お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3)

幸村誠にとって漫画はウンコ!? 衝撃の傑作誕生秘話。

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コミックDAYSインタビューシリーズ

1回 「幸村誠」(3
取材:構成=木村俊介

 

幼少期、漫画家を目指すきっかけ、傑作の誕生秘話──

なかなか表に出てこない漫画家の真の姿に、かかわりの深い担当編集と共に迫る。

 


 漫画家――幸村誠 作品に『プラネテス』『ヴィンランド・サガ』など

 編集者――金井暁 初代担当編集で現「アフタヌーン」編集長


 

1回はこちら

 

2回はこちら

 

 

第3回 これから、いちばん描きたいところを描くことになる

 

編集者と話し合った内容は5年後ぐらいに開花してゆく

 

幸村誠 僕は漫画を描きはじめて20年ほど経ちますけれども、いまだに「なんで人間は週刊で漫画を描けるのだろう?」とは思います。まだできていませんから。

 

金井暁 幸村さんは「そもそも、漫画をめぐる出版の構造がおかしいんだ」って、よく言っているもんねぇ……(笑)。

 

幸村 それでも、『ヴィンランド・サガ』が「アフタヌーン」に移って、ときどきはお休みをいただきながらですが、まがりなりにも1ヵ月に1回のペースで描き続けられるようになる頃には、自分なりにではあるけれど「……これなら今後もごはんを食べていけるかもしれない」とは感じました。

「漫画家としてやっていける」みたいな感覚というより、社会人として「なんとか生きていけるかもしれない」とようやく思えるようになったというか……。それは、うれしい感覚ではありました。

 

金井 『ヴィンランド・サガ』、いい作品ですよね。特に、いわゆる「奴隷編」と言われるシリーズがはじまる前の単行本1冊ぶんぐらいの鬼気迫る展開は、幸村さんの漫画にも考え方にもずっと触れ続けてきて構想も事前に知っているはずの僕が読んでも「これは、ちょっと本当にすごいわ……」と感心しましたから。

 

幸村 ただ、これは完全に自己肯定のための言葉なのかもしれないけど、「多くの人に向けて定期的に原稿を描き続けることだけが漫画家の存在意義というわけでもない」とは、昔もそう思っていたけれども、今も忘れたくないと思っています。

漫画家って、本当はもっと広いものを指す言葉なのではないでしょうか?

言ってみれば、「おれは漫画家だ」と宣言すれば、誰でも今日から漫画家なんだと思うんです。作品を1本だけ描いてそのまま10年経ったって、それも漫画家でしょう。いや、漫画を描いて誰にも見せず引き出しにしまっている人さえ、漫画家と言えると思います。描いているんですから。

職業的に特定の雑誌に関わっている場合にだけ、週に1本だとか1ヵ月に1本だとかを続けて単行本だと年に何冊ぶん描かなければならない、とかいうルールがあるんですよね。

僕自身「そうやって量を描き続ける業務を遂行してこそ職業漫画家だ」と誰かに決められている世界に暮らしてもいるわけですが、一方では、それだけが漫画の本質ではないかもしれないと距離を置く必要もあるとは思うんです。

うまく言えないんですが、「画一的なルールにハマりこんだ活動を続けるだけで、自分は本当に生きていると言えるのだろうか?」と疑うことも、僕としては、大事なように感じてきました。

漫画家として、このままこうして漫画を描くばかりの毎日に疑問を持たずにいることは危険だなとも思いますから。あまりに出版の世界における常識の中に埋没しすぎたら、結局は多く売れた漫画ばかりを「うまくいった」「良い作品」と捉えて、たくさんは売れなかった漫画「だめになった」「悪い作品」と捉えてしまう可能性があるかもしれません。

でも、「読者に本当に喜んでもらえたのか」だとか、「それぞれの漫画家が人間として十全に生きたのか」だとか、そんなことまでは画一的なルールでは決められませんもんね。もちろん、漫画に打ち込んでいる同業者たちを「くさす」つもりはないんですよ。……なんか今、最後のほうはポリコレを気にしすぎた人みたいに語りましたが(笑)。

 

金井 いや、ポリコレを気にするなら、今の話で幸村さんが漫画家として占める位置は、ポジショントークとしてどこかおかしいけど……(笑)。

 

幸村 いま描いている『ヴィンランド・サガ』でありがたいのは、テーマを決めて、それを表現するために長く準備をして、プロットをひと通り考えてみてからはじめられたところなんです。それは、『プラネテス』のようにそのつど考えていたのとは違います。だから、1ヵ月で描けるんですよ。

担当編集の方たちと相談する内容は、おおむね次はこうなるはずという話で。ネームよりも前に、そういう話し合いがあるという感じですよね。

 

金井 現在進行形で幸村さんが描いているのは、「5年ぐらい前から話してきた内容」というようなイメージがあるんです。だから、目の前のことだけではなく、ずいぶん後になって出てくる展開も含めてナチュラルに話し合いを続けてきていますね。

だから、さっき言った「奴隷編」に入る直前なんて「これで、ついにじわじわ積み重ねてきた最初のエピソードが完結する……!」と感極まって、万感の思いをこめてページの最後に「The prologue reached its climax」とアオリを入れたんです。

それを読んだある書店員の方から「ふざけないでください。どんだけプロローグが長いんだ……!」って突っ込みの電話がかかってきたけれども(笑)。

 

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※金井氏がアオリを入れた2009年5月号の最終ページ。「アフタヌーン」に移籍して3年あまり経っていた。

 

6歳から描いたのは読者との断絶を埋めるため

 

幸村 この『ヴィンランド・サガ』でいちばん描きたいと思っていた場面が、そろそろ見えはじめているんです。そうは言っても、実際に行き着くまでには1年ぐらいはかかるだろうけれども。そうやって、連載がはじまった12年も前からずっと「これを描くんだ!」というところにようやく漕ぎ着けられているのは、うれしいですよね。

それだけ大事な部分を描くには、人物もある程度は経験を重ねてなければいけなかった。だからこそ、成熟を描く必要もあったんです。

もちろん、初回から素晴らしい人格を備えていたり、登場した時点で多くの経験を積んだ後だったり……というようなキャラクターを描けば、こんなに時間はかからなかったのかもしれない。でも、僕はキャラクターをはじめから描きたかった。

だからこそ、大変に多くの欠点も抱えた6歳の男の子からスタートして、ある程度ではあるけれど、漫画の物語を通して経験を重ねた男性にまで育てあげたんです。それは、いわゆる「英雄」とされる存在と読者との間の断絶を埋めるつもりでやったことでした。

僕が小学校の頃に愛読していた漫画で言えば、『北斗の拳』のケンシロウは最初から強かったですよね。当時の僕をはじめとするような読者からは、及びもつかない理想のヒーローです。

僕たち読者というのは、作中で言ったらせいぜいバットというキャラクターぐらいの立ち位置であって、絶対にケンシロウに追いつけない。ケンシロウは幼少期から内面も含めて素晴らしいんです。生まれつき勇気もあり、自己犠牲の精神や優しさも兼ね備えて、たいした子どもだなぁという存在で……。

 

金井 あの……今の話の具体例は、できれば講談社コンテンツで言ってくれたらありがたかったんだけどね(笑)。

 

幸村 (笑)。ははは。まぁ、要するに「ヒーローは普通の人と異なる存在とされている」ということです。でも、それってつまらないじゃないですか。

英雄だって小さい頃にはしょうもない時だってあったはず。それが僕の観点です。家族を困らせたり、社会に馴染めなかったり、大変なあやまちを犯したりした英雄もいるかもしれない。そんなヒーローならば、だめだった時期の経験もすべて無駄にならないような成長過程を経ているんじゃないか、という……。

はじめは未熟だけど、いつかは英雄になってゆく。そんな成熟のプロセスを描ける物語もいいじゃないですか。もちろん、そういう成長をしていくからには、人を爆死させるような特殊能力なんて持てない、常識の範囲内のヒーローには留まるわけだけれど。

ただ、心のあり方としてはどんな人でも成熟することはできるし、その点では英雄も読者も変わらないので、その過程を描くことから「自分らしいヒーロー像を見せられるだろう」とも考えたんです。そこまで来るのに20巻ほどのストーリーが必要だったのですね。

時間が経てば経験が増えていきます。経験が増えれば、それを経験する前にはもう戻れません。経験を潜り抜けた違う人間になっているはずなので。だから、『ヴィンランド・サガ』の登場人物たちはなにかを経験したらしたぶんだけ変わっていきます。そこの変貌もしっかり描こうと思っていました。

キャラクターたちは面構えや体形も変わり、傷を負った時も治るものでなければいつまでも跡が残る。髪や髭も伸びたり縮んだりする。痩せたり太ったりもする。考え方も変わるわけですよね。いつまでも同じ姿で服さえ変わらないような人物の描写は違うだろう、と考えてきましたから。

 

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※幼少期のトルフィン。少年らしい純真さがうかがえる。

 

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※現在のトルフィン。さまざまな経験を経て、精悍な男性に成長した。

 

漫画家の考え方の変遷も作品に直結させたほうがおもしろい

 

金井 いま幸村さんが話してくれたことは、登場人物の成熟についてだけでなく漫画家の成熟についても言えるように思います。

キャリアの初期に最もおもしろい作品を描くタイプの漫画家もいるし、経験を重ねるにつれておもしろさが深まるタイプの漫画家もいるわけですが、個人的には連載期間を通してゆるやかに変遷してゆく作家自身の考え方の変貌みたいなものが、作品に直結しているほうがおもしろいように感じるんです。

そうでなければ、もう少し短期間でフィクションをまとめ終えられる映画や小説との違いは活かせないと言うか。漫画の読者は、連載が続いている十数年間や、長い場合には数十年間も作品に付き合い続けるんですからね。それだけの時間を共にするフィクションなら、漫画家自身の変遷や成熟が見られないままでは読んでいて物足りなくなるんじゃないかなぁ……。

そうして漫画家が成熟していく中で、編集者のやれることというのは……たぶん、もっとおもしろい作品を読みたいという、その「もっと」の部分で強烈に腹を空かせて飢えていることのように思います。

漫画家は、すごく良い回を描いたら満足しているはず。そこで編集者の反応も「おもしろかったですね」で終わったら、いつ「今のままで充分」と思ってしまってもおかしくない。

でも、編集者というのはすごく良い回の長所は正確に理解しながらも、「非常におもしろかったです。この次には、どのぐらい『もっと』おもしろくなるんですか?」「さらにおもしろいものになるんじゃないですか?」とナチュラルに欲しがる腹ぺこな子どもみたいな人間であればいいんじゃないか、と言いますか……。

「さっきごはんを食べさせたのに、もう腹が減っているのかい」というような存在であれば、編集者として読者の代表にもなりうるように思います。

 

幸村 漫画を描きはじめた頃、金井さんに「漫画は読者から一生懸命に読まれるとは限らない」と言われて、なるほどと思ったことがあります。漫画家が一生懸命に描いたものも、本気で読まれるとは限らない、ということですよね。少し集中できなくなったら読み飛ばされるかもしれない。たしかに、小さい頃は僕も漫画雑誌にはそうして接していたもんなぁと。

だからこそ、「読んでくれるならなんでもやります。尻毛も抜きます」というぐらいのサービス精神も要るだろう、と今では思っているんです。描いたように読んでもらえるわけではない、という話ですね。

 

金井 幸村さんにそうやって受けとめてもらえた意味はわかるんですが、幸村さんが京都の大学で講演した時にもこの話題に触れて、僕にとってはひどいことになったんだよなぁ。

その講演には僕も同行して、脇で聞いていたんです。それで、幸村さんは「編集者から言われました」と、さっきの話をもう少し違うニュアンスで「おまえの漫画を読みたい人なんて、そんなやつは、もう本当に誰ひとりいないんだから!」みたいなセリフで説明していて(笑)。

「そう言った編集さんは、今日あそこで話を聞いています」と幸村さんが言ったもんだから、そこで聞いていた学生さんたちの僕を見る視線の敵意みたいなものが怖くてさ……(笑)。誤解されただろうなぁ。

 

幸村 (笑)。ははは。僕、言い方を間違えていたのね……。

漫画って不思議なものですね。漫画がなければ僕は溜まったものを発散できる場がなくて、SNSを大炎上させてから「世の中すべて燃やしてやる!」みたいに思っていたかもしれません。

でも、今の僕には思ったことを描いたら読んでもらえる場があり、おもしろいとさえ言ってもらえて、なんという幸運だろうと思います。

だから、僕は今すっきりしています。……と言うことは、僕にとって漫画とは、ほぼ「ウンコ」みたいなものなのかなぁ(笑)。

 

金井 記事のための良い見出しができたね。「僕にとって、漫画はウンコです」という……(笑)。

 

幸村 (笑)。漫画を下剤のように言っちゃった。まぁ、僕にとっての漫画はそうやって心が解放されるものと言うか、人前ではなかなか言えない本心を間接的に叫ぶこともできる「王様の耳はロバの耳」の穴のようなものなのかもしれませんね。

 

プラネテス1話目はコチラ!

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アニメ化決定!ヴィンランド・サガ1話目はコチラ!

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(おわり)