『猫奥』①巻 大重版記念よみもの「江戸時代は猫時代のはじまり」

滝山と吉野ちゃんが暮らす大奥を飛び出して、江戸時代の人々と猫たちの暮らしぶりをご紹介! 江戸時代の2大猫好き有名人の猫エピソードや、滝山に勝るとも劣らぬ大奥の猫好きであるあのお方の「リアル猫奥」話も! 江戸時代の人々も現代の我々と同じように猫と暮らし、猫を可愛がっていたのです!

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「モーニング」にて大好評連載中! ほのぼの江戸猫日常漫画『猫奥』の大重版を記念して、本誌で大反響だった記事を再掲載! 顔が怖いせいで、周囲から恐れられている大奥女中・滝山と、彼女がこっそり愛を注ぐ猫・吉野ちゃん。江戸時代、この一人と一匹がどのように生活していたのか、その暮らしぶりをご紹介します! 滝山に勝るとも劣らぬ大奥の猫好きであるあのお方の「リアル猫奥」話も! 江戸時代の人々も現代の我々と同じように猫と暮らし、猫を可愛がっていたのです!

文・桐野作人(きりのさくじん)歴史作家。武蔵野大学政治経済研究所客員研究員。著書に『猫の日本史』『龍馬暗殺』などがある。

まずは江戸時代以前の猫のお話から!

猫はヒモにつながれていた!

弥生時代の遺跡から猫の骨が出土するというから、日本での猫と人間の付き合いは二千年以上になる。

おそらくネズミを捕るために大陸から渡ってきて、奈良時代以降にペット化し、首輪やヒモでつながれて飼われるのが一般的になった。記録で残るかぎりでは、はじめ、天皇や公家など上流階級にペットとして飼われていたことがわかる。戦国時代になると、庶民も飼っていたようだ。

信長は猫の天敵…!?

織田信長の猫にまつわる逸話を紹介しよう。もっとも、天敵としてであるが…。奈良に興福寺という大寺院がある。天正五年(一五七七)、奈良に信長の家来たちが乗り込んでくるというので、あちこちから同寺に猫が預けられたという。もちろん無料というわけではなく預かり料を取った。なぜ金を払ってまで猫を預けたのか。信長の家来たちは主君信長が飼っている多数の鷹の生き餌として猫を捕獲しようとしていたのだ。

当時、大きな寺院は「アジール」(聖域)と呼ばれる俗界の権力の介入を拒否できる治外法権のエリアだった。さすがの信長も手を出せない。それを知っている庶民たちは可愛いペットを守るためにお金を払ってでも災難を避けようとしたのだ。

そして猫時代がはじまる!

放し飼いの理由は「ネズミ」

そんな猫たちの生き方が一八〇度変わるときが来る。徳川政権の登場である。

戦乱の世が終わり平和な時代になると、経済活動が活発になった。そうなると増えるのがチュー害(鼠害)である。蔵の米穀をかじられることが多くなった。ときには人間の赤ん坊さえかじられた。長屋に住む庶民は和傘や襖、障子までかじられた。貼り合わせる糊の原料が米だったからである。

そんなチュー害に苦しむ庶民の声が届いたのか、裕福な商人が多い京都では、行政機関の所司代が猫を放し飼いにせよとお触れを出したのである。

この政策の目的は猫を放し飼いにすることにより、町にあふれるネズミたちを退治してもらおうというものだった。

江戸猫トリビア

食事はご飯にカツオ節や汁をかけた「猫まんま」が一般的。器にはアワビの貝殻が使われた。

馬より高い値がついた猫

今では猫の放し飼いは当たり前だが、このお触れが出る前は猫はヒモにつながれて飼われるのが一般的だった。

猫の放し飼いによって、改めて猫がネズミを捕る益獣だと認識されるようになった。そのため、ネズミ捕りがうまい猫は重宝され、高値で売り買いされることもあった。たとえば荷の運搬をする駄馬が一両だったとき、ネズミ捕り名人の猫は五両という高値だったというから驚きである。

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▲吉野ちゃんもネズミ捕りがうまい猫…?

江戸猫トリビア

障子の一角だけ貼らないでおいたり、壁に穴をあけたり、現代のキャットドアのようなものもあった。

外は危険がいっぱい

もっとも、猫にとっては、放し飼いは自由が得られるかと思いきや、受難の時代の到来でもあった。迷子になるくらいはまだいいほうで、あちこち遊びに行けば、犬など大型動物に狙われる。往来では大八車に轢かれてしまうなど散々だった。

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▲滝山の部屋子が実家で飼っていた猫は狸のえじきに。

江戸猫トリビア

硯箱のフタなどに砂を敷き詰めた、現代と同じような形の猫のトイレもあった。

幸運を招く猫

幕末になると、猫は縁起物になった。招き猫の登場である。庶民は祭りの屋台などで招き猫を買う風習ができた。右手を挙げているのはお金を招き、左手を挙げているのは客を招くとして、とくに商売人に重宝されたのである。招き猫の発祥の地のひとつである世田谷の豪徳寺は今でも奉納された招き猫であふれかえっているほどだ。

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▲豪徳寺に奉納された招き猫

江戸猫トリビア

飼い猫の調子が悪くなったら、薬を処方してもらいに猫医者に連れて行っていた。

これぞ「リアル猫奥」

ここまでは庶民と猫について見てきたが、最後はやっぱり大奥の話で締めることにしよう。

幕末の激動を生きた篤姫[あつひめ](一八三五~八三)は島津家の姫として生まれて大奥に入り、十三代将軍・徳川家定[いえさだ]の御台所となった。

養父で幕末の名君として知られる薩摩藩主・島津斉彬[なりあきら]は政治的な思惑から篤姫を大奥に送り込んだといわれる。それはともあれ、篤姫は夫・家定と仲睦まじかったという。

島津家は珍犬のブリーダーといってもよい家で、とくに狆[ちん]をたくさん飼育していた。

そうした環境で育ったので、篤姫も大奥で狆を飼おうとした。ところが、家定が犬嫌いだったため、猫を飼うことになった。

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▲本当は犬が飼いたかった篤姫

篤姫とサト姫

はじめ、「ミチ姫」と名づけた猫を可愛がっていたが、ほどなく死んでしまった。

その後、中臈[ちゅうろう](篤姫に仕える女房)が飼っていた猫が産んだメスの子猫をもらい受け、「サト姫」と名づけた。サト姫は長生きして十六歳まで生きた。サト姫には三人もの世話役がいたという。

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▲吉野ちゃんの世話係は美登一人 

大奥では、歴代将軍の命日など精進日が月に七〜八回あり、魚など生臭い物が食べられなかった。そのため、サト姫用にドジョウやカツオ節などが出されたが、その費用だけで年間二十五両もかかったという。現代の貨幣価値にすると二五〇万円くらいだろうか。さすがにファーストレディの飼う猫である。

身分は人間より上?

サト姫は紅絹紐[もみひも]の首輪に銀の鈴を付けられ、一ヵ月ごとに取り替えられた。

日頃は篤姫の着物の裾に寝そべっていたが、専用の縮緬[ちりめん]の布団もあった。

彼女は行儀もよかった。奥女中たちの部屋に入ってくると、女中たちが「お間違い、お間違い」と声をかける。するとおとなしく篤姫の部屋に帰ったという。人間が猫に敬語を使うのだから、さすが篤姫のペットである。

篤姫と家定との結婚生活はわずか三年だけだった。家定が病弱だったためである。

未亡人として長く寂しい生活を送らねばならなかった篤姫にとって、サト姫はなくてはならぬ伴侶だったといえよう。江戸の昔から我々が生きる現代まで、猫は常に人々のそばで喜怒哀楽をともにしてきたのである。

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▲花町がこはるちゃんにかけてる額は年間二十両

 

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