家の間に、実在しない「金田一耕助」さんが入っているから、またややこしい(笑)。
はじめ: なんか、ご迷惑をおかけしました(笑)。
央紀: 「金田一耕助」シリーズの著者である横溝正史先生のエッセイ『金田一耕助誕生記』に記されていたのですが、金田一耕助の探偵としてのモデルは、海外の探偵小説に登場する素人探偵らしいですよ。で、あの風体のモデルは、横溝先生が「才能のある若者だな」と感じていたという、劇作家の菊田一夫さん。実は名前も菊田さんにあやかって「菊田一〇〇」さんにしようと考えていたそうです。
はじめ: 「菊田一」ですか? それがなぜ、金田一になったんでしょうね。
央紀: 「菊田一〇〇」なんて名前はさすがに存在しないだろうし、菊田一夫さんに失礼だろう、と判断されたとか。そんなときに、かつて太平洋戦争時に結成された隣組に金田一京助の弟、安三がいた。その「菊田一」に近い「金田一」という名字を取り、名前は当時すでに有名だった「京助」を捩って「耕助」と付けたと。
はじめ: へえ~。「たまたま隣組に『金田一』がいた」という偶然からなんですね(笑)。
央紀: 金田一耕助の出身は東北地方という設定なんですが、金田一という名字も現在の岩手県に存在した「金田一村」がルーツなので、その辺も都合がよかったんだと思います。
はじめ: 直接、京助さんと横溝先生に面識があったわけではないんですね。でも、それ以降「金田一」という名字に、探偵としてのイメージが強くなりましたよね。金田一家としては、そのせいで変なことに巻き込まれたりはしませんでしたか?
央紀: いや、そもそも「金田一」という名前をちゃんと読んでもらえるようになった、と喜んでいたみたいです(笑)。もともと苗字と名前の境目を間違えられて「カネダさん」とか呼ばれがちだったようで。
はじめ: 俺なんか名前も一(はじめ)だから、「キンダニ」とか呼んでくる警部もいましたしね……。
央紀: でも、金田一耕助が本当に実在すると思っている人がたまにいる、ということに、ちょっと驚くことはあります。小学校のころは「はじめ君と親戚なの?」とか聞かれましたしね(笑)。今もたまに「金田一耕助」さんとの関係を聞かれることがあるのですが、なんか「もういいや」と思って「遠い親戚です」とか、適当に答えちゃうこともありますよ(笑)。
劇作家・俳優ならではの
「金田一」の楽しみ方とは
央紀: 『金田一少年の事件簿』は、本当に好きでした。高校のころですが、文化祭でお化け屋敷をするときに『放課後の魔術師』がやっていた鏡を使ったトリックを再現しよう、と友だちで盛り上がったりしましたね。結局、あんな大きな鏡が見つからずに、断念したんですけれど。
はじめ: 高校の文化祭で、そこまで凝るのか……。俺なんか適当に流してたなぁ。当時から“ものづくり”に本気だった感じですね(笑)。子どものころから、俳優業とか演劇に興味があったんですか?
央紀: うーん、祖父も父も言語学者だったし、僕も漠然と「言葉の世界」には行きたいな、行くんだろうな……という思いはありました。とはいえ、幼いころから言葉の英才教育を受けたり、特に本を読みまくっていたりしたわけでもありません。でも、ときどき日常会話の中で、いきなり父から「『私は』と『私が』って、何が違うと思う?」などと聞かれたりはしましたね。父も言語学者なので、たぶん「子どもは幾つくらいで、そういう違いを意識するのかな」という感じの、ちょうどいい”研究対象”にされていたんだと思います(笑)。
はじめ: 充分、特殊な環境じゃないですか(笑)。その「言葉の世界」の中で、演劇にハマったキッカケは何だったのですか?
央紀: 演劇に最初に興味を持ったのは、中学時代、学校でミュージカルの「マイ・フェア・レディ」を演じたときです。僕はわりと歌が上手かったので、主役のヒギンズ教授の役をやってくれ、と頼まれたんです。このヒギンズ教授は言語学者だったこともあり、祖父はこの作品を大好きでした。報告したら、喜んでくれましたね。そして実際に舞台に立ったら、これが面白くてね。「役者、面白い! もう、俺は演劇で行く!」って。
はじめ: 中学時代にもう、将来的に進む道を決めていたのか……。しかも本当にその道を進んでいるのは、すごいですね。俺の中学時代なんか、友だちとツルんでエロい妄想してたり、美雪にちょっかい出してたりした記憶しかないですね……(笑)。
央紀: 両親とも放任主義というか「やりたいことをやりなさい」と自由にしてくれていたのが、本当にありがたかったですね。そこから高校時代に野田秀樹さんの作品を見て「かなり難解だけど、こいつは面白いぞ」とまたハマって……。後に1~2年くらいですが、野田さんの下で演劇について学ぶことができたのは、本当に幸運でした。はじめ君は、探偵としての師匠っているんですか? 作品では、誰かの下について学んでいる、みたいな描写は、特になかったよね?
はじめ: 俺は、ジッチャンにマジックを教わったり、謎解きの基本を叩きこまれたりと、かなりの「ジッチャンっ子」でした。やっぱり、俺にとっての師匠は、ジッチャンですね。
央紀: あぁ、やっぱりおじいちゃんから学んでいたんですね。そういえば、作品中に演劇の公演などが舞台になる殺人事件、けっこうありますよね。
はじめ: そもそも最初のエピソードの「オペラ座館殺人事件」が不動高校演劇部の合宿で起きた事件ですし、その後も演劇絡みの事件は多いですね。「異人館ホテル*4」では、20年越しで演劇の上演中に殺人事件が起きていますしね。
央紀: そう、直近では「37歳」の「異人館ホテル」での事件ですね。あの手の作品を読んでいると、けっこう舞台裏の設定とかに目が行っちゃうんですよね。「ホテルにある舞台で、セリがあって奈落があんなに大きいとか、よほどデカいホールだよな、アレ」とか、「公演のゲネと本番の合間に取材をするなら、役者を別の場所に呼び出さずに、記者がホテルまで来いよ」とかね。変なところが気になっちゃう(笑)。
はじめ: あぁ、職業病みたいなものですね(笑)。
央紀: 職業病と言えば、作家としての視点で言えば『金田一少年』も『37歳』も、事件の犯人であるいわゆる「怪人」の名前をはじめ、生み出される言葉の持つパワーがすごいですよね。「雪夜叉」とか「放課後の魔術師」、「地獄の傀儡師」とか。『37歳』で言えば「殺人二十面相」も元ネタありのモジりだけれど、そのモジりのシンプルな切れ味がすごい。横溝正史さんの『金田一耕助』シリーズも「悪魔の手毬歌」とか、おどろおどろしさが抜群じゃないですか。それに近しいものを感じます。
はじめ: う~ん、俺がお礼を言うのもなんですが、ありがとうございます(笑)。
央紀: あと『37歳』のなかでは「タワマンマダム殺人事件」がけっこう好きですね。「金田一」シリーズではかなり珍しい、犯人と犯行過程が読者に先に示されている「倒叙ミステリー」の形式をとっているじゃないですか。『古畑任三郎』とか『刑事コロンボ』のパターン。で、動機を紐解いてみると被害者の生前の言動がかなり酷くて、けっこう加害者の方に同情したくなる作品。なんかエロい描写も多かったし(笑)、狭くてギスギスしたタワマン社会で表の顔と裏の顔を使い分ける描写も含めて、面白かったです。
はじめ: あぁ、あの事件は、犯人はわりとすぐにわかったので、犯人たちの取り乱しっぷりに少し笑えましたが、最後に判明した動機には言葉を失いましたね……。
グイグイ来る央紀さんに
はじめもタジタジです……
はじめ: 劇団の主宰や演出家以外にも、近年はクイズ番組などでも活躍されていますよね。俺も謎解きが好きだから、そこでもちょっと親近感を覚えます。
央紀: 初めてクイズ番組に出演したのは、京都で芝居を作っていたころだったと思います。『Qさま!!』とか『ザ・タイムショック』とか。『ザ・タイムショック』では優勝できたのですが、そのころは「クイズ番組で稼いだお金で京都に行って芝居を作る」みたいな生活をしていました(笑)。
はじめ: クイズ番組に出演するようになったキッカケなどは、あるんですか?
央紀: もともとは父がよくクイズに出ていた中で、ちょっと声がかかって出るようになったら、まぁまぁイケた感じかな(笑)。『Qさま!!』も最初は父親が出演していたんですよ。で、当時は有名人の息子や娘、いわゆる「二世タレント」がテレビに出まくっていた。そんな中で「一番インテリなのは誰かいないか?」「金田一さんところの息子さんじゃないか?」みたいな感じで、声がかかったんだと思います。『Qさま!!』は中学・高校受験の知識が中心でなんとかなったし、もともとクイズや雑学的な知識は好きで、なんとなく子どもの頃から触れていたんですよね。まさか、こういうふうに役立つとは思っていなかったけど(笑)。
はじめ: 最近は『東大王』に出演されているのを、よく拝見します。
央紀: 『東大王』は難しいよね……。もともと僕は、ヒラメキ系はそれほど得意じゃないんだと思う。ヒラメキが足りない分、なんとか知識で補完している、みたいな感じ。たぶんはじめ君なら、ヒラメキ系の早押しでも無双しちゃうだろうね。
はじめ: 逆に雑学的な知識は、あまりたいしたことがないですけどね(笑)。事件の謎解きはさまざまな事実の欠片を組み合わせて、ミッシング・リンク(見えない繫がり)を探す作業ですから、ヒラメキ系の能力が必要だとは思います。
央紀: そういう能力にかけては右に出る者がいないはじめ君が、おとなしく小さなPR会社で仕事に励んでいる。その辺も不思議なんだよね。はじめ君なら「謎解き大会荒らし」もできるだろうし、なんなら謎解き系の懸賞に応募しまくって賞金を稼ぐ「懸賞生活」だって、余裕でできちゃうんじゃないかな。
はじめ: いやいや、僕はもう謎は解きたくないんで……。
央紀: そう、そんなはじめ君が「もう謎は解きたくないんだぁ!」なんて言ってるのも、ちょっと驚いたんですよ。僕は演劇をつくり続けているけど「もう演劇なんか作りたくない!」なんて、考えたこともないからね。ねぇ、この空白の20年の間に、何があったの?
はじめ: いや、それはちょっと……(と口ごもる)
央紀: 作中でも函館で玲香ちゃんと会った時に、何か思わせぶりなシーンになっていたり、いろいろなところで伏線が張られているよね。「なにか玲香ちゃんが絡んだ事件で、たとえばそこで美雪ちゃんが大怪我しちゃってるとか……」とか、劇作家の悪いクセで、勝手に妄想を繰り広げちゃってるんですよ(笑)。あ! というか、美雪ちゃんとはどうなったのよ?
はじめ: めちゃくちゃグイグイ来るじゃないですか(苦笑)。
央紀: 実は僕の初恋の人の名前も「ミユキ」ちゃんなんだよね。小学校低学年のころのことなので、まだこの作品に出会う前なんだけど。だから、気になっちゃうんだよ(笑)。
はじめ: なんか理由を付けているけど、もはや関係ないじゃないですか(笑)。
央紀: はじめ君と美雪ちゃん、どこかで結婚とかいう話は出ていたんじゃないかと思うんだよね。でもはじめ君は、どう見てもひとり暮らししてる感じだし、お隣の未亡人とか、部下の葉山まりんちゃん相手にエロい妄想しまくりだし……。
はじめ: (強引に話を変えて)お、央紀さん! 最近はどんな作品を作っているんですか?
央紀: ムリヤリ話を変えたな……(笑)。今は自分の劇団の公演や客演もあるけど、ほかにも沖永良部島で、地元の方言を使ったミュージカルの演出をやっていますね。
はじめ: へぇ! 面白そうですね。今度、観に行ってもいいですか? というか広告枠、空いていますか?
央紀: あら、やっぱりちゃんと働いてるな(笑)。広告は大歓迎だけど、はじめ君に観に来られると、なんか怖いよね。僕はまだ、劇団の仲間をだれ一人、失いたくはないからね。
はじめ: ちょっとぉ……。その発言、酷すぎません?(笑)
『金田一少年の事件簿30th』第2巻10月21日(金)発売!
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*1:『美味しんぼ』の主人公。東西新聞社のグータラ社員で、日本一の美食家・陶芸家である海原雄山の息子。そういえばこの人も「偉大なる家系の一人息子」として葛藤している人でしたね……。
*2:『金田一少年の事件簿』File03「雪夜叉伝説殺人事件」の犯人。雪国である背氷村に伝わる怪物からその名が付いた。はじめと明智警視が出会った事件でもある。
*3:『金田一少年の事件簿』File04「学園七不思議殺人事件」の犯人。大きな鏡を使い現場を錯覚させるトリックで、捜査を惑わせた。ちなみにはじめが真壁と出会ったのもこの事件。
*4:函館にあるホテル。『金田一少年の事件簿』File07「異人館ホテル殺人事件」、『金田一37歳の事件簿』「函館異人館ホテル 新たなる殺人」の両方で、このホテルでの演劇の上演中に殺人事件が起きている。