こんにちは。国府町怒児(こうまち ぬんじ)です。
変化の激しい現代でいかがお過ごしでしょうか。
私の聞いたところによると、時代の変化にはパターンがあり、歴史を知ることでそのパターンが掴めるそうです。
そんな歴史について描かれた漫画の一つが、『ヒストリエ』という作品です。
『ヒストリエ』とは
(『ヒストリエ 1巻』表紙 参照)
『ヒストリエ』(作・岩明均)とは、2003年より「月刊アフタヌーン」で連載されている歴史漫画です。
奴隷民族出身の書記官、エウメネスを中心に紀元前4世紀のギリシア(主にカルディア・アテネ・マケドニア)の様子を描いています。
2017年12月現在も連載中です。
この作品の特徴は、当時のギリシア世界の詳細な描写にあります。
どういった服を着て、どういった生活をし、そしてどういった思惑で歴史を進めてきたかが、ストーリーを追いながら自然に理解できます。
比較的身分の高い人たちの活躍がメインではあるものの、生活の豊かさには毎回驚かされます。
同時代はどうなっているのか
となると、「じゃあ同じ時代の他の地域では何が起きているのか」という点が次に気になってきます。
日本の高等学校で世界史の授業を受けた名残でしょうか。
そこで西欧世界と並ぶ世界史のもう一つの柱、中国史を参考に、紀元前340年頃の世界を比較してみましょう。
どんな時代だったのか
まずは、紀元前4世紀はどのような時代だったかを整理します。
(『ヒストリエ 1巻』109p 参照)
ヒストリエの舞台となるギリシアから説明します。
まず、ギリシアはアテネ、スパルタといった都市が国家としての機能を持っていました。
いわゆる都市国家という形態です。
こういった小さな都市同士が、ときに争い、ときに同盟を結んだりしながらひしめいている状況です。
マケドニアは、ギリシア北方に位置する田舎の都市国家の一つだったのですが、国家改革に成功し、他の都市国家と渡り合える国力をつけました。
その立役者となったのが、フィリッポス2世というわけです。
そして、アレクサンドロス大王に王位が渡ったときに国力は最盛期を迎え、ギリシアの統一に成功します。
(『wikipedia 戦国七雄』参照 ※地図は紀元前260年)
中国は、戦国時代(前403年~前221年)に当たる動乱の時期を過ごしていました。
韓・魏・趙といったいくつかの国同士が争いながら滅亡・分離・合併を繰り返している状況でした。
戦国時代248年間を通して大小222回もの戦争が行われたという資料もあります。
これは、秦による中国の統一が完成するまで続きます。
奇しくも、強大な力の国家による統一の前夜という状況が共通しています。
為政システム
次に為政システムも見てみましょう。
ギリシアは、都市毎に違ったカラーを持っていました。
特にアテネは、民主政という非常に現代に近い方式を採っていたことが特徴です。
自由市民(奴隷でない男性)の直接投票によって政治の方針を決めていました。
市民たちは、アゴラという広場のような場所に集まって、政治討論などを日常的にしていたという記録も残っています。
一方マケドニアは、国王が各地を治めるという形式を採っていました。
こちらは領土国家と呼ばれる形式です。
戦争によって国王の力を認めさせ、各地方から物資を調達して国を運営するという方法ですね。
(『ヒストリエ 7巻』158p 参照)
作中でフィリッポス2世が行軍しているように、国王自らも戦争時に軍を率いることも多々ありました。
戦国時代の中国は、マケドニアと同じく王政でした。
諸国が、管轄する地方から税や兵力を徴収するという方式です。
その前の春秋時代までは、都市国家が存在したのですが、武力でその土地を制圧した戦国時代の専制君主らによって独立性を失いました。
これらの多くは、県あるいは郡という区分になりました。
貨幣
ギリシアも中国も紀元前4世紀の時点で貨幣経済が導入されています。
(アテネ銀貨 『wikipedia アテナイ』参照)
ギリシアは、基本的に都市国家ごとに発行される貨幣が違いました。
主人公の育ったカルディアやアテネでは、スタテル貨と呼ばれる硬貨が流通していました。
スタテルというのは重さを表し、硬貨に混ぜてある金や銀の重さで価値が決まっていたわけです。
スパルタ辺りでは、鉄貨を使っていました。
マケドニアも同じく、スタテル貨を採用していました。
特別な出来事の際には、記念硬貨を発行する習慣もあったようですね。
(『wikipedia 中国貨幣制度史』参照 画像は布銭)
そして中国は、戦国時代に入って黄金及び青銅貨での流通が活発になります。
刀銭や布銭といった青銅貨が、国ごとに鋳造使用されていました。
戦争の形式
基本的に、紀元前4世紀のギリシアと中国は、年中戦争をしています。
しかしその戦いぶりは大きく違うようです。
(『ヒストリエ 4巻』88p 参照)
ギリシアでは、鋼鉄の槍と鎧を纏った重装歩兵たちが戦いの主力です。
きっちりとした隊列を組んで行進するため、急な方向展開は苦手ですが、高い攻撃力を誇ります。
製鉄の技術は、前1200年頃に既に伝わっていたと言われています。
その他、軽装歩兵や船の漕ぎ手、騎兵隊などが身分によって集められました。
(『ヒストリエ 1巻』54p 参照)
マケドニアも基本的に歩兵です。
盾のデザインや兜の形など、身につけているものが違いますね。
サリッサと呼ばれる長い槍を使うのが特徴で、この槍のリーチによって当時の周辺国に恐れられていました。
(『ヒストリエ 8巻』75p 参照)
海戦はまだ未発達ではあるものの、ギリシア・マケドニア共に既に艦隊を備えています。
機動力のないマケドニア軍の船が、散々に打ち破られる場面がありましたね。
紀元前4世紀時点の中国の戦争は、戦車兵(戦闘用馬車)、歩兵、騎兵、水兵が入り乱れて行われました。
戦国後期には、騎馬戦術が発達し、騎兵の重要性が増します。
具体的には、前307年に、趙の武霊王が騎馬部隊を編成しています。
そしてこれは、前329年にアレクサンドロス大王が騎兵隊を率いて東征した文化が広まった結果だと言われています。
ちゃんと繋がっているんですね。
製鉄技術で言えば、青銅から鉄への過渡期に当たります。
戦国時代の間に青銅の武器から鉄製の武器へと進化し、一般に普及したようです。
鉄の普及はギリシアに遅れたものの、一旦鉄を知ってからの技術革新は凄まじく、そこから200年ほどで世界トップの製鉄技術を手に入れます。
捕虜をどうしていたか
戦争をして勝つと、基本的には相手国から物資や人を奪えます。
その中で、獲得した捕虜をどうしていたのかという点に着目します。
(『ヒストリエ 1巻』131p 参照)
アテネを始めとした多くのギリシア都市では、完全に異民族は奴隷にします。
自由市民と奴隷という身分がはっきりと分かれていたんですね。
(『ヒストリエ 5巻』140p 参照)
一方でマケドニアは、異民族に対しては雇用主・労働者という関係にしていました。
給与を受け取り、労務を提供するという形で、買い取った奴隷による無償労働は主流ではありません。
異民族視点で見ると、ギリシアに比べて大分自由ですね。
これは、フィリッポス2世の性格なんですかね。
異民族出身のエウメネスを書記官に抜擢していましたし、あまり民族の違いに頓着しない様子が伺えます。
中国でも、戦国時代には奴隷を使った労役は弱まっていました。
この時代は戦争に勝つことが最優先で、そのためには身分よりも経済力や学識が求められたからです。
異民族でも能力があれば、登用の道は開けていました。
因みに春秋時代では、捕らえた異民族を奴隷として酷使していたようです。
文学
(『ヒストリエ 1巻』133p 参照)
ギリシア世界では、既にパピルスによる文書が出回っていた記載があります。
巻物状の書物だったんですね。
(『ヒストリエ 3巻』192p 参照)
さらには市場に書店もあったようで、ギリシアの自由市民であれば本に接することができました。
ヘロドトス、ホメロスといった名作を、ギリシア人が読了して身につけている様子も作中に出てきます。
(『ヒストリエ 6巻』32p 参照)
マケドニアにも、大きな王立図書館のある描写が出てきます。
(『wikipedia 論語』参照)
中国では、諸子百家と呼ばれる思想家たちが盛んに弁論を競っていました。
戦国時代という激動の時代の中で、為政者たちが思想的な拠り所を求めたため、数多くの思想が生まれています。
『論語』『老子』『荘子』といった現代にも名を残す書が記されました。
前4世紀ということでは、孟子(前372-前289年 諸説あり)がちょうど渦中にあったといえそうです。
その他の特徴としては、四言詩のような韻文の発達が挙げられます。
建築
(『ヒストリエ 9巻』48p 参照)
ギリシアでは日干しの泥レンガを用いた建築が見られます。
屋根部分は、粘土の瓦を葺いていることが多いようです。
家の中を見られることを嫌ったため、窓は小さく、壁の高い位置にあります。
ガラスが発達していないため、窓には木のよろい戸が付けられています。
特に驚いたのが、水道らしき設備が整っているところです。
これは主人公が幼少期にいたギリシアのカルディアという小都市ですから、
さらに都会のアテネにもこのような設備があったと考えられます。
(『ヒストリエ 2巻』100p 参照)
(『ヒストリエ 3巻』95p 参照)
一方で、主人公が一時期身を寄せていたボアの村では、木で組んだ家が主流であったことが分かります。
この辺りは、まだ都市と地方で地域差が大きいのでしょう。
(『ヒストリエ 5巻』134p 参照)
マケドニアでもレンガ作りの建造物の数々を見ることができます。
中国では、木造をベースにした建築が中心でした。
木材を中心に、石、塼 (せん) 、鉄、銅などでところどころ補強しながら建造物を作っていました。
この時代の王たちは、権力を誇示するために基礎を高くした、高台建築と呼ばれる作り方で宮殿を建てたのも特徴です。
さらに同時期に、瓦の技術が開発されました。
食べ物
食べ物には、やはり東西で差があるようです。
ギリシア世界では、地中海三大作物(小麦・オリーブ・ブドウ)を使った食品が主流でした。
たんぱく源は、魚やチーズから摂っていました。
(『ヒストリエ 4巻』11p 参照)
他には、主人公がアテネで干し肉を食べる場面がありましたね。
(『ヒストリエ 5巻』142p 参照)
ギリシア・マケドニアいずれも酒を楽しむ文化がありました。
酒宴(シュンポシオン)という、男性だけの宴で酒を日常的に飲んでいました。
ギリシアがワインなどを水で割ったのに対し、マケドニアはストレートで飲むという文化の違いも作中で描かれています。
中国では、稲作が中心でした。
米以外にも、黍や粟、麦などの雑穀も満遍なく収穫しています。
戦国時代には鉄器と共に牛耕が導入され、人力に比べて4倍の効率で田を耕すことに成功します。
『管子』の弟子職篇に、「飯必奉攬、羹不以手」(「ご飯は必ず手でいただき、汁物は手で食べてはならない」 訳 筆者)という部分があります。
これにより、ご飯や汁物という、現代の食事の基礎が完成していたことが分かります。
さらに、汁物の記載から、戦国時代には箸が一般に普及しているとする説が濃厚です。
娯楽
ギリシア世界は、文化が大きく花開いたことで、娯楽も充実しています。
食べ物やお酒を囲んでの団欒は豊かなものでしたし、書物も充実していました。
その他、詩や演劇といった楽しみも市民の生活を彩っていました。
(『ヒストリエ 4巻』65p 参照)
ボアの村でも、酒を持ち寄って若者が夜通し語り合う風景が描かれています。
(『ヒストリエ 7巻』125p 参照))
フィリッポス2世に命じられてエウメネスが将棋のようなゲームを作っていますね。
紀元前5世紀の歴史書に盤上ゲームの記載があることから、ボードゲームもかなりの歴史を持っていることが分かります。
(『ヒストリエ 5巻』207p 参照))
王子のために木製のおもちゃを作るシーンもあります。
この時点で、歯車を使ったカラクリが使われているのはすごいですね。
戦国時代の中国ですが、都市では物資と黄金の集中のおかげで好景気が起こり、市民は割と自由を謳歌していたようです。
琴を弾いたり歌を唄ったりといった娯楽は日常風景でした。
その他では、闘鶏や蹴鞠といった日本に縁のある遊びも既に行われていました。
広大な土地だけあって、地区によってよく産出されるものがあり、例えば山東地方では漆や生糸、長江より南の地域では黄金や真珠、といった名産品が都市で自由に流通していた記録があります。
装飾にも困らず、物資の豊富さが想像できますね。
まとめ
以上です。
西洋と東アジアという離れた地域にありながら、意外と共通する文化がありましたね。
比較対象に触れたことで、一層ヒストリエを楽しめるのではないでしょうか。
それにしても両者の文化の進み具合はすごいですね。
え、じゃあ日本はどうだったかですって?
紀元前4世紀、日本は…。
(『wikipedia 弥生時代』参照)
石で稲を切っていたところに中国人が渡来してきて、青銅器・鉄器が同時に伝わるフィーバーが起きていました。
参考資料(URL最終確認は2017/11/16)
『ヒストリエ 1~10巻』2003~2017 岩明均 講談社
『中国史(上)』2015 宮崎市定 岩波書店
『古代中国の思想』2014 戸川芳郎 岩波書店
『中国古代農業の展開』1959 天野元之助 東方学報京都第三十冊
『中国春秋戦国期における商品経済の歴史的生成』2004 楊立国 季刊経済理論41-3 pp.75-84
『中国における古代の版築技術について』2002 鬼塚,克忠、陸江、唐暁武、甲斐大祐 土と基礎50-5 pp.26-28
『中国における箸の出現と普及』2008 高倉洋彰 西南学院大学 国際文化論集22-2 pp.1-32頁
『古代ギリシア 重装歩兵の戦術』2015 長田龍太 新紀元社
『図説 中国文明3』2007 稲畑耕一郎、劉煒、可洪、荻野友範 創元社