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【インタビュー】 湘南ベルマーレ 秋野央樹



引っ掛かっていたネルシーニョ監督に言われた言葉

一度、自分自身をぶっ壊すには、外に飛び出す必要があった。今だからこそ、秋野あきの央樹ひろきはそれをはっきりと確信している。

「決して自分に自信がないわけじゃないんですけど、自分よりうまい選手はたくさんいる。そこと比べれば、自分はまだまだ下手だなと思いますし、そうしたうまいと言われる選手たちと勝負していかなければいけないことも分かっているんです。だから、今は自分の長所を磨くよりも、苦手なところを補っていければと。ちょっと極端な表現ですけど、例えば、うまいと言われる選手の攻撃スキルが『10』で、守備スキルが『0』だったとしますよね。それで今の僕の攻撃スキルが仮に『7』だとしたとき、攻撃の技術を磨いてプラス『3』するよりも、守備のスキルを『3』上げて、トータルで『10』にしたほうが、より早く戦える選手になると思うんです。昔から守備のところはあまり得意としていなかったので、そこは僕にとって永遠の課題というか……」

だから秋野は昨シーズン、湘南ベルマーレへと期限付き移籍した。決意に至る背景を知るには、小学生のときから過ごしてきた柏レイソル時代まで遡る必要がある。そこに今の秋野を形成する原点があるからだ。

「子どものころは足が速くて、キックフェイントだけで縦に相手を抜けちゃうような選手だったんです(苦笑)。プロになるまでには、サイドバックやボランチ、高校1~2年生のときはセンターバックもやりましたし、とにかくいろいろなポジションでプレーしました」

複数のポジションでプレーした経験は、今も自分自身の強みだと語る。一方で、プロになるためには、現実を直視しなければならなかった。

「でも、気がついたら周りもみんな足が速くなっていて、自分だけ遅いみたいな(笑)。スピードで相手を抜けなくなって、『あれ?』って。どうしようと思いましたよね。スピードもなければ、身体も細い、当たりにも強くない。自分自身の能力を認めざるを得なかったんです。だったら、(ピッチの)中央でプレーしたほうがいいなって思っていたときに、ちょうどボランチでプレーしたんです」

若い自分なりに試行錯誤して辿り着いた結果だったが、そこには楽しさもあった。

「センターバックだと、攻撃時は後ろでプレーするので、フリーすぎてどこか物足りなかったというか。ボランチだと相手がどこからボールを奪いに来るか分からないワクワク感があったり、相手の意表を突いたり、裏をかけたときはすごく面白かった。(自分のプレーする場所は)ここしかないなと思った」



加えてボランチでは、子どものときはとことん磨こうと励んできた長所が活きた。

「(子どものころは)それこそ自分の強みを伸ばそうと常に考えていました。だから、キックに関しては練習が終わった後に、ほぼ毎日のように自主練していました。中学生になってからは吉田よしだ達磨たつまさん(現・ヴァンフォーレ甲府監督)に、『どんな体勢でも同じようなボールが蹴れるようになったほうがいい』と言われて、あえてボールを外側に置いて蹴ってみたり、自分の身体を倒して蹴ってみたりと、工夫しながら練習してましたね」

その技術の高さが認められた秋野は、2013年に柏レイソルのトップチームへと昇格する。ただ、ユースとトップではボランチに求められる役割が大きく違った。

「プロ1~2年目はネルシーニョ監督だったんですけど、ボランチに対して求めていることが、ユースとは全く違ったんです。ネルシーニョ監督は、とにかくボランチが絶対に(相手の攻撃を)潰せって言う。でも、それまでの僕は、スペースを埋めるような守備しかできなかったので、人にアタックしに行く守備というのがほとんどできなかった」

指揮官の要求に応えられなければ、当然ながら出場機会は巡ってこない。ルーキーイヤーの2013年はリーグ戦2試合、翌年も7試合の出場にとどまった。

「悩みに悩みましたよね。ユースのときとは、練習でも試合でも選手のクオリティーが違いますし、パワーもスピードも違う。ネルシーニョ監督からも、『攻撃だけで生きていけるほど、プロの世界は甘くない』と言われました。言われたときには、全くその通りだなって思いました。結局、ネルシーニョ監督が指揮しているうちに、求めている守備ができたとは思っていないので……悔しいですけどね」

プロ3年目の2015年はユース時代の恩師・吉田達磨がトップの監督になり、翌2016年は、シーズン開幕直後にミルトン・メンデスから下平しもたいら隆宏たかひろが指揮権を引き継いだ。

「達磨さんのときは、自分がアンカーの位置に入ってボールを散らしたり、ゲームを組み立てることに重きを置いていたので、守備よりも、そこを意識するようになりました。苦手な守備に目を向けなくても、ある意味、許されたというか……」

指揮官が代われば、当然、戦術や役割も変わる。パスセンスに秀でた秋野の出場機会は次第に増えていった。

「試合に出る機会が多くなって、だんだん試合にも慣れていきましたけど、どこか心は満足していないというか……このままでいいのかな、というモヤモヤとした気持ちがあった」

プロになるためにボランチを選択したときのように、秋野は自問自答した。

「自分でも自分をこういう選手だっていう決めつけみたいなものがあったように、レイソルにいれば監督もチームメイトも、僕がどういうタイプの選手だというイメージは持ってくれていたと思うんですよね」

おそらくそれは攻撃センスのある選手、パスのうまい選手といった、子どものころから磨いてきた長所になるのであろう。ただ、秋野の心にはずっと、ネルシーニョから言われた言葉が引っ掛かっていたのだ。

「レイソルは小学生のときから育ててもらったクラブなので、愛着もありますし、感謝もしている。でも、自分が将来どうなりたいかを逆算して考えたとき、このままでいいのかなって。思い描く自分に近づくには、一度、レイソルから外に出なければ、変われないんじゃないかなって思ったんです」



すべてをリセットするくらいの気持ちで湘南ベルマーレへ

苦手なものを避け、得意なほうを選択する。それが自然な流れであり、一般的でもあるだろう。ただ、秋野は、あえて苦手なほうに目を向けた。それも殻を破るといった中途半端な方法ではなく、今まで築いてきた自分をすべてぶっ壊すくらいの心意気で。そうしなければ、自分自身を変えることはできない——決意に至った過程を想像すればするほどに、強い意志が感じられた。

「怖かったですよ。ずっとレイソルで育ってきましたから。期限付き移籍とはいえ、ベルマーレでJ1に昇格できず、ずっとJ2でプレーする選手になってしまったらどうしようとか……でも、やっぱり成長したかった。このままではダメだって思ったんです。オファーをくれたベルマーレは、そんな自分に足りないところが詰まっているクラブだと思った」

2016年、J1の柏でリーグ戦23試合に出場しながら、当時J2の湘南に期限付き移籍を決断したのは、自分自身を追い込むためだった。

「だから、(ベルマーレでは)すべてを受け入れようと思った。今まで自分がやってきたことをリセットするのは難しいけど、1回、全部忘れるくらいの気持ちで練習して、チョウ貴裁キジェ)さんから言われることにも、全部応えようと思いました。すべてを受け入れた上で、自分なりにアレンジして、プラスαを見せてやろうって」

ベルマーレでの日々は、すべてが新鮮で、すべてが真新しかった。

「やっぱり守備のことも言われましたし、それだけでなく、ベルマーレのサッカーは、運動量も、強度もあって、最初のころはこんなに練習して本当に大丈夫なのかなって思いました(笑)。めちゃめちゃきつかったですけど、今では最後まで足が止まらないようになったり、コツコツとやり続けることで成果が出ているのかなと感じています」

ベルマーレに期限付き移籍した2017年、秋野はJ2で38試合に出場し、チームのJ2優勝とJ1昇格に大きく貢献した。そして今シーズン、期限付き移籍期間を延長すると、ベルマーレの背番号10を付けてJ1の舞台に戻ってきた。



「最近は、チームとして耐える時間帯だとか、相手の運動量が落ちてきているから、逆にプレッシャーを掛けて驚かそうとか。ちょっと一歩引いた位置から試合を見るようにも努めています。あとは、自分が声を出して味方を動かすことで、自分がボールを奪いに行くといったプレーにも、ボランチとしての面白さを感じています」

秋野の口から自然と、レイソルの大先輩である大谷おおたに秀和ひでかずの名前が出てくる。

「レイソルでは、タニくん(大谷)に頼っていたところがあって、ベルマーレに来て改めて自分もそういう存在にならなければいけないなって思うんですよね。たまに試合中に、今の場面だったらタニくんはどういうコーチングをするかなとかも考えるんです。それくらいタニくんの存在というのは大きかったんですよね」

その背中を追い続けていると認める素直さがある。そう言えるのも、今が充実している証拠だろう。

「ただ、自分がタニくんになる必要もないし、なれるはずもない。だから、自分なりにどうやったらチームをうまくまとめられるか、良い方向に導いていけるかを、今は考えながらプレーしています。ただ、ただ、今の自分には何が必要で、何が足りていて、何が足りないのかを自問自答しながらやるだけです。自分は天才肌の選手でもないし、努力というか、練習を積み重ねてプロになれたと思っているので、これからもそれを継続していくだけですね」



ピッチでの存在感は際立ち、長所であるパスセンスを活かして、まるでタクトを振るうように攻撃を彩っている。その姿はバルセロナのセルヒオ・ブスケツのようだと賞賛すると、秋野はこう答えた。

「ブスケツはめちゃめちゃ好きな選手なので、うれしいですね。でも、ベルマーレに来てから、それだけじゃダメだって思っているんです。今はリヴァプールのジョーダン・ヘンダーソンとか、チェルシーのエンゴロ・カンテとか、ライプツィヒのナビ・ケイタとか、どうしても動けるボランチに目がいってしまうんですよね」

そう言って秋野はサッカー少年のように目を輝かせる。表情や風貌は内面を映し出すと言うが、初めてとも言える新天地でもまれ、男らしさが増した。ピッチに目を移せば、果敢に、そして巧みに相手攻撃陣にプレッシャーを掛け、ボールを奪う姿が印象に残った。

足りなかった「3」を磨くことで、持っていた「7」はより輝きを増すこともある。そのとき、きっと「10」以上の力を発揮するだろう。ベルマーレで2年目を迎えた秋野は、そこに挑もうとしている。 ⚽


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

秋野央樹(あきの・ひろき)

1994年10月8日、千葉県生まれ。湘南ベルマーレ。MF。背番号10。176cm/68kg。
9歳から柏レイソルの育成組織に加入し、U-12、U-15、U-18を経て2013年にトップチームへ昇格。プロ4年目の2016年にはリーグ戦23試合に出場するも、翌年に湘南ベルマーレへ期限付き移籍を決意。その2017年はJ2で38試合4得点の成績を残し、J1昇格の原動力となった。2018年も期限付き移籍期間を延長し、今季は背番号10をつける。