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【インタビュー】 FC東京 丸山祐市選手



期限付き移籍した1年間で大きく成長

こちらが恐縮してしまうほど、丸山まるやま祐市ゆういちは低姿勢である。あまりに謙虚なため、悪い言い方をすれば、少し頼りなく見えてしまうほどだ。FC東京のCBとして守備を担う彼に、今シーズンJ1最少失点(※J1リーグ2ndステージ第15節時点)を誇るチームの強さについて聞いても「どこにあるんですかね……」と考え込む。

しばらくして「僕はマッシモ(フィッカデンティ)監督の下でプレーするのは今シーズンが初めてなのですが、まずは守備から入るというのが、マッシモ監督が掲げる東京スタイルです。0−0がいいというわけではないですけれど、まずは失点しないことを第一にプレーすることを求められています」と、答えを絞り出した。

「例えば、3−1で勝ったとしてもその1失点を指摘される。逆に内容が伴っていないときでも、1−0で勝つと満足してくれることもあるんです。だから、最近では1−0で勝つと、選手たちの間でも『ウノゼロ』(イタリア語で1−0の意味)って言いますからね(笑)」

試合で見せる丸山の顔は大きく異なる。守備の要であるCBらしく闘志をむき出し、183cmの長身を生かして、相手FWを確実に抑え込む。本人からも「試合になると怖いって言われるんですよね。人が変わるって言われます」という言葉を聞き、安堵を覚えた。自分のことについて聞けば、それ以上に力強いコメントが返ってきた。


明治大学を卒業してFC東京に加入した丸山は、プロ1年目となる2012年はリーグ戦3試合に出場、2年目の2013年は未出場と、チャンスに恵まれなかった。

「1年目は試合に出られないことを、自分の中で当時の監督のせいにしていたんです。練習はちゃんとやっていましたけれど、その日によってやっぱり波がありましたよね」

試合に出られず、ひたすら繰り返される練習だけの日々——悶々とする中で、弱音を吐いたこともあった。

「プロ1年目から、すべてを言い訳にして、チームの強化担当に他のチームへ移籍させてほしいってお願いしていましたね。強化担当には『お前、何も努力してないだろう』って一喝されて。それはそうですよね。移籍させようにも、そのときの僕には移籍させるだけの材料すらなかったんですから。2年目は自分なりに一生懸命取り組んでいたので、チームの強化担当も多少は認めてくれた部分があったのかもしれません。でも、出場機会はほぼノーチャンス。それだけに自分の何かを変えなければいけないという想いでいましたね」

転機が訪れたのは、プロ3年目の2014年だった。プロ1年目からクラブに伝えていた希望が通ったのである。丸山は1年間の期限付きで、湘南ベルマーレへと移籍した。

「決して喜んで送り出してくれたわけではないと思います。クラブとしては、『お前のためなら』という想いで僕を送り出してくれたのかなって思っていましたね」

条件的には期限付き移籍ではあったが、丸山にその甘えはなかった。

「契約は残っていましたけれど、心情としては俗に言う片道切符のつもりでしたね。そのくらいの覚悟でベルマーレには移籍しました。勝負を懸けて行きましたよね。ここでダメだったら終わりくらいの気持ちで……」

湘南は当時J2に所属していたが、丸山は開幕戦からスタメンで起用されると、3バックの中心として、リーグ戦41試合に出場した。中心選手として、湘南のJ1昇格に大きく貢献しただけでなく、シーズンを通してコンスタントに出場することで大きな自信を得た。

「たぶん語り尽くせないくらいの経験をしたと思います」


芽生えたチームへの責任感

FC東京の堅守について聞いても、「今シーズン戻ってきたばかりなので、歴史みたいなものを語れる立場ではないんですよね」と謙遜する。だが昨シーズンについて聞けば、湘南で培った自信が確かなものだと感じさせるほど、丸山の語気は強くなる。

「責任感ですよね。重いなと思いました。シーズンが始まって、運良く開幕から試合に出させてもらいました。試合に出られると、やっぱり楽しいですし、最初は正直、勝ち負けとかはそこまで気にしていなかったんです。まずはサッカーを楽しむことやピッチに立てる喜びが、試合をするたびに思い起こされていったんです」

試合に出ることで、忘れかけていた感情が身体を巡る血液のように、全身へ染みわたっていく。強く思い出したのは、人間の感情を示す四字熟語「喜怒哀楽」の最初の一文字と最後の一文字だった。

「プロ1~2年目に抱いていたのは『怒』くらいでしたからね(笑)。本当に『怒』ばっかりでしたよ」

そう言ってから「そんなこともないかな(笑)」と濁すところは丸山らしい。ただ、その後も魂のこもった言葉は続く。

「昨シーズン湘南は、J2で開幕から14連勝したのですけれど、5~6連勝したときに、ちょっとテンションがおかしくなっちゃって(笑)。勝つのが当たり前みたいな感覚が生まれたんです」

喜びと楽しさの先にあったのが、チームへの責任感だった。

「筋トレをする部屋があったのですが、そこでは自分よりも若い選手たちがトレーニングしていたんです。試合に出られなくて悔しいはずなのに、いつも笑顔で。1年間、ひたむきに、がむしゃらに筋トレしていたんです。すごいなって感じましたし、逆に自分の23~24歳のときはなんだったんだろうなって思い知らされたんです」

不遇の時期を送ったプロ1年目や2年目の自分と彼らを照らし合わせた。当時の自分を顧みて、新たなる気持ちが芽生えた。

「そこで感じたのが責任感で、チームのためにという意識でした。精神的に鍛えられましたよね。試合にも1年間通して出場させてもらって、試合勘を取り戻すことができたし、向上したとは思いますけれど……。一番大きかったのはやっぱり精神的な部分です。大人になったというか、波がなくなりました」


自分自身のため平坦より茨の道を選ぶ

だからこそ、丸山は自分にも厳しさを求めた。今シーズン、FC東京に復帰せず、J1に昇格した湘南にとどまる選択肢もあったのではないかと聞いてみたのだ。その答えに、彼の信念と、湘南で培った成長の証があった。

「確かに復帰しないという選択肢もあったかもしれないですね。今シーズンもベルマーレに残っていればシーズンの最初から試合に出られていたかもしれません。でも、自分は褒められて育ってきたタイプではないので、逆に自分をギリギリのところまで追い込んだほうがいいと思ったんです。今までもそうやって這い上がってきたので。先ほど『怒』とかって言いましたけれど、プロ1年目、2年目に経験した悔しさというか。今の自分がどれくらいここ(FC東京)で通用するかを知りたいというか、見せてやろうというか、チャレンジしたい気持ちのほうが強かったんですよね」

格好のいいセリフを言った後に、「1stステージに試合で出られなかったときは残っていればよかったかなぁって思いましたけどね(笑)」とおどけて周囲の笑いを誘う。謙虚なのは変わらないが、決して頼りないのではなく、とにかくサービス精神が旺盛なのだ。

「(FC東京に復帰しても)最初は、簡単にチャンスはもらえないだろうなとは思っていました。もちろん、真ん中(CB)で勝負したいと思って戻ってきました。ただ、守備のポジションは監督の戦術を理解しなければならないですし、信頼の問題もある。1stステージはそう簡単にチャンスはもらえないだろうと予想もしていました。FC東京の守備陣と言えば、日本代表クラスの選手たちがずっと務めているポジションですからね。1stステージはSBで練習したときも、SBをやりつつ、CBの動きもしっかり確認して、頭の中でシミュレーションしていました」

本人の想定どおり、1stステージは5試合に出場するもSBが中心だった。それでも湘南でひと回りもふた回りも成長した丸山が自分自身を見失うことはなかった。

「もう腐ることはなかったです。ここで腐っていたら、終わっていたでしょうね。1stステージも太田おおた宏介こうすけさんが負傷していたとき、自分が代わりに出場する機会が多かった。そういうところから信頼を得ていかなければならないと思ってました。ましてや自分が出たときに試合に負けてしまえば、信頼もそうですし、自分のパフォーマンスの評価も低くなる。チームの勝利こそが信頼の糧になると思ってやってきました」

今シーズンの転機は2ndステージ第4節の鹿島アントラーズ戦だった。前半、左SBで出場した丸山は、後半になるとCBで起用される。結果的に試合には1−2で敗れたが、そこでのパフォーマンスが評価され、続く第5節のベガルタ仙台戦からCBとしてポジションをつかんだ。

「試合には負けましたが、アントラーズ戦の後半からCBになり、しっかりボールを後ろから回して、攻撃にも貢献できた。そこを評価してくれて、次の試合でも、スタメンで起用してもらえたのかなと思っています。仙台戦はせっかく本職で先発させてもらったので、連敗も避けたかったですし、しっかり結果を得なければならないと思ってプレーしましたね。その試合に(3−1で)勝利できたことで、運良くその後、出続けられているのかなとは感じています」

プロ1年目のときは、「試合に出られるとわかったら有頂天になっていた」というが、湘南での経験を経て、「平常心で臨めるようになった」と話す。 「チャンスをもらえたとき、すべてを出し切るために常にいい準備でやってきました」

だからこそ、鹿島戦でも、仙台戦でも、先発で起用されたからといって、丸山が一喜一憂することはなかった。


FC東京でのプレーが目に留まり、8月には追加招集ではあるが、ワールドカップロシア大会のアジア2次予選を戦う日本代表にも初選出された。 「もともと欲が強いほうではないので、代表に入りたいとか…選ばれたいとかっていう欲はなかったんですけれど……その世界を見てしまったので、ああいうピッチで日の丸を背負ってやりたいという気持ちは出てきましたね」

平穏よりも挑戦を選んだ。選手としての欲も抱いている。そこに芯の強さを見た。

「FC東京はなかなか(J1の)リーグ戦のタイトルを獲れずにいる。優秀な選手はいるのに勝負弱いと言われるところがある。そういうものから脱却するためにもタイトルがやはり必要だと思う。シーズン終盤が、FC東京の強さを示す分かれ道になると思っています」

そう話した丸山に謙虚さはない。あるのはタイトルを目指す決意と凄みだった。ただ、そう言った後で、「FC東京が殻を破る、変わるためには、残りの試合に勝ってクライマックスシリーズでしたっけ?(笑)」と再び笑いを誘う。やはり、この男はサービス精神が旺盛なのだ。

「あっ、チャンピオンシップですね。そこを目指したいですよね。タイトルを取れば、FC東京の価値も上がります し、自分の価値も上がる」

自然と「気は優しくて力持ち」というフレーズが思い起こされる。心優しく頼もしいCBが、堅守を誇るFC東京のゴールに鍵を掛ける。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



丸山祐市(まるやま・ゆういち)

1989年6月16日生まれ、東京都出身。FC東京所属。DF。183cm/74kg。
明治大学を卒業後、2012年にFC東京へ加入。出場機会に恵まれず、昨シーズン期限付き移籍した湘南ベルマーレでJ1昇格に貢献し、成長を見せた。今シーズンはFC東京に復帰。1stステージは主に左SBとして出場したが、2ndステージに入り本職のCBでポジションをつかむとチームの堅守を支えている。