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【インタビュー】 柏レイソル 茨田陽生選手



エゴイストになるくらいの自己表現が必要

とっくに答えは出ている。あとは自分で殻を破るだけだ。それだけできっと茨田ばらだ陽生あきみは大きく変わる。飛躍するきっかけを握っているのは自分自身だ。すべてをわかっていながら変われずにいるだけに、インタビューをしていてもはがゆさを感じずにはいられなかった。

U-12から柏レイソルのアカデミー(育成組織)で育ってきた茨田にとって、今シーズンに懸ける思いは人一倍強かった。U-15、U-18と、自身がプロとなる礎を築く過程で指導を受け、誰よりも影響を受けた吉田よしだ達磨たつま監督がトップチームの指揮官に就任したからだ。

「それこそユースの頃から達磨さんと一緒にやってきて、誰よりも達磨さんが目指すサッカーを理解しているという自負はありました。それをどこまで試合で表現できるか。不安もありましたけど、モチベーションはすごく高かったですね」


シーズンインしたときには、ジャージを着て指導する吉田監督の姿を見て懐かしさすら覚えた。

「パスのトレーニングだったり、それこそ選手に掛ける言葉だったりを聞いて、ユースの頃にやっていた練習だなとか、前にもこういうこと言っていたなって思い出しましたよね」

初めて吉田監督の指導を受ける選手たちが、トレーニングメニューや練習の意図を理解できずにいても、慣れ親しんでいた茨田はすんなりと取り組むことができた。だから、「アカデミー時代とプロになってからで、吉田監督からの要求は変わったか?」と聞いても、「そこまで変わっていないと思います」との答えがすぐに返ってくる。

「もともとユースの頃から高い要求をされていましたし、練習でも試合でもピリピリとしたムードの中でやっていました。プロになったとき、選手として求められるのは、やっぱりミスをしないことだと感じたんですけど、それもユースのときから達磨さんに言われていたことで、変わらないんだなって思いましたからね」

もちろん「アドバイスに関してはプラスαでいろいろな要求が付け足されていた」という。茨田曰く、今シーズンの柏が標榜してきた「スペースもボールも支配する攻撃的なサッカー」において、4−3−3システムのアンカーをになった彼は「攻守のバランスを考えて、常にボールに関わるプレーをしろ」と言われてきた。

だからこそ、シーズン終盤を迎えたいま、早々にリーグ優勝の可能性がついえチャンピオンシップ出場を逃した事実に、茨田は不甲斐なさを感じていた。

「自分の中ではチームに対していつもよりは言った方だとは思っているんですけど、チームの結果や監督が表現したかったことの浸透度だったりを考えると、もっと選手から発信していくのも大事だったかなって思います。やっぱり、アンカーというポジションはチームの中心となるポジションだし、自分がそれをチームに対して表現していかなきゃいけなかったのかなって。誰よりもこのサッカーを理解できているだけに、もっと自分が……大袈裟な言い方をすれば、周りにエゴイストだと思われるくらい、自分を表現してプレーしなければいけなかったのかなと思っています」

プロ6年目を迎え、今シーズンは背番号も20番から一桁の8番に変わり、以前よりもチームの主軸としての意識も増した。チームの中心として意見を主張したつもりでいたのかもしれない。だが、それでもまだ足りなかったのだ。


ピッチに入れば遠慮や優しさはいらない

インタビュー中の表情や受け答えも含め、茨田の物腰は穏やかで柔らかい。「いい人」という言葉がしっくりとくる。自身も「もともと性格的に内気で、遠慮がちなところがあるので、言葉や態度で表現することが少ないんですよね」と話す。かつて吉田監督も、茨田の結婚式のスピーチで、パートナーとなる女性にこうメッセージを送ってくれたという。

「奥さん、大丈夫ですよ。彼は本当に優しいヤツなんです」

指揮官も太鼓判を押すほどの優しさが彼にはある。それが魅力でもある。ただ、ひとたび、ピッチに入れば、その優しさは遠慮となり、アダにもなりかねない。付き合いの長い吉田監督は、見抜いていた。だからこそ、吉田監督から茨田への要求の多くは、技術的なことではなかった。

「達磨さんからはプレーに関しては多くのことは言われなかったですね。いつも言われていたのはメンタルのこと。周囲に声を掛けろとか、もっと表現しろって言われていました」

厳しい見方をすれば、シーズン終盤になり茨田がスタメンを外れ、控えに甘んじているのも、それと全くの無関係ではないはずだ。

「自分で主張するということに関して言えば、例えば、いる位置がかぶっている選手とか、自分が行きたいポジションに他の選手が入ってきたときに、『ここはオレに任せろ』とか『そこをどけ!』っていうくらいの意思表示ができれば、もっともっとチーム全体のバランスが取れたんじゃないのかなって感じてはいます」


アカデミー時代から“天才”と言われ、パス一つを取ってみても、トラップ一つを取ってみても、茨田のテクニックは申し分ない。それでもなお、どこか突き抜けられずにいるのは、チームへの自己主張であり、ピッチでの存在感が足りないということにあるような気がしてならない。

「正直、ずっとそこで悩んでいます。プロ1~2年目のときは、まずは自分のプレーということを意識していましたけど、3年目を過ぎてからは、自分を表現したり、チームに主張したりというところをずっと悩みながら、いまに至るという感じです」

自分自身でも気づいてはいる。

「プロになって6年間やれてるというのは、技術とかに関していえば通用しているからこそ、だとも思います。だからこそ、ここから先、さらにステップアップするにはというのをずっとずっと考えていますし、思い悩んでいるところでもあります」

ただ、茨田は闘争心をき立てるスイッチが自分自身の中にあることも知っている。

「怒りのスイッチが入ると変わるんですけど、それがなかなか入らないんですよね」

その怒りとは対戦相手や他人ではなく、自分自身に向けられるものだ。

「自分自身のプレーでなかなかいいところが出せなかったり、納得できなかったりすることが続くと、自分自身に対して怒りがこみ上げてくる。練習中にそのスイッチが入ると、終わった後にチームメイトから『お前、いつもそれくらいやれよ、主張しろよ』って言われることもあります」

そう答えた後で「でも、怒るとすごく疲れるんですよね。その後、子どもと遊べなくなっちゃうんです」と笑い、優しい一面を覗かせる。だが、今の彼には、激しさによる代償ともいえる精神的な疲労感こそが必要であろう。

「それくらいやらなきゃってことなんですよね」

彼に求められているのは、もはや、“うまい選手”ではない。対戦する相手に“嫌な選手”、“怖い選手”と思われることだ。


明日、今日からでも変わることはできる

ポジション的にも茨田の近くでプレーし、チームのキャプテンでもある大谷おおたに秀和ひでかずが、今の柏レイソルに対して、こう話してくれたことがある。

「勝つことにもっとこだわらなければいけないと思う。綺麗なサッカーをすることも、すばらしいことではあるけれど、プロである以上、まずは結果というものがあって、その後に内容があると思う。2011年にJ1のタイトルを獲り、優勝する喜びだったり、自分たちの価値であったり、サポーターの人たちが喜んでいる姿を見たら、勝って得るものの大きさを感じた。だからこそ、まず結果というところを意識しなければいけないし、もっとそこに執着しなければいけないって思う」

茨田自身も2011年のJ1優勝に貢献し、翌年の天皇杯優勝、さらに2013年のナビスコカップ優勝を経験している。いまや、その3つのタイトルを獲得した瞬間をピッチで迎えた数少ない選手の一人である。

茨田は大谷の持つ勝利への執念や気迫あるプレーを欲している。

「6年間ずっと近くで見ているんですけど、なかなか盗めないスキルですね」

キャプテンが語る言葉の真意は十二分に理解しているのに…。

「もう若手という言葉を取りたい」と茨田は話す。問われているのは自分がチームを牽引していくという強き思いと優勝を成し遂げたチームにあった勝負にこだわる姿勢である。それらを受け継いでいくことこそが、柏のアカデミーで育ち、中盤の要を務める茨田の使命でもある。

優しいということは、周囲を気遣えるということ、空気、雰囲気を読み取れるということでもある。おそらく茨田は訪れるであろう環境の変化をも薄々と感じていたのだろう。

吉田監督の今シーズン限りでの退任が発表されたのは、インタビューから1週間後のことだった。今シーズン、吉田監督は、茨田にプレーではなく精神的な成長を訴え続けてきた。それは恩師でもある吉田達磨としてのメッセージでもあったのだろう。その思いを受けて茨田は何を思うのか。

シーズンはまだ残っている。今シーズン中からでも、それこそ明日、今日からでも変わることはできる。答えは自分自身の中にある——茨田よ、殻を破れ!

茨田陽生(ばらだ・あきみ)

1991年5月30日生まれ、千葉県出身。柏レイソル所属。MF。173cm/69kg。
小学生時代から柏レイソルのアカデミーで育ち、2009年には2種登録ながら公式戦デビューを飾った。2010年より正式にトップへ昇格すると、当時はJ2ながら26試合出場3得点と活躍。その後のJ1、天皇杯、ナビスコカップ優勝にも貢献。高い技術からなる攻撃センスが魅力のMFで、チームを牽引していくことを期待されている。