原稿の遅さが「売り」!? 幸村誠インタビュー(2)

『プラネテス』は1巻で終わる予定だった!? 『プラネテス』『ヴィンランド・サガ』の幸村誠が、今だからこそ話せる創作秘話第2回。

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コミックDAYSインタビューシリーズ

1回 「幸村誠」(2
取材:構成=木村俊介

 

幼少期、漫画家を目指すきっかけ、傑作の誕生秘話――

なかなか表に出てこない漫画家の真の姿に、かかわりの深い担当編集と共に迫る。

 


 漫画家――幸村誠 作品に『プラネテス』『ヴィンランド・サガ』など

 編集者――金井暁 初代担当編集で現「アフタヌーン」編集長


 

第1回はこちら

 

 

第2回 「原稿がどのプロセスで遅れるのか」という愚問……?

 

苦しんだのは「想像と実物との間にあるギャップ」

 

幸村誠 金井さんに「漫画を描いてみないか?」と言っていただいてから、のちに『プラネテス』の第1話になるネームを渡すまでにかかったのは、2ヵ月ぐらいだったように思います。

困ったり悩んだりもしなかった。頭の中に入っているものを出してみたら、それくらいの時間がかかったという感じでした。見ていただき、ほぼそのまま「モーニング」に掲載してもらうことになりました。

でも、そこから絵を描くだけなのに10ヵ月間もかかってしまったのは、頭の中でイメージしているものと実際に紙に描いてみたものとの間に、あまりにもギャップがありすぎたからですね……。

なんで、紙に描いたらこうなってしまうのだろう。思ったとおりに描けないというのが、いちばん苦しかったなぁ……。

だから、ほぼ1年かかって完成させた時でさえも、「……かなり良くなったし、今の自分にとってはこれが限界だろうけれど、それでも、これは思ったとおりのものではない」と感じていました。自分の絵はなんてヘタなのだろう、とも思い知って。

時間はかかるし、仕上げまでしばらくはロクに眠ることもできなかった。だから、「漫画でごはんを食べていくのは、僕には到底ムリなんだろうな……」という感想しかなかったんです。最初の作品を描いた直後には。

 

金井暁 ネームは、はじめてもらった時からほとんど今の『プラネテス』第1巻の初回に掲載されているとおりで、おもしろかったんです。「編集が直す」だとかいうようなレベルにはなかった。

編集としてファインプレイをしたと言えるのは、通しのタイトルをつけるように提案して『プラネテス』という名前になったという、そのことぐらいなんじゃないのかなぁ。

もしも評判が良くて、今後も雑誌に連作として掲載され続ける漫画になるのならば、初回ぶんを雑誌に掲載した際の「屑星の空」という題名のままでは連載にしづらいと感じていたので。

 

幸村 当時、大学でギリシア語を専攻していた中学校の頃からの友人に相談したら、宇宙の話だったら『プラネテス』はどうだろう、と名づけてくれたんです。

 

金井 週刊連載になるといいとさえ思っていたんですが、それは描くスピードという点でぜんぜん実現しなかったですね……(笑)。

 

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『プラネテス』第1話の扉ページ。当初は「屑星の空」が作品タイトルだった。

 

軌道計算のせいで、予定していた展開がボツになってむかむかして……

 

金井 その後、『プラネテス』は連作の不定期連載になりました。雑誌掲載時のアンケートも良くて、第2話目以降を続けること自体は編集部内でも割とすぐに「いいぞ」と言われたんです。でも、担当編集者としての心が折れかけるぐらいネームはあがってこなかったなぁ……。

「終わりまでできあがりました」とネームを持ってきてくれるまでに、本当に時間がかかっていたんです。できそうです、できそうです、というところまでは電話で経過を聞いているんですが、問題はそこからで……。

覚えているのは、月面上の滑走路で宇宙飛行士たちが将棋をするという場面を入れようとしていたネームの際に、幸村さんが軌道計算にかなり入れ込んでいたところ。

事実と合うようにするために、軌道計算でいうならどうしたこうしたとやっていたと思ったら、「計算してみて、よくわかりました。この時期に月の滑走路で将棋をする、というのはありえません」と報告されたという……。

え、あれだけ時間をかけてきてえんえんと話し合っていた1話が、軌道計算が合わないからって理由で丸ごとお蔵入り……?あれは、むかつきましたね(笑)。

 

幸村 何年の何月何日には満月になっていないだとかいう天体の運行は、確実に予測できることばかりでブレることは許されないんです。特に、僕もそうでしたけれどSF好きはそういうところには厳しいですから。

 

金井 それもわかるんだけど、当時の流れの中では事実の考証を気にしすぎているように感じられたんです。

名作を例にあげれば「潜水艦から大音量のモーツァルトが聴こえてきます!」と敵艦のソナーが感知するのなんて、ソナーが音として探知するのは人には聞こえない音域も含めてだから、厳密に考証したら、深海から「大音量のモーツァルト」が不気味に響いてくることは「あるわけない」かもしれない(笑)。

でも、時にはそういう「ありえないからこそのおもしろさ」だって出てくるというか、フィクションとしての説得力があれば、魅力的じゃない……?

 

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※かわぐちかいじ著『沈黙の艦隊』より。「深海に鳴り響くモーツァルト」という斬新なアイデアは読者に衝撃を与えた。

 

幸村 僕が「モーニング」を買うきっかけになった『沈黙の艦隊』のことですね……。おもしろかったなぁ。

学生時代に単行本版で読んでいたんですけど、いよいよ終わりそうという頃には「今から雑誌を読んでも、まだ単行本には収められていない数話ぶんの物語は飛んでしまう。でも、そうなっても最終回はぜひリアルタイムの誌面で見届けなければ!」となりました。

たしかに当時は、おもしろさを多少は犠牲にしてもいいというぐらい、考証をしっかりやっていましたね。時間が経った今なら、フィクションを描く漫画家として良くも悪くも、もう少し「ウソつき」にもなってきているわけですけれども……。

 

金井 少しずつ連作がたまって第1巻が出た時は話題になってくれました。出版業界では「何冊売れたのか」も大事ですが、「ある特定の部数に対してどのぐらい売れたのか」という消化率もとても大事なんです。

『プラネテス』は初版2万5千部からのスタートだったから、同時期に刊行された初版30万部ぐらいのヒット作に比べたら実売部数だとはなから勝負になっていないものの、消化率が抜群に良くてビックリしました。あれよあれよと重版が続いて。今も売れていて、部数もたいしたものになりました。

カバーのデザインに関しては、もちろん最終的なものは気に入っているんだけど、決まるまでは、もう、幸村さんと喧嘩して、デザイナーさんとも喧嘩して……。

人物の目線を読者のほうに向いているものを描いてほしいと言っただけでも、「いや、背中を向けた構図でやりたい」と一悶着になったりもしたんです。

僕も今では読者に目線の合うカバーばかりがいいと思っているわけではないので幸村さんの意図もわかるんですけど、当時はなんとかお願いしてはじめての読者と目が合うようにしてもらいました。

 

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激しいやり取りの末に生まれた『プラネテス』第1巻のカバー。

 

金井 幸村さんやデザイナーさんはもちろん、単行本の時に関わってくれた編集者もすごく頑張ってくれました。

たとえば、すべてのページをカラー扱いになる仕様にして、各回のはじめ数ページに入るカラーの原稿が活きるように「お金はかかるけれどそうしましょう」と言ってくれたり。いい本にするために頑張ってくれたんですよね。ありがたかったなぁ。

 

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第1話「屑星の空」より。
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第3話「ささやかなる一服を星あかりのもとで」より。
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第4話「ロケットのある風景」より。
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第5話「IGNITION-点火-」より。

『プラネテス』第1巻では収録の5話中4話にカラーが付いている。

 

金井 一方で、幸村さんのほうは『プラネテス』の第1巻を描いたぐらいの時点ですでに、今やっている『ヴィンランド・サガ』を描きたいと思っていたんです。

だから、単行本が話題になったぐらいのタイミングで編集長のところに意向を伝えにいったこともありました。

夕方の3時か4時ぐらいの、早めの時間帯だったんじゃなかったかなぁ。そうしたら、これまでさんざん待たせてようやく第1巻がまとまって、しかも、ありがたいことに単行本に読者もついてきてくれているという時に、「すぐにでも、ヴァイキングものを描きたいと言っています」なんて伝えたものだから、もう亡くなってしまった編集長なんだけれども、なにも言わずに机のいちばん下の引き出しを開けて……。

編集長は酒が好きで、そこには「一刻者(いっこもん)」が入っているんです。黙ってそれを出して、目の前のコップにぐびぐびとつぎだして飲み干す。それで、「……ふざけるんじゃねぇ!」と言われまして(笑)。こちらも、「いやぁ、そりゃそうですよねぇ、そうだと思っていました」という感じでしたけれども……。

 

幸村 でも、そうして編集長からも続けて欲しいと望まれていることは、ありがたかったんです。それなら、「まだ少しアイデアを残しているからそれを描き尽くすまでは続けましょう」と金井さんに相談して、じわりじわりと連作を進めて最終的には第4巻まで続けることになりました。

 

連載を続ける中で、「我が身ひとつの方針」はなんとか見つけられた

 

幸村 『プラネテス』の連載は20代の頃で、まだ、自分自身に対して、なんの決着もついていなかった時期に模索をしながら描いていたわけです。

生きる「よすが」も哲学も持っていなかった。自分はごく単純な「欲望」で動いているか、周囲への「反応」で動いているかだけで、昆虫みたいなものだな、などと考えながら連載を続けていました。

漫画を描くことは、いつもつらかったんです。はじめての連載で続け方もわからなかったし。

いい反響で喜んでいる自分に気づけば、僕は内面的な思想や理想を持って生きているつもりだったけど、さっき言ったような欲望や反応で動いてものごとの表面的なところに支配されているだけなんじゃないのかなぁ、と小難しいことに思い悩んでいました。でも、若いんだからそういうことも考えますよね?

なぜ生まれてきたのか。どう生きたらいいのか。若いのに、そういうことを考えないほうがおかしいかもしれなくて……。僕は、そういう疑問を、『プラネテス』を描きながら考えていたところがあったように思います。

運のいいことに、僕はこの作品を4巻ぶん描くまでの間にある程度ではあるけれど、我が身ひとつのことについてだけで言うのなら「こうしたらいいのではないか」という方針をなんとか見つけることができたんです。それが『プラネテス』の作品内にも表れている。

自分には、漫画という「考える装置」みたいなものがあって良かったな、とつくづく思うんです。

 

金井 単行本で第3巻の前半ぐらいを描いている頃、電話がかかってきましたからね。

「……今、悟りが開けました」って(笑)。「マジで?悟りって開けるものなの?」ってビックリしました(笑)。

 

幸村 自分なりに真剣に考えた内容を切実に描くということに関しては頑張ったつもりですけど、それで読者にとってはおもしろいのかということについては、考えてもなかったし、わからないままだった……というのが、『プラネテス』を描いていた時の率直な実感なんです。日記のような作品なのかもしれませんね。

 

金井 僕も『プラネテス』は最後まで担当したかったんですけど、第3巻に収録されている「風車の町」という回まで担当して異動になりました。

 

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金井氏が最後に担当した「風車の町」の扉ページ。

 

金井 その後は、僕の次に担当になってくれた後輩編集者から幸村さんの様子を聞きつつ、いつか「編集長に怒られたヴァイキングの漫画をはじめられたらいいなぁ」と思っていたんです。

『プラネテス』が完結した後に、「(週刊少年)マガジン」でまた担当にならせてもらって『ヴィンランド・サガ』がはじまったわけですけれども……。

後輩編集者が言うには、「幸村さんの描くスピードは上がっている」「週刊連載もいけるぐらい」「僕が太鼓判を押します」ということだったので、僕も「いけるだろう」と「マガジン」での連載を提案したんだけれど……後輩の太鼓判は、ぜんぜん太鼓判ではなかった(笑)。

割とすぐに月刊の「アフタヌーン」に移籍しているわけだからさ……。

 

幸村 本当に「マガジン」さんには、かなりのご迷惑をおかけしまして。さっきの太鼓判って話は、本当に三文判でしたよね……(笑)。

 

金井 その後は、幸村さんの原稿の遅さはことあるごとに正確に伝えるようにしてきました。いろんな意味で、本人にも周りにもためになるから。

のちに『ヴィンランド・サガ』で講談社漫画賞を受賞した際にも、「アフタヌーン」の誌面では「講談社漫画賞受賞!」「そして休載!」と広告を出しましたからね(笑)。

 

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「アフタヌーン」20127月号に掲載された前代未聞の広告。

 

金井 今ではもう、原稿の遅さは浸透して幸村さんの「売り」にさえなっています。

そうなると、二言目には「幸村さんってどのプロセスが遅いんですか?」「ネームですか、作画ですか、それとも取材なんですか……?」などと「愚問」を出してくる後輩編集者もいるんだけども、僕の答えは「ナメたことを訊くんじゃねぇ。どのプロセスが遅いかって……『全部』じゃ!」という(笑)。

「工程のうちの特定のひとつだけが遅くなる」なんて人のことを「遅い」とは言わないんですよ。幸村さんの「遅さ」というのは、もう、ライフスタイルの問題なんだから……。

 

幸村 僕は、ごはんをよく噛んで食べるタイプなんです(笑)。

 

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