『バトルスタディーズ』42巻発売記念、なきぼくろ鼎談(後編)山田祐輝×後路貴博×なきぼくろ 時代と時代の狭間で自分達の生き方を模索した3年間。それでもできたことは、来た球を弾き返すだけ。

なきぼくろの一年後輩、2004年大阪大会初の決勝引き分け再試合を勝ち抜き、甲子園に出場したキャプテンと副キャプテンコンビ。その強さとは…? そのメンタルは…? なきぼくろの野球への姿勢は、後輩の目にどう映っていたのか…。

 

麻薬カルテル王・山田祐輝(左)さんと見た目はなにわのドン・後路貴博(右)となきぼくろ

山田さんの要素が入ったジョージ。

後路さんの要素が入った寿。

なきぼくろの一年後輩、2004年大阪大会初の決勝引き分け再試合を勝ち抜き、甲子園に出場したキャプテンと副キャプテンコンビ。その強さとは…? そのメンタルは…? なきぼくろの野球への姿勢は、後輩の目にどう映っていたのか…。

 

〜〜〜生き残るために磨いた、バントの技術〜〜〜

 

山田祐輝(以下、山): 出川さん(なきぼくろ)、試合でのバントが多かったじゃないですか。苦手じゃなかったですか?

なきぼくろ(以下、な): 俺? もちろん最初はめっちゃ苦手やったよ。それまでバントなんてしたことなかったから。ただ、新チームになった時に、俺はバントできないと生き残れないと思っとった。

後路貴博(以下、後): 出川さんといえば、ZETTの黄色バットとバント。ものすごく芸術的で、フォームもむちゃくちゃキレイでした。

山: 最後のほうはもう余裕ですよね。

な: せやな。一回もミスったことないもん。

後: 出川さんは、キャッチャー道具つけてずっとバント練習やってはった。同級生に至近距離の正面から投げられるんですよね。手だけでバントすると身体に当たっちゃうから、顔の前で正確にやらないといけないという根性試しのチキンレースみたいな。

な: 失敗したら終わりやと思ってたから。

山: でも、出川さんの代って、チーム自体が出川さんがバント失敗したら終わりみたいな雰囲気ありましたよね。

な: 俺がバントする場面になると、「仕事仕事仕事、出川♪」みたいな応援歌が流れんねん。

後: 甲子園の福井商業戦でも最後にキレイなバントを決めていましたよね。

な: あのバントが一番しっくりきたんよ。初めて地に足ついた感じがしてね、早よ終わりたい、引退したいと思っていたところで、バントの場面が回って来て自分のホームに帰ってきたような気持ちやった。ボールもゆっくりに見えたし、思ったところに転がせたし、これで俺の仕事は終わりやという感覚。ヘンな瞬間だったな。

山: だいたいその時にはもうイラストのほうに進もうとしてたんですよね。それ俺は知らなかったんで。引退して野球をやめた出川さんから見て、僕らの代って負けると思っていました?

な: ……負けるなんて思ってへんけど、悪い意味じゃなくて、キッチリしすぎていなくて、ラフやけどチームとしてグルーヴ感がある。これは俺、強くなるやろなとは思っていたよ。でもまさか2年連続甲子園に行くとは思えんかったな。そもそも俺らの代でも行けるとは思わんかったし。

後: ちょうど20年前ですね。2003年が出川さんたち。そして2004年が僕らの代と、2年連続で夏に甲子園に出場しました。これは僕らの代もですが、出川さんの代も誰ひとりとして「絶対甲子園に行くぞ」なんて言う人はいなかったですよね。夏の大阪大会は全部で8試合勝たなければいけないんですけど、本当にただ目の前にあるこの一戦を死に物狂いで獲りに行くという気合だけがあって。しかもPLってデータをひとっつも取ってない。「来た球いったれ!」ですよ。

な: 勝ちたい、甲子園に行きたいなんてことよりも、目の前の試合、ただ目の前の試合で、時間が過ぎていったな。最後はこれに勝てば甲子園というよりも、「決勝戦や」という感覚。でも、みんな体ボロボロで、前の日なんて小窪(哲也)と俺が点滴打って寝てたやん。あとは、阪神にいた桜井(広大)さんとか、いろんな方から「オマエら頑張れよ」って電話もらってね。

山: 懐かしい。ニンニク注射ですね。

後: 思い出しました。鳥肌立ちました。主力のメンバーはみなさん、満身創痍でボロボロでした。

な: 決勝戦は8月1日。PLの花火大会の日やった。相手は大商大堺。藤井寺球場がパンパンで、なんか文化祭みたいやったな。試合前ノックでも後路とか、山田がすごい盛り上げてくれたな。後路はキャッチャーで声も通るからぐわーっと盛り上げてくれて。

後: はい。ボール回しでも、逸れてしまった送球を声で軌道修正してました。ガチョンです。

山: 後路、めっちゃ声出すけど、めっちゃ怖いねん(笑)。でも、僕らはレギュラーじゃないベンチメンバーでしたから、何をやれるのかを考えていくと“試合前のノックで絶対に流れを崩したらアカン”ということでした。三年生のために、このノックだけは命がけでいく覚悟だったのを覚えていますよ。あと、僕はランコー*1をやっていたので、当たった時にサッとスプレーを出せるか、というところに全力を注いでいました。

後: ジャパンのスプレーや(笑)。

な: 一番上手い奴がランコーやってんやもんな。でも祐輝のポケットがもっこりして、コールドスプレー刺さってるのを見ると安心すんねんな

後: 序盤の3回までに5点取って試合を優位に進めていましたが、商大堺も後半粘って1点差まで迫って来て、最終回ランナー二塁であと1本出れば同点というところまで来ましたよね。

な: それで最後のバッターが右に打った。俺ライト守ってる。打った瞬間にすべてがスローモーションになるやん。「お、ここで来るか? ここでガチョン炸裂させて終わったらおもろいな」って思ってたら、セカンドの鈴木(雄太)が捕ってな。またこいつがヘンなとこ引っかけて投げるから、東(裕也)がうわってなりながら捕って。なんとかアウトにできた。その瞬間、俺もう耳がキーンとなって歓声もわからんくなって、スタンドの親だけが見えんねん。膝ついてもうたから、みんなが集まってるマウンドにも行かれへんかったんよ。で、この二人がライトまで迎えに来てくれてん。「出川さん、優勝ですよ!」と肩抱かれて「おわ!」ってなったのを覚えてるわ。

後: 僕はブルペンにいたので祐輝やと思います。でも覚えてますよ。あの場面、大商大堺は同点のチャンスで1番の福家さん(一範/→法政大)。一番嫌なバッターですよ。この最後のタイミングで来るのはマズイなと思いながら、ギリギリと戦況を観ていました。あの勝った瞬間、みなさん、かっこよかったですよ。

な: 俺も含めて全員泣いとったんやな。でも今思うと、あそこで泣いてたらそりゃ甲子園は無理やな。今の大阪桐蔭の子らなんか優勝しても泣かへんもん。

後: 僕らもめちゃくちゃうれしかったですよ。

山: 僕らも喜んでいましたけど、その一方で道具を片づけたり運んだりしなきゃいけないとか、次の行動のことを考えていましたからね。だから、自分たちの代の決勝戦とはまたちょっと感覚が違うんですよね。

な: そうだよな。正直、俺らの時の決勝戦よりも、翌年の山田たちの夏の決勝戦のほうが感動的やったと思うよ。俺、一回戦から全部観に行ってたからね。

後: 出川さん、毎試合ベンチの上で観ててくれましたよね。すぐにわかりました。

山: ボブ・マーリーみたいなドレッドだったから目立ちましたよね。

な: ただのデートで観に行ってたんやけど、でも痺れたわ。話しはじめたら長くなっちゃうから全部話せないけど。決勝の大阪桐蔭戦は再試合の激戦やけど、準決勝も8回の1イニングで12点取って逆転ってめちゃくちゃな試合やっとったよな。

山: 大商大堺戦ですね。8回裏まで9対6で負けてて、そこから逆転するんですよね。

な: そう。二人の代はこれまでのPLとは毛色が違った。なんかラテン系というか、不思議な空気を持っていたよな。

後: トリガーを引くのはやっぱり祐輝なんですよ。僕らは他の世代と毛色が違うという一方で、昔から言われてきた「逆転のPL」というものを、一番体現していた世代なのかもしれません。夏前に郡山高校と試合をした時でした。8回裏まで0対8で負けていたんです。何があったかわからへんけど、ベンチ裏から帰ってきた祐輝が血相を変えて「おい行くぞ。今から10点取るぞ」と僕らに言ったんです。そこから10点取って勝ちました。

な: やっぱりマフィアの親分やな。

後: 前巻で出川さんが言われていた通り、祐輝は先輩たちから怒られるようなキャラじゃないんですよ。ただ、キャプテンである以上コーチと監督からはどうしても矢表に立たされていて、祐輝が「勝つぞ」って言うのなら、俺たちも“祐輝のために”と燃えて来るんで。

な:まんまマフィアの話やないか。

山: ホンマの話です(笑)。

な: そやから南米の麻薬カルテルの映画を観ると山田を思い出すのかもな。襲撃されても座ってカード切ってるキャラクターって感じで。肝っ玉が据わり切っとるというか、何があってもジタバタせえへん。飄々としてて「よっしゃいこかー」というふわーっとした感じやけど、それでみんながビシッと締まる独特の空気を持っとる。自覚あるやろ?

山: 南米の麻薬カルテルの自覚はないっすね(笑)。内心は心臓バックバクですよ。ただ、僕は出川さんたちの代のイズムをめっちゃ引き継いだと思っています。これは事実です。

後: そうよな。出川さんたちの、ベンチでの声とかヤバかったですよね。春の4回戦で上宮太子に負けた時なんて特に。

な: 俺は捕球したと思ったんやけど、「捕ってない」とジャッジされて審議になったんよな。

後: そうです。あの時もベンチの先輩たちが「あいつらの顔見ろ」「あいつら洗濯物も洗ったことない顔やぞ」と言ってて。「あの楽勝そうな顔、笑いながら野球やっとんぞ」「負けるわけないよ」なんて……言ってたのを覚えていて、それをそのまま祐輝が言うイズムとして僕らが引き継いだのは確かですね。

な: 覚えとらん。歪んどるな。

山: 笑って野球やったほうがええですよね。今思うとなんだったんすかね。

な: ただのジェラシーや。俺がアカンかってん。ライトはカバーリングでスタンド側に行くやろ? その時に相手チームのスタンドの野次によう吼えとった(笑)。

後: そのイズムも祐輝は引き継いでましたよ。

山: 引き継がせていただきました。僕らの下も引き継いでいると思います。

後: あの時の、ゲームに入ってからの殺気は本当にすごかったですね。決してさわやかなんてものではない。殺るか殺られるか。それがめちゃくちゃかっこよかったです。

な: そういうのをカッコいいと憧れていたことはあったよ。腕がもげてもやりそうなPL独特のオーラに惹かれた部分は俺にも間違いなくあった。ボロボロになって、でも三年生になったらめちゃくちゃ上手くなって、甲子園に出るんや。これも歪んでるっちゃ歪んでるんやけどな。

 

 

〜〜〜大阪大会初の決勝引き分け再試合〜〜〜

 

な: 2004年の決勝の話いこか。大阪桐蔭との決勝再試合。あれはすごい試合やったわ。ただ、上から見てても山田はこのまんま冷静だった。1試合目が4対4の延長15回引き分けで、翌日の再試合で一年生の前田健太(デトロイト・タイガース)が桐蔭の三年生相手に「オラァ!」って吼えながら投げてたわ。

山: この夏の大阪桐蔭はその当時、学校史上最強の世代と言われていた代でした。三年生は高島(毅/元オリックス)ら盤石の上に、二年生に辻内(崇伸/元巨人)平田(良介/元中日)がいて、春の大会も優勝。僕らはその春に大阪桐蔭に負けていたので、世間一般的には大阪桐蔭が本命。PLはダークホースという扱いでした。でも僕らは負けるなんて一瞬たりとも思っていなかったですね。僕らが勝つのが当たり前だと本気で思いながら試合をやっていましたから。

な: らしい話やわ。

後: 本当に気合だけでしたから。さきほど話に出た準決勝の試合なんですけど、エースの(中村)圭が大商大堺に打ち込まれて2回途中で降板しているんですね。その後に健太が最後まで投げて、大逆転勝ちするんですけど、その試合が終わって学校に帰った後、圭が300球ぐらい投げているんですよ。あいつ、ナニクソ魂がすごいんで。

な: マジか。ヤバいな、昭和か!

後: 僕らも、もう7試合戦って、しかも大逆転した試合の直後だからバテバテですよ。全身何も動かないんですけど、「後路、座れ」って言われて、そこから300球投げて、圭は翌日の決勝戦にも先発するんですよ。

な: そうだったんか。知らんかったわ。

後: ただ、決勝戦の試合前ですね。僕はシートノックに入っていたんですけど、ブルペンで圭の球を受けているはずの下級生が血相変えて走って来たんです。「後路さん! 圭さんが投げないって言ってます」って。慌ててブルペンに行ってみると圭が「肩が上がらん。投げられへん」と言う。どないすんねん。「とりあえずマウンドには行くわ」言うて試合が始まるんです。

な: 圭のその感じも想像つくし、「え! やばいやん、どうすんの?」と狼狽してる後路も手に取るように想像つくわ。アホやな(笑)。

後: マウンドでは最初はヨイショとやっと投げてたけど、試合が始まったら脳味噌から潤滑油が出てきたんでしょうね。100キロ、120キロと徐々にボールの勢いも取り戻してきたんです。初回に平田に打たれて1点。2回にキャプテンの生島(大輔)に2ラン打たれたりで4対1になるんですけど、3回から1点も与えずに結局延長15回を投げ切った。14安打10奪三振ですよ。だから……本当に僕らは気合と根性だけなんです(笑)。決して美談にするのは良くないけど、当時は時代的にそれが正解やと信じてやるしかなかったんです。間違ってたかもしれないけど、そこから得たものはゼロではないっていうのもあるんですよね。

な: あの決勝戦、圭むちゃくちゃ吼えてたもんな。そういう背景があったんやな。

山: 僕も試合の後で聞きました。普通、ブルペンで投げてると思うじゃないですか。そんな圭が15回死ぬ気で投げたのに、僕らが勝ち星をつけてやれなかったんです。僕らも8試合戦った直後だったけど、スタミナがあったんですね。学校帰ってグラウンドで練習してました。

後: 再試合は休みなしで翌日でした。後で聞くと大阪桐蔭は、全員休養したらしいんですけど、僕ら学校帰って夜中までバッティング練習をしていました。「なんであと1点が取れへんねん」言いながら。

な: それもすごいな。再試合ではさすがの圭も投げれないやろうし。対抗意識燃やしていたであろう一年の健太にマウンドを任せたんやな。

後: 後から聞くと、健太も延長15回でなんとか決めてほしかったらしいです。再試合になったら絶対自分が投げるのはわかりきってますからね。

な: 再試合の健太も気合入りまくってたよな。「ブラァ!」って吼えてたわ。

後: いやでも、健太の顔面蒼白を見たことあるのたぶん僕だけですよ。あの再試合、8対2で僕らがリードするんですけど、6回裏に今大阪桐蔭でヘッドコーチしてる橋本(翔太郎)くんに満塁ホームラン打たれるんですよ。藤井寺の右中間最上段に飛ばされて、マウンドの健太のところに「スッキリしたやろ」と言いに行ったら、顔が真っ白になってて。健太とは忠岡ボーイズから一緒だったけど、あんなすんごい顔色、見たことなかったです。

な: 一年生での決勝戦のマウンドなんて桑田(真澄/巨人)さんみたいやけど、投げるキャッチャーとバックのショートに忠岡ボーイズから勝手知ったる二人がいたんだから、健太も心強かったろうな。

後: 僕らは近所のお兄ちゃん的な存在でしたからね。そういうところでも健太は運を持っていたと思いますよ。

山: 僕らにとっても、健太は愛嬌があって可愛かったですよ。昔から本当に野球が大好きな野球小僧でしたからね。

後: 健太は夏の大会まで穴の開いたアンダーシャツを着ていたんですよ。おまえ、流石にテレビに映るんやからそれはやめとけって言うんやけど、「いいえ。いいえ」ってずっと拒否するんですよ。当時はまだ一年生がピチピチのアンダーシャツを着るのが禁止されていたんで、守ろうとしていたんでしょうけど、「大丈夫や、俺らが守ったるから、頼むからこれ着てくれ」ってなんとか着せることに成功しました。

な: 可愛い話やん。そのアンダーシャツで、決勝再試合でも投げ切ったんやな。

山: そして、あの再試合には、実は俺だけが知っている勝利のポイントがあるんですよ。

な: なんやそれ、めっちゃ気になる。

山: PLってキャプテンが先攻後攻のじゃんけんに行くんですけど、勝ったら必ず後攻を取るのがテッパンなんです。ただ、あの再試合だけはじゃんけんに勝って先攻を選んでいるんですよ。前日の試合で8回に2点取って同点に追いついてから7イニング0点が続いていたから、流れを変えたかったんです。

後: そしたら松嶋(翔平)が先頭打者ホームランだからね。痺れたわ。

な: こういうとこや。山田の胆力は。この大勝負の場面で定石を覆すようなこと、普通はできないんですよ。なんでじゃんけん勝って先攻やねんって監督に言われても、それが勝負どころと見たら躊躇なく張れる。やっぱり麻薬カルテルのボスやわ。

山: 最初に1点取ったほうが勝つと思っていたんです。それも出川さんたちの代の決勝戦で鈴木さんが先頭打者ホームランだったじゃないですか。完全にそれをイメージしていました。縁起的なものも含めて。

な: 先頭打者ホームランってのは客が一気にドーンと盛り上がって空気をかっさらえる、一番わかりやすくて、一番難しいマウントの取り方やもんな。ええ話やな。痺れるわ。

 

 

〜〜〜時代を今に戻そう〜〜〜

 

な: あの最後の夏から20年やからな。40手前のおっさんになって、思い起こすことはなんかあるか?

後: パッと出てくるのは“命がけ”ですね。祐輝はボーっとしてましたけど、僕はこの夏の結果で人生がいろいろと変わるんやと思いながら、イメージをしていました。絶対に勝たなアカン、負けたら顔向けができないっていう、その命がけの雰囲気は後にも先にもないかもしれませんね。

山: 僕もあの夏は優勝することだけを考えて必死にやっていました。今振り返ってみてもいろんなことを学ばせていただいたと思うんです。ただ得たものが多い反面失ったものもあります。いっぱい学んで、いっぱい失ったの半々です。結局、感謝しているということでは同じなのかもしれませんけど、大人になってからPLでの3年間を振り返ってみると、やっぱり、いろんなことを考えてしまいますね。

な: この世代は、PLっていう巨大な看板に翻弄された世代でもあるからな。言いたいことはわかるわ。

山: 前巻で出川さんがおっしゃられたみたいに、コーチや監督もめちゃくちゃプレッシャーがある中で一生懸命やって下さってたと思うんですよ。でもやっぱり高校生は子どもですからね。今、ダルビッシュが同じ38歳でバリバリメジャーで投げていますけど、それに比べれば高校生は赤ちゃんですよ。そこで腕がもげるまでやるのもいいのかもしれませんが、その先の成長というか、長い野球人生をトータルで見てもらえるような環境があれば、もっとよかったんじゃないか、そこがもったいなかったんじゃないかって思うんです。特に……PLに来る人は才能がある人が多かったですからね。

な: 山田はホンマにキャプテン目線やな。自分がどうやなくて、チームのこと思い浮かべとるやん。PLでの3年間、“よかった”って言ってしまえば、それで終わる簡単な話なんやけど、本当にそれでええのか。今、野球部が休部になって、復活しようとしている。PLをもう一度立て直そうと頑張っている人たちがいるけど、俺はそのまま復活したんじゃ意味がないと思っている。それは、あの決勝戦に勝って、膝ついて号泣した時の涙が、勝った喜びというよりも“終わった”という感慨でのうれし泣きのほうが大きかった。勝つことに喜びを感じて泣けるなら、復活する意味があると思う。

後: 「やっと戦争が終わった」……みたいな感じでしょうか。

な: 後路が言うてくれた通り、ホンマに戦争みたいやった。一体誰と戦っていたんやろか。そういう虚しさから解放されたことで、涙が出たんやろなと思ってる。俺はPLで野球をやめてデザインの専門学校へ行ったやろ。そこはホンマに“THE・多様性”みたいな世界で、これまでいた世界とは真逆の価値観やった。俺は運がよかったのかもしれないけど、高校の偏狭的な価値観を引きずったまま社会に出てしまう子もいる。ヤバい奴がヤバい奴を生んでいく連鎖が生じるという仕組みもよくわかった。ただ、このPLの仲間との思い出というのは、どこの誰ともかぶらへん、一生もんのエグイ財産を手に入れたことは間違いない。

後: ホンマにそうですね。PLには本当に愛がありました。他の高校でイジメやシゴキみたいなもんがあるといくつも聞きましたけど、僕らは基本に尊敬があるので、上下関係にも愛があったと思いますよ。

な: 山田と後路と、野球の話ができたのは貴重やったわ。はじめてよな。山田は飄々としているから、大学進んで、やめてから、それまでの時間を埋め合わせる飲み会もやったり、バーでサシ飲みもしたけど、野球の話なんか全然せえへんかった。

山: そうですね。誘っていただきました。後路はないやろ。

後: ないです。うらやましいです。

山: 出川さんの愛情は、俺のほうが今だいぶリードしとんで。宇都宮には負けるけどな。

後: まゆ毛の逆手フェザータッチ覚えて来るんで、今度サシ飲みお願いします!

【終】

 

 

文責:編集部

※本鼎談は2024年6月、感染対策をして取材を行いました。
※本鼎談は41巻の後編です。

 

 

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*1:ランナーコーチ