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【インタビュー】 川崎フロンターレ 大島僚太選手



ピッチで放つ個性を身につけた学生時代

ふとした流れからプライベートな話になった。「掃除とかやり出すと止まらなくなっちゃうときがあるんですよね」と完璧主義の一面を覗かせたかと思えば、「カレーライスはあまり具が入っていないほうがいい」と持論を力説し、仕舞いには「いつか一人焼き肉に行きたい」と告白をする。

22歳の表情にはまだあどけなさが残るが、大島おおしま僚太りょうたは独特の世界観を持っている。

膝を突き合わせて対峙していると、自然とその世界に引き込まれていくが、ピッチ上でもすでにオーラを漂わせている。川崎フロンターレでは不動のボランチとして、中盤を縦横無尽に動き回り、前線へと効果的なパスを供給している。

おそらくプレーにおいても存在感においても、大島が独特な雰囲気を醸しているのは、中高を過ごした静岡学園の指導法にあるだろう。

「中高ではリフティングばっかりしていて、戦術とか守備の練習もほとんどなかったですね。センターサークルくらいのめちゃくちゃ狭いエリアで、何十人もボールを持って、ひたすらドリブルしているような練習をしていました。ドリブルしている他のチームメイトが敵という想定で、そのチームメイトを自分もドリブルでかわしていくみたいな感じです。狭いところでドリブルしたり、リフティングしたりするのは、スペースがないところでもボールを受けるのを怖がらなくなったりだとか、トラップにも自信が持てるようになるという狙いもあって、それは今にも活きているのかなって思います」

独自の指導法で知られる静岡学園のサッカー部では、ひたすら個のスキルを磨いた。川崎への加入が決まったのも、ルーキーイヤーの2011年から出場機会を得られたのも、そうした努力の積み重ねがあったからに違いない。


ただし、一方で知らないことも多かった。 「(高校のときは)戦術の練習をしたことがほとんどなかったんですよね。大袈裟に言えば、戦術って言葉すらあまり理解できないくらいわからなかったんです。守備のことなんて全く言われなかったですし、中学でも高校でも全然、守備の練習はしなかったですからね」

そういって、今だから話せる当時のチームメイトたちとのエピソードを教えてくれた。 「大学のサッカー部に進んだ同級生もいて、久々にみんなで集まったときに『困ってるんだけど』って言うから聞いてみたら、『守備のときに、相手と対峙していて“右切れ!”とかって周りに言われるんだけど、どっちをケアすればいいのかわからないんだよね』って言うんです。周りも『それちょっとわかるかも。オレも実は微妙なんだよね』って話になって。これはたぶん静学しずがくあるあるだと思います(笑)。それくらい戦術とか守備に対する固定概念がなかったんですよね」

逆に、言い換えれば大島はプロになってから戦術や守備を覚えていったことになる。 「最初は周りに言われて、動く感じでした。今でもたまに『あっ!』ってなりますけど、その分、隣にいる(中村なかむら憲剛けんごさんや後ろにいる(谷口たにぐち彰悟しょうごくんが声を掛けてくれるので助かっています。もしかしたら、今でも『あいつわかってないな』って思われているのかもしれないけど、自分としては少しずつ成長できているのかなって思います」


動いた先で自分に何ができるか

今シーズンでプロ5年目を迎え、川崎ではボランチとして中村と不動のコンビを組んでおり、パスの出し手としても高いスキルを発揮している。中盤の底から狭いスペースに縦パスを通し、決定機を演出する姿からは、今やパサーとしての印象も受ける。だが、本人は、その技術すらプロになってから身につけたものだと話す。

「キックの練習もほとんどしたことがなかったんですよね。(全国高校サッカー)選手権とか大事な大会の前にセットプレーの確認でやるくらいだったので。キックの練習なんてしたことがないのにパサーになんてなれるわけがない。最初は、パスを出すタイミングすらわからなかったですからね。まずは、風間かざま八宏やひろ)さんの言うことを意識してみたり、横でプレーしている憲剛さんのプレーを見て、真似してみたりって感じでした」

ただ、ここでも中高と同じく努力は惜しまなかった。

「最近はケガが続いたり、痛めている箇所があったりでやっていないんですけど、以前はオフのときとか、午前練だけであればその後とか、午後練であればその前に練習場に来て、コーチと一緒にボールを蹴ったりするときもありました」


要するに大島は今も吸収、成長している過程にある。パスにしてもシュートにしても、それこそ戦術にしても守備にしても、プロになって覚えたことも多く、練習のたびに、試合のたびにいまなお新しい発見を繰り返している。

「(パスを)出せるようになりたいとは思っているので、周りがパサーだという評価をしてくれるのはうれしいですし、そう思われるところまで自分が早く追いついて、その評価に見合ったパスが出せる選手になりたいと思います。今はまだアシストとかゴールに関わる数字が少ないので、もっと増やしていきたいという思いはありますね」

隣に構えているのが日本屈指の司令塔と言われる中村という最高の教科書なのだから、その吸収量はハンパない。

「憲剛さん、すぐに前へ行っちゃうんですよね(笑)。というのも、僕がスペースを見つけるのが遅いから、憲剛さんが先にそこへスッって入って行っちゃうんです。僕が先にスペースを見つけて走っていければ、ゴールやアシストといった数字も増えてくるのかなって思います。憲剛さんにも、『このタイミングで入ってこい!』って言われたこともあります。最近ようやく、憲剛さんがこの辺りに動くかなってところまではつかめてきているので、そろそろ自分としても、そこに入っていけるかなとは思っています。ただ、肝心なのはその先ですよね。その先で自分に何ができるかが大事だと思う」


守備でも強くなりたいと思った契機

指揮官の風間八宏監督にしても、大先輩である中村にしても、要求が高いからこそ、彼はぐんぐん伸びていく。攻撃面での成長だけにとどまらず、最近では守備においても成長したいと強く感じているという。

「高校まで『柔よく剛を制す』という言葉の下でトレーニングをしてきて、今もそういう気持ちはあります。でも、自分は守備もできるようになりたいという思いがある。今は剛の選手に対してどうボールを奪うかを考えている。練習でもボールを取るためにどうすればいいかを考えるようになって、少し成長できたかなって思います」

川崎といえば、守備よりも攻撃、取られたら取り返すが代名詞であり、超が付くほどの攻撃的なチームというのが特徴である。だが、大島が守備にも強いこだわりを見せるようになった背景には、ちょっとした、いや、かなり大きなきっかけがあった。

昨年9月に行われたアジア競技大会の準々決勝だった。U−21日本代表のキャプテンとして韓国戦に臨んだ大島は、その試合でPKを献上してしまったのである。しかも、そのPKが決勝点となり、チームは0−1で敗退。普段は「試合が終われば、すぐに気持ちを切り替えられる」という大島も、このときばかりは自分を責めた。

「韓国にPKを与え、試合に負けてしまったときは泣きましたね。申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。前回大会で日本は優勝していましたが、正直、大会に臨むまでは、自分たちの世代は自分たちの世代だし、過去は関係ないと思っていました。でも、連覇を期待してくれていた人たちにも申し訳ないという思いがあふれてきて、思わず泣きましたね。自分のことをちょっと責めました。いや、だいぶ責めましたね。日本に戻ったらすぐにリーグ戦があったので切り替えましたけど……」

少し恥ずかしそうに話すところは22歳の若者だが、この敗北が大島に新たなる感情を芽生えさせた。

「それまでは、正直、あんまり世代別の大会やオリンピックへの思いって強くはなかったんですよね。国によってベストメンバーではなかったり、温度差があるという話も聞いていましたから。でも、U−20ワールドカップに出場できなかったり、アジア競技大会で自分がPKを与えて負けたこともありますが、オリンピックに行きたいというより、アジアで勝ちたいという気持ちが強くなりました」

だからこそ彼は「ボールを奪える選手になりたい」と強く思ったのだ。 「一番はフロンターレの試合でボールを保持したいというのがありました。チームがボールを奪われたとき、自分が奪い返せたらなって思うところもあったので。でも、アジアで勝ちたいと感じたとき、それまで球際で負けていたところがあったので、強くなりたいなって。だから、そこは今取り組んでいることと、話はつながっていると思います」

来年1月にはリオデジャネイロ・オリンピック出場を懸けたAFC U—23選手権が行われる。そのメンバーに選ばれるべく、大島はU—22日本代表のキャンプでアピールし、チームでも成長しようともがいている。


テンポの変わらぬ一定した語り口からは、無欲にも感じるが、ことサッカーに関して大島は欲張りだ。パスにしてもシュートにしても、それこそ戦術にしても、守備にしても、さらにという欲がある。感情を表に出さないため、「あまりガツガツしているようには見えないよね」と意地の悪い言葉を投げかけると、大島はこう返答した。

「そういう風に見せているだけです。僕自身としては、なんでもできるようになりたい。限られた時間の中で、いろいろなことにチャレンジしながら、いろいろなものを身につけてプレーできるようになりたい」

それこそが本音なのであろう。すべてにおいて成長したいという欲望は、自他ともに認める完璧主義者たるゆえんでもあるが、根底にあるのは、ただの負けず嫌いであり、ようするにサッカー小僧なのである。広い世界を見て、うまくなりたいという欲に加えて、勝ちたいという欲も芽生えている。 「学生時代も含めて、これまで日本一になったことが一度もないんです。タイトルを獲ることができたら、泣くかもな」

アジアで勝ち、リオデジャネイロ・オリンピック出場を勝ち取ったとき、クラブでタイトルを獲得したとき、彼は次にどのような “欲”を抱くのか。独自とも言えるその世界観の変化が楽しみである。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



大島僚太(おおしま・りょうた)

1993年1月23日生まれ、静岡県出身。川崎フロンターレ所属。MF。168cm/64kg。
静岡学園高校卒業後は、大学へ進学する予定だったが、スカウトの目に留まり、川崎フロンターレに加入。類い稀なるテクニックを武器にプロ1年目からリーグ戦に出場。プロ5年目となる今シーズンは不動のボランチとして中村憲剛とコンビを組む。リオデジャネイロ・オリンピック五輪出場を目指すU-22日本代表にも選ばれており、活躍が期待されている。