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【インタビュー】 名古屋グランパス 永井謙佑選手



5年前の写真に映るメッセージ

1枚の写真がある。

首から金メダルを下げた永井ながい謙佑けんすけは、満面の笑みを浮かべている。ユニフォームの上から着込んだアンダーウェアにはひとこと、次のようなメッセージが書かれていた。

「雑草」

撮影されたのは今から約5年前の2010年11月25日、中国の広州で行われたアジア競技大会における1コマだ。決勝でUAE(アラブ首長国連邦)を1−0で破った日本は優勝を飾った。5得点を挙げて大会得点王に輝いた永井は表彰されると、メッセージの書かれた白いTシャツを着てアピールした。

「その文字を書いたのは自分じゃないですね。たぶん主務(スタッフ)の人だと思います。ただ、その大会に参加したチームは、ずっと二軍だとか三軍だとかって言われていたし、メディアにも雑草軍団って書かれていた。だから、優勝したら『雑草』ってかざすかって話になってTシャツに書いてもらったんです」

アジア競技大会における男子サッカーは、五輪と同じく、23歳以下の選手および3名までのオーバーエイジが出場できる規定になっている。ただし、この時期はJリーグもシーズン中とあって、プロでもクラブで出場機会を得られていない若手が中心で、当時は福岡大学に在籍していた永井を筆頭に大学生も幾人か名を連ねていた。要するに2012年のロンドン五輪を目指すU−21日本代表の主力すら招集できない状況だったのである。そのため大会前から活躍は期待されず、永井が語ったように、二軍どころか三軍と揶揄されていた。

「あのときのメンバーはみんな仲も良くて、雰囲気はすごく良かったですね」

周囲からの評価を覆そうとしたからこそチームは結束し、一丸となった強い反骨精神が、優勝という結果をもたらしたのだろう。永井は当時を懐かしんだが、彼の奥底には今なおTシャツに書かれた思いが流れている。


プロへの階段を登ったターニングポイント

ヴァヒド・ハリルホジッチ監督が日本代表を率いるようになってからコンスタントに青いユニフォームに袖を通すようになった永井だが、若いころから名をとどろかせていたわけではなかった。

「自分自身にとってのターニングポイントを挙げれば、間違いなく『選手権』に出場したことでしょうね」

九州国際大学付属高校に通っていた永井は、高校3年生にして初めて全国高校サッカー選手権に出場すると、1回戦で2得点を挙げて初戦突破に貢献する。惜しくも2回戦で敗退したが、その活躍が認められ、福岡大学に進学してすぐにU−18日本代表に招集されたのである。

「たぶん、選手権に出場していなければ、自分のことなんて誰も見ていなかったと思います。選手権に出て、誰かが自分のことを見てくれたから、世代別の代表に呼ばれた。それ以外、理由は考えられないですからね」

そう言って笑った永井は、当時プロの世界に飛びこもうとは全く考えていなかったという。

「中学生くらいまではプロになりたいって言ってたかもしれないですけど、高校生にもなると現実が見えてきますからね。高校の先生にも『プロになる気はあるか?』って聞かれて、親にそれを話したんですけど、『何言ってるんだ』って一蹴されましたからね(笑)。実際、自分も『そりゃ、そうだよな』って思いましたから」

高校生の時、学校から距離的にも近いアビスパ福岡の練習に参加したことはあると言うが、それも「メインは自分じゃなかったくらい」と話す。それほど高校生だった彼にとってプロになることは非現実的だった。

「高校2年生のときには学校で一番足は速かったですけど、高校3年生でさらに速くなって。そのとき、先生から言われていたのは、パスが出る前に動き出せというのとは真逆の『ボールが出てから走れ』っていうことですからね。それでも『お前は追いつくから』って(笑)」

身近な指標である兄が高校でサッカーをやめたこともあり、永井は「大学までやって(サッカーは)終わろう」と考えていた。それだけに福岡大学に進学すると同時に世代別の日本代表に選ばれたことは、まさに青天の霹靂だった。

「(初めて世代別の代表に呼ばれたときは)正直、イヤやったです! 知らない人とサッカーしたくないなって。だって、大学に進学して環境が変わったばかりで、それに慣れるか慣れないかくらいの時でしたから。初対面の人とサッカーするのは嫌だなって。だから、呼ばれてガッツポーズって感じではなかったですね」

プロを意識しはじめたのは、U−19日本代表として参加したAFC U−19選手権の準々決勝で韓国に負けてからだ。

「あの敗戦がものすごく悔しかった。この世代のやつらと戦ってリベンジするには、五輪に出場するしかないって思ったんです。そこから変わりましたね。筋トレもするようになったし、練習メニューも変えましたから」


自分の想像を超えるサッカーの面白さ

経験を積むことで、次なるステージへの欲が湧いてくる。2012年のロンドン五輪もその一つであろう。世界大会を経験したことで、海外でプレーしてみたいという思いを朧げながら抱くようになった。

「五輪が終わるまで代理人も頼んでなかったんですよ。実際、大会前からメンバーに入っていたわけでもなかったから、最終的に選ばれるかどうかもわからなかったですし。しかもスペインと同組。当時のスペインはそれこそA代表はワールドカップやユーロで優勝していたりと、最強って言われていた。目標はグループステージ突破でしたけど、あそこ(ベスト4)まで行くとは誰も思ってませんでしたよね? そういう意味では自分の想像すらはるかに超える結果だった。だから、サッカーは面白いし、楽しいんですけどね」

そう言ってにやりと笑う。ただ、この経験が世界へと目を向けさせるきっかけとなった。

「夏に(川島かわしま永嗣えいじさんから電話が掛かってきて、『お前、海外でプレーするつもりってあるの?』とか『代理人っているの?』って聞かれたんですよね。その時は、代理人もいなくて、その後に頼んだんです。そうしたらシーズンが終わった時に(スタンダール・)リエージュから移籍の話が来たんですよね」


迷いはなかった。その期待どおり、ベルギーでの生活は永井に多くの刺激を与えた。

「チームメイトも含め、選手たちのフィジカルが強くて、自分もすごく筋トレしましたからね。それに黒人選手の当たりというのは、なかなかJリーグでは経験することができなかった。足もめちゃくちゃ長いですし、当たりも強い。それが日常として味わえたのは大きかった」

スタンダール・リエージュではそれほど出場機会を得られず、2013年8月に期限付き移籍という形で名古屋グランパスに復帰した。ただ、翌2014年シーズンに自身最多となるリーグ戦12得点をマークしたのは、そうした経験が活きてのことだろう。

「海外に行って、自分のプレースタイル的にも試合に出ていないと、身体がなまっていくというか、パフォーマンスが上がらないというのは、身に染みて感じましたし、いい勉強になりましたね」


活かす選手ではなく活かされる選手

そんな永井がインタビュー中に何度も繰り返したフレーズがある。それは「自分は周囲に活かされる選手」という言葉だ。

永井のプレースタイルと言えば、自慢の快足を活かしてDFの背後に走り込み、直線的にゴールを陥れるのが特徴だ。圧倒的なそのスピードはまるで獲物を追うチーターのようでもあり、Jリーグ屈指の俊足FWとして知られている。

その一方で、自らも「穏やかなんです」と笑うように温厚で、語り口は淡々としている。加えて嘘がつけない性格なのだろう。彼は正直にこう言った。

「悩んでますね」

そう聞いて、微妙な時期に取材に来てしまったのかと尋ねると、「うん」と言って素直にうなずく。

彼が苦しんでいるのは、自身のプレーについてだった。

「僕は周りを活かすタイプではなく、周りに活かしてもらうタイプ。だから、僕がDFの背後に走ってボールをもらおうと動いた時には、出し手との呼吸が大事になってくる。ただ、今シーズンに限って言えば、チームはケガ人が多く、なかなかメンバーを固定できずにいる。それもあって出し手との関係性が築きにくく、ここで欲しいというタイミングはありますけど、パスがつながらない。まだ連携が築ききれてないんですよね」

2ndステージ第9節を終えて、名古屋グランパスは8位。年間順位でも9位とあって、優勝を目指していただけに決して喜べる成績ではない。自身にしても昨シーズンは12得点だったことを考えると、現状の7得点では物足りないのだろう。

「もっと得点したいですよね。チャンスはあるわけだから、それでも決めなければいけないですよね。これは言い訳ですよね」

悩みを吐露した後に、厳しい言葉で自分を戒めるのは、コンスタントに日本代表にも選出されるようになり、チーム内での責任感が増している証であろう。

「代表は結果がすべて。得点しなければバツですからね。自分にも動き出しを含めて課題はあるし、勉強しなければと思います」

シーズンも残りわずか。名古屋が浮上できるかどうかは、この俊足FWに懸かっている。

「チームとして守備はできている。あとは、もっと攻撃に厚みを出していきたい。つなぐときはつなげばいいと思うし、でも、やっぱり得点を取るときは、それだけでは難しいから相手DFの背後も狙っていかないと」


チームの理想として、永井は3−2で逆転勝利を収めた2ndステージ第2節のガンバ大阪戦を挙げた。

「ガンバ戦は裏を狙うときは狙っていたし、それで困ったらサイドから崩してという攻撃もできていた。中央突破だけじゃ、カウンターだけじゃ限界がある。もっと(矢野やの 貴章 きしょうさんやズミさん(小川おがわ 佳純 よしずみ)といったウイングバックの選手を使って、攻撃に幅をもたせたい」

事実、今シーズン、彼が挙げた7得点も、得意とするDFの背後に走り込んでというものより、混戦からのゴールがほとんどである。

「過去の自分のゴールを振り返っても、ドリブルしてシュートを決めるという得点はあまりない。DFの裏に抜け出してダイレ(ダイレクト)で打ったり、ワンタッチしてシュートしたりというのが多い。そういう得点が今シーズンはあまりないんですよね。自分は止まってプレーするタイプではない。やっぱり、僕みたいな選手は活かしてくれる選手がいないとダメなんです」

指揮官の西野にしのあきら監督からは、「得点する位置に入ってくれ。リスクを冒してでもゴールを奪いに行け!」と言われるという。それは彼だけではなく、チームへのメッセージでもある。

周囲との呼吸が合致した時、永井はトンネルを抜けてまばゆい光を見る。それは同時にチームが大きく飛躍する時でもある。

「僕は雑草っちゃ雑草ですからね。子どもの時からナショナルトレセンとかに選ばれていた選手ではないし、エリートとしては育っていない。どちらかと言えば、ステップアップしてきたという思いが強い」

彼の根本は、広州で歓喜した夜から少しもぶれていない。自分を知っている者ほど強い者はいない。名古屋のエースはさらなる高みへ這い上がろうともがいている。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



永井謙佑(ながい・けんすけ)

1989年3月5日生まれ、広島県出身。名古屋グランパス所属。FW。177cm/74kg。
福岡大学を経て、2011年に名古屋グランパスへ加入。2012-13年シーズンにはスタンダール・リエージュ(ベルギー)に移籍したが、2013年8月に復帰した。U-18から世代別の日本代表にも選ばれ、2012年にはロンドン五輪に出場すると、ベスト4進出に貢献。現在は日本代表にも選ばれ、ロシアW杯出場を目指して戦っている。