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【インタビュー】 鹿島アントラーズ 植田直通



植田直通という殻を破るために踏んだ大きな一歩

扉を開けてインタビュールームに入ってくる。186cmを誇る長身は、やはり迫力があった。精悍な面構えと鋭い眼光が、より一層、威圧感を増大させる。少し気圧され気味に挨拶をすませると、植田直通はニコっと笑った。

「『ジャイキリ』全巻持ってるんですよ。だから、うれしいです。漫画すごい好きなんですよね。ジャンル問わず、なんでも読むんです。最近は漫画について話すインタビューも多くて、むしろ、そういう取材ばかり受けているかもしれない(笑)」

意外なコメントに、身構えていたこちらの空気が一瞬で和んだ。闘争心あふれるプレーから、獣や武闘派と評される植田だが、やはり違う一面を持っているに違いない……。ただ、今はまだそこに踏み込むのは早いと思い、冷静に次の言葉を投げかけた。

「漫画の話ではなく、サッカーの話を聞きにきたんですけど、いいですか?」

「あっ、そっちなんですね。もちろん、大丈夫ですよ」

そう言って植田はもう一度、微笑んだが、目の奥には鋭さが戻っていた。



大津高校時代から突出した身体能力で注目を集めていた植田は、高校2年生のときにU-17日本代表としてFIFA U-17ワールドカップを経験。若くして世界の同年代と戦ってきただけに、プロになったときも自信があったのではないかと尋ねた。

「もちろん、やってやるって気持ちで、鹿島アントラーズには来ましたよね。絶対にレギュラーを奪ってやるという気持ちでした。想像と現実の違いはそこまでなかったですけど、やっぱり、プロの世界では学ぶことが多かった。身体能力には自信があったので、まずは、周りの人の技術を盗むことを常に意識していました。高校時代は自分の身体能力に任せてプレーしていても、どこか相手を抑えられていたところがあったんですよね。大袈裟に言えば、高校時代は(来たボールを)弾く、(来た相手を)潰すだけで良かった。でも、プロは違う。ボールを奪って、次にどうつなげるかも大切になる。プロになったばかりの頃は、大股で走る癖があったので、当時コーチだった(大岩)剛(現監督)さんから、足の出し方や足の運び方まで一つひとつ細かく指導されました」

プロ当初の話を聞いたのにはわけがあった。植田は、各年代の代表では2012年にAFC U-19選手権に出場し、2016年にはリオ五輪も経験した。一方、鹿島でのキャリアを振り返ると、プロ1年目の2013年はリーグ戦未出場。2年目こそ20試合に出場したが、3年目は12試合に減少した。チームがJ1で優勝した2016年も出場は21試合にとどまり、主力として1年間を戦ったのは昨シーズンが初めてだったからだ。

「だから、自分は育成年代の代表にたくさん呼んでもらえたことで救われたというか、成長できたところはあると思います。当時は、鹿島で試合に出ていても、代表の活動でチームを抜けることも多く、戻ってきたら(鹿島の)試合に出られないことも多かった。当時監督だった(トニーニョ・)セレーゾには、よく『代表に行くから試合に出られなくなるんだ』なんて言われてましたからね(苦笑)」

育成年代の代表では主軸を担いながら、クラブでは主力に定着できない日々——その状況に葛藤することはなかったのか。

「悩むことはあんまりなかったですね。悩むというよりも、悔しい。その悔しい思いがあるからこそポジションを奪うために、自分は何をしたらいいかをまずは考える。自ずと真剣に練習することこそが一番の近道になるので、いつチャンスが来てもいいように、いい準備をしておかなければいけないと思っていました。その悔しさを乗り越えたから、今があるとも思うんですよね」

つかめそうでつかめないレギュラーポジション。その繰り返しの中で腐ることはなかったのか。言葉を変えてもう一度、聞いてみた。すると植田は首を捻って、こう答えた。

「いや、あるかもしれないですね(苦笑)。でも、それじゃあ、ダメだなっていうのは思いました。人間誰しも悔しさはあると思うので、腐りかけたときこそ、しっかり取り組まなければいけないですからね」

ここで、ど真ん中にシュートを打ってみる。現監督の大岩剛がコーチ時代に、「あいつは植田直通という殻を破らなければいけない」と話していたのを、本人に問いかけてみた。果たして、その「殻」とは何なのか。植田は「自分ではよく分からない」とはぐらかしたが、しばらくして再び首を捻ると、語り出した。

「いや、やっぱり少し分かる部分もあるかな。自分はすごいプライドが高いので、最近まで人の言うことをあまり聞こうという姿勢になれなかったんですよね。以前は、チームメイトに何か言われても、聞く耳を持てなかった」

大岩監督の言っていた「殻」とは、まさにプライドのことでもあった。

「自分でもどこかで分かっていたんですよね。ここからさらに上に行くには、自分の力だけではダメだと思いましたし、周りのプレーを見て吸収するだけでは限界があるとも思っていた。だから、うまくいかないときこそ、チームメイトから言われたことを実践してみたり、自分に取り入れていくことをしなければいけない。だから、誰かに何かを言われたときに、反発したい気持ちを押し殺して、まずは聞いてみようと思った。そこからですかね。変わったというか、(プレーが)良くなってきたと感じるようになったのは」

時期で言えば、セレーゾが解任され、石井正忠前監督が指揮を執るようになった頃だという。聞く耳を持った植田は、次なる行動でも成長した。

「それからは聞くだけでなく、自ら聞きにいくようにもなりました。ホント、自分のプライドがあって、特に(自分から)聞きにいくことができなかったんです。でも、コーチや先輩、あとは後輩からも話を聞くことで、どんどん自分のプレーも良くなってきた。人に聞いてやってみると、こういう考えもあったんだという発見もあって、すごい新鮮だったんですよね」

今では自ら聞きにいく機会も増えたという。「そこに至るまで、だいぶ苦労しましたけどね」と植田は笑うが、「僕にとって、それはものすごい大きな一歩だったんです」と、照れながらもこちらを直視した。



高校時代から作り上げてきた武闘派のイメージ

ところで、植田本人は「武闘派」と表現されることを、どう捉えているのだろうか。

「別に嫌ではないです。むしろ、武闘派でありたいという意識のほうが強いですかね」

ただ、向かい合って話していると、受け答えは爽やかで23歳の青年らしさがある。挨拶を交わしたときにも感じたように、武闘派とはほど遠い真逆の印象を受ける。

「話すと思っていたイメージと全然、違うってよく言われるんですよね。ギャップがすごいって(笑)。僕をよく知る人からすれば、ピッチの中と外では全く違うみたいです。プライベートでは無口とまではいかないですけど、後輩にも『タメ口でいいよ』と言っているくらいですからね。それにインドア派だし、趣味も漫画とゲームですし(笑)」

やっぱり、そこに武闘派というイメージはない。そのことを読者に伝えていいかと聞くと、「ダメっすよ。世間では武闘派で通してるんですから」と言って冗談ぽく笑った。ただ、ここに植田の真意が隠されてもいる。

「サッカーをしているときは、何かもうひとりの自分がいるみたいな感じなんですよね。その領域に自分を引き上げるというか。やらなければという気持ちがこみ上げてくる。センターバックは自分たちが負ければ失点するわけだし、自分たちが一番戦わなければならないポジションだとも思うんです。実際、自分たちが戦っているプレーを見せれば、前線の選手たちも燃えるし、自分たちも前線の選手が戦っていれば燃える。そういった意味で、魅せるプレーというのもすごい大事だと思うんですよね」



聞けば武闘派というイメージは高校時代から作り上げてきたものだという。まるで漫画のキャラクター設定のようだなとも感じた。

「試合中はあまり熱くなるようなことはないですね。相手に対して文句を言うようなこともないですし、どちらかといえば冷静かもしれない」

試合中にはたびたび流血するほど身体を張ったプレーが多く、闘志を剥き出す姿ばかりがクローズアップされがちだが、その姿もまた、自身が思い描くセンターバック像を体現するためのものだった。それとは対称的に、向かい合った植田は穏やかなオーラを放っている。そのギャップに触れ、彼が考えに考えて、ここまで成長してきたことを知った。対面した瞬間に感じた「意外性」の正体とは、その優しさとクレバーさだった。それでも植田は、自信のある身体能力で勝負したいと話す。

「何でもできるようになりたいですけど、器用貧乏にはなりたくない。この世界ではやっぱり、何かしらの特徴を持っているほうが生きていけるような気がする。自分ならば、それは対人の強さだと思うし、そこにはプライドもある。負けず嫌いなところもあるので、やっぱり目の前の相手に負けたくない。それが一番ですね」



自身も成長を実感した昨シーズンについて聞けば、最終節に引き分け、優勝を逃した後悔を今なお噛みしめる。

「1 点、その重み、それをすごい感じたし、どこかの試合で僕らがゼロに抑えていれば、1失点減らして勝ち点を得ていればという悔しさがあった。優勝と2位では本当に全然違う。だからこそ、今年は1試合1試合にかける思い、1得点1失点に対する責任は、去年を経験したからこそ、より重くなっている。もう、あとで後悔したくないんです。だから、あとでそれを考えるのではなく、今の、目の前の試合に集中しなければいけないと強く思っています」

試合当日は、会場に向かう前にシャワーを浴びて着替えると、自然に戦闘モードへと切り替わるという。そこで穏やかな植田は、戦士にも近い闘志をまとう。ピッチに入場し、集合写真を撮った後、「三半規管を揺らすために」ゆっくりと前転するのは、これから始まる90分の戦いに備えた儀式でもあるという。

悔しさをバネに成長してきた。センターバックは経験がものをいう。殻を破った植田は、これからも悔しい思いをした分だけ、強く、逞しくなる。もちろん、すべてはその先にある歓喜のために——。 ⚽


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

植田直通(うえだ・なおみち)

1994年10月24日、熊本県生まれ。鹿島アントラーズ。DF。背番号5。186cm/79kg。
大津高校を卒業後、2013年に鹿島アントラーズへ加入。1年目はリーグ戦への出場は叶わなかったが、2年目の2014年に出場機会を増やした。昌子源とコンビを組み、センターバックとして鹿島の最終ラインを支えている。また、U-16から育成年代の日本代表に選ばれ、2016年にはリオ五輪に出場。昨年はA代表でもデビューを飾った。