『バトルスタディーズ』32巻発売記念、なきぼくろ対談【完全版】 憧れの主将は「破天荒な革命児」。平石洋介氏と大いに語らう!

「PL学園-横浜高校 伝説の延長17回」に魅入られてPL入りを心に決めたなきぼくろにとって、当時のPL学園主将・平石洋介氏は憧れの存在だった。平石氏とはじめて出会ったのは約20年前、PL学園グラウンド。その時の光景は、なきぼくろの記憶に鮮明に刻まれている。

「PL学園-横浜高校 伝説の延長17回」に魅入られてPL入りを心に決めたなきぼくろにとって、当時のPL学園主将・平石洋介氏は憧れの存在だった。
平石氏とはじめて出会ったのは約20年前、PL学園グラウンド。その時の光景は、なきぼくろの記憶に鮮明に刻まれている。

 

PL学園OB会より、笑顔がまぶしいツーショット。

左から3番目が、平石洋介氏がモデルの「平岩さん」。
平石洋介 Hiraishi Yousuke

大分県出身。PL学園から同志社大、トヨタ自動車を経て、当時球団創設1年目の東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト7巡目で入団。現役引退後は楽天の一軍監督、福岡ソフトバンクホークスのコーチなどを経て、現在は埼玉西武ライオンズ一軍打撃コーチ。

 

20年前、大阪・富田林。
平石洋介のユニフォームを手洗いした夏。

 

なきぼくろ(以下、な): 平石さんとは高1の「強化合宿(※)」ではじめてお会いして。「お前、平石の系列(※)やろ。行ってきや」とコーチに言われて洗濯物を預かりに行ったら「ありがとう、助かるわ」って平石さんが。ホンモノや~! って感動したんですけど、粗相あったらアカンから、緊張しながらユニフォーム何回もすすいだことを覚えてます(笑)。

平石洋介(以下、平): 同志社(大学)の頃は手伝いに行ける距離だったから、PLのグラウンドによく顔出してたなあ。当時のことはあんまり覚えてないんだけど、あの時は監督に三遊間のノックを手伝ってくれって言われて。小窪(哲也)がフラフラになりながら……泣きながら球を追っかけてたことは強烈に覚えてる。

な: あの年は平石さんに、近大(近畿大学)の水色のユニフォームを着た大西(宏明)さん、立教(大学)の上重(聡)さんもおられたり……ホントにオールスター集合! みたいな感じで。めちゃくちゃにカッコよかったですね。

平: あの時は出場停止になってな。後輩のために試合やるぞ! ってOBで話して。練習用のユニフォームじゃ後輩に失礼だから、試合用のユニフォームで帰ったんやったな。なきぼくろって何期生やったっけ?

な: 49期です!

平: そうや、OB会の時に言うてたな。いま漫画家でこういうものを描いてます……って壇上で挨拶してくれて、そのあと写真も撮って。そういえば写真まだくれてない(笑)。

な: すみません、後で送ります! あの時はめちゃくちゃ緊張しました……(笑)。

平: あと、(漫画内で)OBとして「平岩さん」って出してくれたやん。あれ、涙出るくらい嬉しかった。

な: 僕も読んでくださってホンマに嬉しいです!

平: PL時代の上下関係……それこそ部屋の入り方から、1年生ノート、「家康!」まで。あったな~ってね(笑)。でも、どこまで描いていいか多分悩んだんちゃうかなって。やんわり描かなアカンところもあるやろうし、面白おかしく描かなアカンとか……そんなことも思いながら、PL時代のことを色々と思い出して。野球少年が読んでも結構勉強になることも多いんちゃうかな。ホントに面白い。

※強化合宿:夏の大阪予選前にOBが自主トレを兼ねて在校生と一緒に練習を行う、PL学園伝統の特訓期間。BGMを流しながら朝5時からハードな練習をこなすさまは、プロ野球選手のキャンプさながら。

※系列:1年生が3年生の付き人となるPL学園において、付き人の系譜を遡った時の先輩・後輩関係を指す。

 

 

あとに引けなくなって……
小6で決めた野球留学の道。

 

な: 平石さんは中学から野球留学されたんですよね。小6で野球のために九州から大阪に行く決断をするってホンマぶっ飛んでるなって……。

平: いやいや。正直、誰か止めてくれって思ってたよ(笑)。

な: そうなんですか!?

平: 小6の夏くらいかな。俺の親父が野球部の父兄と飲んでる時に「もっとレベルの高いところに挑戦してみたら?」って話になって。俺もプライドあったんか、当時有名やった「八尾フレンドに行きたい」って言うて。知り合いのツテで入団テストを受けたら、ぜひ来てくれと。行きたいって言うた手前、あとにも引けない。「あんたにはまだ早い」って誰か言うてくれへんかな……でも、もう地元みんなで協力するって話になってるし(笑)。それで、大分の田舎から大阪に出てくることになって。

な: 意地になってたんですね(笑)。

平: でも、行きたい気持ちもなくはなかった。大分でめちゃめちゃ名が知れてたわけではないけど、小学生ながらもそれなりに自信はあったし、周りにはコイツすごいなって思う選手がそこまでいなくて。そんなレベル高いチームがあるんやったら、俺もやったるわって思いも正直あった。ただ小6で地元を離れて、親元を離れ、友達と離れるって、急にどんどん寂しくなってきて。誰か止めてくれへんかなって思ってたけど、とにかく野球が好きやったからなあ。でも、ホントに行くことになるとは思ってなかった。

な: 実際、八尾フレンドのレベルは高かったですか?

平: 試合前の八尾のボール回し見たら、相手チームがビビるって言われてたくらい……失礼な言い方だけど、そのへんの高校には負けてないくらいレベルが高い野球を教わってた。桑田(真澄)さんが八尾のOBで、厳しい環境で野球に打ち込んでいたらあとは自然と「PLで甲子園優勝して、プロになりたい!」って気持ちが固まった。

 

▼平石洋介氏が小6で大阪行きを決意した詳しい経緯は、こちらの動画で観れます!▼

 

 

「サークルにしたらええやないか!」
啖呵を切って、チームが変わった。

 

な: 中高のハードな経験から、大学野球に進まれて……どう思われました?

平: 「ぬるっ!」って思ったよね。

な: 小窪も同じこと言うてました(笑)。(※単行本31巻巻末記事)

平: 同志社に行ってよかったって心から思ってるけど、当時はPL時代のコーチについていきたい一心で進学先を選んだから。片岡(篤史)さん、宮本(慎也)さんのような錚々たる先輩方がいて、大学日本一にもなって……ってことはもちろん知っていたけど、入学当時の状況なんて全く調べてなくて。リーグ戦が何位で、どのくらいのレベルで……とか。本当に失礼な話なんだけど、ちょうど同志社が再び野球に力を入れ始めた直後やったから、全体のレベルを見るとやっぱりね……。

な: そんな同志社を平石さんが変えたって聞きました。

平: 今考えたらめちゃくちゃ偉そうなんだけどね。各学年でキャプテン、副キャプテンみたいな代表者が2人選ばれるんだけど、入学直後に全学年が集まるミーティングで4年生に食ってかかったりして。

な: 1年が上に噛みついたんですか!

平: 野球推薦で入学した選手ばかりじゃない。一般入学とか、いろんな環境でやってきた選手がいる中で、全員が同じ志で野球をやってるわけじゃないから……っていう話になった時に、「野球部に入った以上はちゃんとやりましょうよ! それができへんのやったらサークルにしたらいいじゃないですか!」って。ホンマにえらい失礼なことなんやけど(笑)。

な: パズルのピースがくっついてきたような感じがしました。僕の中で「PL学園の平石洋介」ってずっと「クレバーな革命家」の印象があって。中学で野球留学とか、同志社の練習がぬるいから練習内容を変えさせたとか、PLは上下関係が厳しすぎるから俺らの代でやめようって仰ったとか、いろいろな逸話を聞いてたから。ただ、お話を伺っていてクールな感じの革命家かと思ってたけど、どっちかというと「破天荒タイプの革命児」なのかなって。

平: 破天荒かなあ(笑)。意見を言う時は覚悟決めて言わなあかんと思ってるから……あの時はPLを卒業した直後で「PLの野球」が軸としてあったからね。それが全てや、くらいの気持ちやったんだと思う。

 

 

それでもプロへの思いは
捨てられなかった。

 

な: 大学の頃は既にプロのことは考えてたんですか?

平: プロに行きたい一心だったよ。高校の時は肩を痛めて手術をして、ボールも投げられない時期が長かったから、恥ずかしくてプロなんて言えなくなっていた自分がいて。それが大学1年の春にたまたま打率でリーグ2位になって、本気で上を目指すんだったら肩をこのままにしていたらマズいと思って、2ヵ月リハビリ入院をしたんだよね。

な: (肩は)元通りになったんですか?

平: 思いっきり投げられてた時にようには戻らなかった。もどかしかったけどね。それでも、いろいろなトレーニングを取り入れて、ある程度はやれるんじゃないかって思いも芽生えてきて。それで当時誘ってくれていたトヨタ自動車に入社することになった。

な: 社会人野球は仕事やりながら野球をするんですよね。忙しかったんじゃなかったですか?

平: 今は社業と野球を両立している企業が多いと思うけど、俺が「仕事やってました!」って言うたらトヨタの人に怒られるんちゃうかな……。オフシーズンは午前中出社して、大会が始まれば野球に専念。生産管理系の部署だったんやけど、電話に出ても専門用語ばかりでわからないから「少々お待ちください。担当者に代わります」。いやお前は誰なんや! っていう(笑)。隣の席の女性に「なにか手伝いましょうか?」って言ったら「じゃあここの文字が赤くなってたら承認ボタン押さずに[次へ]を押して」って説明されて。ようわからんままやってたら途中で眠くなってきて、あっ今の赤かったな。申し訳ないことしたな……みたいな。忙しい部署の選手もいたけど、俺は理解のある上司のもとでホントに恵まれてたね。

 

 

指導者の自己満足にはしたくない。
だから、腹を割って話そう。

 

な: 楽天(東北楽天ゴールデンイーグルス)からドラフト指名を受けた時は「やってやったぞ!」みたいな達成感は……。

平: いやいや、もう下位指名やったから(ドラフト7巡目で入団)。プロに行きたくて中学で親元を離れたわけで、スタートラインに立てたという意味ではよかったというのはあったかな。

な: 現役時代に一番影響を受けた指導者って誰ですか?

平: 星野(仙一)さんだね。実績がモノを言うプロ野球の世界で、現役時代に一軍で40本もヒットを打っていない俺を「アイツは指導者に向いてる」と取り立てていただいて。星野さんとの出会いがなかったら、指導者としての道はなかったんじゃないかな。

な: これだけ指導者としての経験が豊富な42歳って世界中探してもなかなかいないと思うんですけど、コーチとして選手とのコミュニケーションで気をつけていることってありますか?

平: 選手ひとりひとりの人生や性格があるから、こっちの一方通行にならないことかな。野球は……特にバッティングは10回やったら7回は失敗するスポーツで、正解なんてない。だから、できるだけ選手にも本音で話をしてもらうようにして、選手自身がどうなりたいか? そのために何をしたらいいか? というアプローチを一緒に考えていく。

な: そういう考え方はPLでキャプテンをやってた頃からずっと変わらないんですか?

平: PLを出た頃だったら「もっと厳しくないとアカン!」と思ってたかもしれないね。いろいろな指導者と出会って、丸くなっていった部分もあるかな。指導者が心を開いて選手のことを愛していかないと、選手も心を開いてくれないと思うから。こういう付き合い方をしていると「甘やかしている」とかよく勘違いをされるんだけどね。

な: すぐにとやかく言うてくる人は、どこにでもいますよね……。

平: 甘やかすとか厳しくしてるとか、そんなんで議論になること自体がナンセンスやなと。選手も不安になることも多い。だから指導者は、普段から動きとか表情を見ながら声を掛けたりするようにして、選手が困った時にパッとコンパクトに答える準備をしておく。技術面に関しては、見た目がよくなっていても選手自身が納得してなかったりすることもあって、普段から観察をしておけばそういうのってわかるじゃない。もちろん自分の考えが正しいなんて思わないけど、できるだけ腹を割って……という付き合い方を目指してるよ。

な: 平石さんに出会える選手たちは幸せですね……。いっこ訊きたいことがあるんですけど、「時代の変化」ってあるじゃないですか。平石さんの世代、僕らの世代、佐々木朗希世代とか。コーチとして違う世代・環境で育ってきた選手を教える時に、感覚を基に教えていくのか、どっかからインプットしながら教えるのか……って、何かあるんですか?

平: 必ずこれっていうのはないかなぁ。でもよくいるでしょう。「俺らの時代は……」って、それしか言わない人。今は「俺らの時代」じゃないから! って話やん。

な: はははは(笑)。

 

 

「やんちゃ」はまだ、
野球界に必要ですか?

 

平: 昔からいいものはやっぱり残していかないとあかん。でも、今いいと思ったことが数年後、世の中の考え方が変わる時もあるから。「俺らの時代はこうだった、だからお前もこうやれ」。指導者として、これは絶対にダメ。だって明らかに世の中の環境が違うから。今の時代が甘いっていうのも確かになくはない。でも、今の方がすごいことだっていっぱいある。たとえば昔「ゲームやったらあかん」とか小さい頃よく言われていた世代でしょ?

な: ずっとパワプロやってて言われましたね。

平: それが今はスマホやタブレットも普及して、小さい頃から触れておけば時代の変化についていけるんじゃないかという考え方に変わってきた。下手したら学校の授業でゲームをやる時が来るかもしれない。それが当たり前になってきているのに「そんなものは必要ない、触らんでええ」っていうのもおかしな話じゃないかなと。野球における人との付き合い方も一緒じゃないかなと思っていて。でも、それが正解かは誰も分からないからね。だから疑問しかない。年々疑問だらけになっていくよね。

な: そっか……もういっこいいですか? 逆に、昔は許されてた「必要なやんちゃ」というか。「全部ホワイトでいないといけない」みたいな風潮ってあるじゃないですか。それをプロ野球界で生きていく中で「これは必要やろ」って思う時って……なんて言うんですかね……。

平: わかる。言いたいことはわかる。

な: それまで排除されると、何か大切なものを失ってしまうみたいなことってある気が個人的にしていて。

平: ほんとその通り。何かどころじゃないと思う。大きなものを失ってく。

な: そのへんのことを、コーチと選手で話す機会ってあるんですか?

平: う~ん。改まって選手全員と話すことはないけど、選手のやんちゃさがスケールの大きさとイコールだったりすることもあるから。特に2軍監督をやっていた時は、指導のほかに「教育」の側面も兼ねてるから、世の中に出た時にちょっとでも……っていう役割も担っていかなきゃいけない。だからと言って、やんちゃな部分を消してしまうと選手の良さまで消えてしまう時はあるから。「最低限のことだけ学んでくれればいい。他の人がどう言うかはわからんけど、お前の良さはこういうところや」って話をした選手も何人かいるね。

な: 平石さんのお話を聞いていて、ずっと良いやんちゃさを感じていて。色んなルールに対して「それがどないしたん、いてまえ!」みたいな。すんません先輩に(笑)。関係あらへんがな、いってまえ! っていう懐の深さが世の中から消えていくのが寂しいなって思うところがあって、平石さんはどう考えてるのかなって。

平: 現役時代は、そういう考え方があんまりできなかったからね。だから後悔してるよ。

 

 

後悔の連続だった現役時代。

 

平: レギュラーを獲れていたらまた違ったのかもしれんけどね。ちょっと成績が落ち込んだら、ああ二軍行きや……って。いつも切羽詰まって野球をやっていて、そんなちっちゃいこと気にしてどうするんやって気づいた頃には、もう現役辞める時やった。

な: それじゃあ、プロ野球の時が平石さんの人生で唯一後悔をした時期ってことですか?

平: 現役時代なんてほぼほぼ後悔だよ。だから選手にはチャレンジしてもらいたいよね。あとはね、トライアンドエラーを重ねてやっぱり疑問に思うことが増えてきて。バットは上から振れ、グラブを立てて手のひらで捕れって教えられてきたでしょ?

な: 小さい頃はそうでした。

平: でもそれ、ホンマに合ってるのかなって。上から振ったら、どうやってバット当たんねん。俺はこういう感覚でやってちょうどよかったとか、逆に俺は下から振り上げた方がボールと適切な距離を取れてたとか、それぞれの感覚があるはずだから。その感覚と実際の動きの個人差を加味せずに「これが正しい」って教えることは、果たして指導と言えるのか? って感じてきて。

な: OB会の時にある先輩が後輩にお酌させてるのを見て、平石さんが結構な大きい声で「こんなんしてるからアカンねん!」って言うてたのを思い出しました。

平: え、そんなこと言ってた? マジで?(笑)

な: 周りの人も笑いながら平石さんの話を聞いてる感じで、正直あれでズキュンときたというか。「す……すご~!」と思っちゃって。かっこよかったっすね。疑問に思うって、PLに対しても思う部分があったのかな~と思いながらお話を聞いてました。

 

 

PL学園の主将として
平石洋介はある誓いを立てた。

 

平: 俺が高校2年の時やったかな。野球部でちょっとした事件があって。アカンことなんやけど、当時は厳しい指導が……当たり前のようにあった。そこから俺がキャプテンやる時に、責任もって僕がやりますと。その代わり、同級生に好き勝手やらすことをやめた。

な: それはもう平石さん一人に、みたいな?

平: そう。その代わりなんかあったら言ってこい、俺がやるって。アカンことだと思ったら、俺が責任持ってやる。だからお前らが勝手にやるのはやめろ、っていうことを(言った)。

な: 烏丸(学)みたいや。男前なキャプテンですね……。

平: でも人生いろいろ経験していくと、あの時もっと上手いことできたのになって思うこともあるなあ。もちろんいろんなところに気を配る、目を配るっていうPLで学んだことはものすごく勉強になっていて。野球っていう動きのあるスポーツでは、とっさの判断ってものすごく大事やから。気を配れてるか、先を読めてるかっていうのは、結構関連してると思う。ゴミを拾うことひとつ取っても、落ちてるゴミに気づかんのもどうかと思うし、落ちてるゴミに気づいてるのに拾わんことも問題。そういうことは楽天で二軍監督やってた時から言い続けていて。野球が進化していっても、プレーする人間の本質は変わらんからね。

な: 僕は高校で野球やめちゃったんですけど、PLの「目配り・気配り・思いやり」は恋愛でもすごく役に立ちました!

平: はははは(笑)。

 

 

必要とされる場所で
咲きつづける。

 

な: これから野球界でこういうことをやってみたいっていうイメージはあるんですか?

平: わからないんだよね。必要とされなくなったら、潔く辞めるつもりで。選手に失礼だから、球界にしがみつこうとも思ってない。

な: 高校野球の監督をやってみたい気持ちなんかは?

平: 昔はちょっと思った時期もあったけど、どうしてもやりたい気持ちはないかな。ただ、自分のことを必要として声を掛けてくれるのなら、プロ・アマ関係なくもちろん考えるよ。でも、自分から「俺に教えさせてくれ!」っておかしな話やん。もう一度どこかで一軍監督のオファーが来たらもちろんやるだろうし、やりたくないなんて思ってない。だからといって「俺は監督をやるために生きていく!」とも思っていない。

な: 今日ずっと気持ちいいですね。平石さんなら仕事が途絶えないだろうなって思います。

 

文責:編集部
※本対談は2022年4月、リモート取材にて行いました。
※本記事は単行本『バトルスタディーズ』32巻に収録された対談記事に、未公開部分を加えた完全版です。

 

▼32巻と同日発売の『バトルスタディーズ』33巻に収録されているライター・村瀬秀信氏との対談記事も公開中!▼

 

 

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