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【インタビュー】 ヴァンフォーレ甲府 阿部拓馬選手



初めての海外旅行で動き出した運命

初めて膝を突き合わせて話を聞いたのは、2011年の夏だった。ちょうど、阿部あべ拓馬たくまはJ2を舞台に得点を積み重ね始め、ストライカーとしての才能を覚醒させつつあった。プロ2年目とあって、表情にはまだあどけなさが残り、「普通に就職するのではなく、大学卒業後もどこかでサッカーを続けたいという思いはありました。サッカーが好きなのでやめようという考えはなかったですね」と、プロサッカー選手を目指した経緯を、謙虚に語ってくれたことを思い出す。

あれから4年の歳月が流れた。目の前に座る阿部は精悍な面構えで、身体つきも当時とはひと回りもふた回りも大きく見える。そう告げると、「筋トレとか全然してないんですけどね」と言って無邪気に笑う。その表情は当時のままだが、存在感を醸し出しているのは経験を積んだからなのだろう。

インタビューをした2011年にJ2ながら東京ヴェルディで16得点を記録した阿部は、翌2012年もJ2ではあったが18得点をマークした。取材をしたことも手伝って、もともと気に掛けていたが、これだけの結果を出せば、おそらく2013年はJ1のクラブに移籍するのではないかと考えていた。それだけに彼が下した決断がJ1ではなく、ドイツだったことに驚いた。

「最初は2012年のオフに観光がてら、どこか海外の練習に参加できたらなって思ったんですよね。自分より年下の選手たちも練習参加しているということを聞いたので、自分も行ければなって。代理人にその話をしたら、いくつか参加できるチームがあるかもしれないって言われて。それが自分にとって人生初の海外旅行。初めてパスポートも取りました(笑)。練習参加も最初は半信半疑なところもあって、パスポートを取得するのもぎりぎりになってしまって、ちょっと出発が遅れたくらいでした」

慌ただしくも「すごく楽しかった」と本人が振り返る初めての海外旅行は、刺激に満ち溢れていた。ただ、サッカーにおいては「ドイツに行っていた2週間、ずっと雪ばっかりで、3日くらいしか練習できなかった」と、消化不良のまま帰国した。

「帰ってきてから、もう1チーム、練習参加できるクラブがあるって話をもらったんです。しかも、ちょうどウインターブレイク中で、トルコでキャンプをやるから、そこでならみっちり練習参加することができるって言われたんです。でも、ヴェルディの始動日も迫っていて、トルコに行っても2~3日しか練習できそうになかったから、最初は断ったんです。そうしたら、それでもいいから参加してくれって言われて……」

もし、ここで阿部が重い腰を上げなければ、違う未来が待っていただろう。彼には、わずかな時間でも欧州のサッカーを体感したいという意欲があった。

「3日間の予定でしたけど、練習試合とかも経験させてもらえて、すごく楽しくて。来て良かったなって思っていたんですけど、そうしたら3日目でクラブからもう契約の話をされて。本当に最初は、自分の顔を覚えてもらうためにというか、また次の機会にしっかり練習参加させてもらうために行ったところがあったんですけど、まさかですよね。クラブから獲得したいと言ってもらえたので、自分もじゃあ、行きますって感じでした」


自分自身のサッカーと向き合った時間

話は急展開だった。阿部はこうして当時ブンデスリーガ2部に所属していたVfRアーレンに加入することとなった。帰国すると、慌ただしく準備をしてドイツへと向かった。

「大学時代に一人暮らしの経験はありましたけど、海外旅行したばっかりなのに、急に海外で暮らすことになりましたからね。海外でのプレーやクラブに対する不安はなかったですけど、家に来る書類や契約書のたぐい、あとは携帯電話とか、細々したものが困りましたね」

ドイツ南部に位置するアーレンは人口約7万人程度の小さな町だった。そこで生活する日本人は数えるほどだった。

「10人しかいなかったので、みんな応援してくれました。俺がアーレンに移籍することが決まった時も、日本人が少ないからメールがみんなの間で回ったくらいらしくて。本当に大人になって、こんなに親以外の人のお世話になることなんてあるのかっていうくらい助けてもらいました」


今でもアーレンで出会った日本の人たちとは交流があるといい、ヴァンフォーレ甲府での活躍を気に掛けてくれるという。そして、肝心のサッカーについては想像していた通りでもあった。

「実際のプレーに関しては、細かいところで、衝撃を受けたところはたくさんありましたけど、欧州はサッカーが文化になっているって、よく日本でも言われているじゃないですか。ドイツに行ってみたら、本当にそうだと思いました。オレがプレーしたアーレンのスタジアムは本当に小さいんですけど、雰囲気はすごくいいし、サポーターの声が何より大きい(笑)。テレビで見ていた通りだなって思いましたね」

プレーの激しさも想像通りだった。

「練習は激しかったですね。平気で足の裏で削りに来るんです。特に一人、クレイジーなヤツがいて、遊び感覚のボール回しでも、足の裏でタックルしてくるんですよ。だから、練習前にケガする選手が出てきちゃう。俺も一度、そいつに削られて、練習前にスパイクがぶっ壊れたことがありましたからね(笑)」

みんながみんな乱暴ではないが、日本より「何ごとにも負けず嫌いな選手が多かった」という。そこには「日本よりも移籍が激しい。ちょっと結果が出なければ放出されるし、結果を出せば上のクラブに行ける。誰かが見てくれている」という構図があった。

そんな厳しい環境の中で、阿部自身が“伸びた”と実感したのはプレー以上に考え方だった。

「ヴェルディにいた時は、最初はやっぱり試合で緊張したり、自分のプレーを出せるかどうかばかりにフォーカスしすぎてしまって、プレーが硬くなってしまっていた。でも、ドイツではそんなこと言っている場合じゃないというか。迷っていれば練習でも試合でも削られるし、何よりドイツ人は不完全燃焼で試合を終えることがほとんどないように見えた。自分のチームも相手のチームの選手も持てる力をすべて出し切るというか。どんなに格好悪くても、ボールを奪われれば、最後まで相手を追うし、取り返そうとする。気迫っていうんですかね。それが違った。組織でいえば、ヴァンフォーレのほうが全然しっかりしています。でも、個においては、あっち(ドイツ)のほうがみんな、自分の力を出し切ろうという意識を感じました」

クラブから熱望されて移籍した阿部だが、在籍した2シーズンでは、思うように試合に出られたわけではなかった。

「2年目なんて、おそらく1年間で1試合の90分にも満たないんじゃないですかね。でも、今は自分にとって、その1年間がでかかったと思います。試合に出られず、練習しかしてなかったですけど、その分、自分自身が考えるサッカーと向き合うことができましたから」

先発どころか、メンバー入りすらできない日々——ドイツではメンバー外の選手はオフになることも多く、シーズン中なのに4連休になることもあったという。練習したくてもできないときには、腐りそうになったこともあった。

「でも、腐るのはやめたんです」

そう言って阿部は顔を上げる。

「誰にでもこういう時期ってあるんだろうなって考えてました。それまであまり自分自身のプレーのことがわかってなかったんです。攻撃が好きで、ドリブルが好きなことがわかっているくらいで……。自分と向き合う時間がある中で、何が通用して、何が不得手なのかを整理していったら、チャンスを作ることだったり、決定的な場面のひとつ前のプレーだったりが特徴なんじゃないかって。練習でそういうプレーを何度も試みました。もう評価がこれ以上落ちることはないから、ミスもいっぱいしましたけど、開き直って自分が伸ばそうと思うプレーをやり続けました。あの経験はよかったなって思いましたね」


甲府を上位に導き周囲を驚かせたい

ドイツを去ることになったのは、出場機会を得られずに燻っていたこともあるが、もう一つ、理由があった。

「一度、インタビューで1部昇格に貢献したいって言ったんですけど、そうしたらクラブの人に諭されたんです。サポーターが期待してしまうから、そういうことは言わないでほしいって。アーレンは本当に小さなクラブで、監督ももともとはクラブの育成年代を指導していた人が率いていたので、クラブのスタンスを理解しているんですよね。それだけに引き分けでOKというか。引き分けると、まるで勝ったかのように喜ぶんです。選手も個人的に上を目指そうとしている選手と、現状に満足している選手の両方がいて。上を目指そうとしないクラブの方針というか、そういうことがちょっと個人的には引っ掛かってはいたんです」

ヴァンフォーレ甲府からのオファーが届いたのは、そんな時だった。

「アーレンでの2年目は、正直、構想外みたいな状況で。契約は残っていたんですけど、甲府が話をくれたんです。試合に出なければ選手として成長できないという思いもあったので、甲府でプレーすることを決めました」

2014年7月——阿部は甲府に加入した。東京V時代はJ2しか経験していない彼にとって、それは初めてのJ1だった。

「J2だろうがJ1だろうが緊張とかはなかったですね。ドイツに行って感じたことの一つとして、サッカーはサッカーだなって感じたんです。例えば、ドイツでも日本でも、いいプレーはいいプレーなんですよね。自分がしっかりしていれば、対戦相手が日本人だろうが、外国人だろうが関係ない。逆に自分がしっかりしていなければ、J1でもJ2でも海外でもボールを奪われてしまう」

J1残留を果たして迎えた2015年も、厳しい戦いになるのは覚悟の上だった。

「理想を言えば、自分たちが主導権を握ってチャンスを多く作りたいですよね。ただ、チームの方針として現実的にまずは守備を固めることが前提としてある。理想とのギャップは理解しつつも、生き残るためにはそれも仕方がない。攻められる時間がどうしても長くなりますけど、我慢しながらやっていくことが大事かなと思っています」


今シーズン、1stステージ序盤には6連敗を喫した。第11節を終えて、クラブは監督交代に踏み切る英断も下した。阿部は「そうなってから意識が変わってたんじゃ遅いんですけどね。(監督が交代して)やり方が大きく変わったわけじゃない。ただ、試合に出ている選手は責任を感じなければいけないし、感じているから奮起できたというのはありますね」と、少しずつではあるが前進しているチームの現状を吐露した。

J1残留争いをする中で、甲府はどうしても守備的な戦いを強いられる。ただ、得点源として期待される阿部は、守備のことだけに支配されているわけではない。

「守備をしているときも頭の中では、半分以上は攻撃のことを考えています。ボールを持ったとき、選択肢としてはまず前ですね。自分の前にいる相手をかわしてからパスすれば次の選手が楽になる。2人かわせれば、それこそチャンスになりますからね」

ボールを持てば気持ちがいいほどに、阿部はゴールへ向かう。それはチームメイトが耐え凌ぎ、作り出した大切な好機だとわかっているからだ。

「自分のプレースタイルとか性格的にも後ろ向きにプレーしていたらダメなんです。たとえ、後ろに下げるにしても、常に前を窺いながらやっているつもりです。その前を窺っているという意識が、自分がボールを持ったら仕掛けるという気持ちにもつながっていると思います」

その姿勢がチームにも勢いをもたらす。阿部も甲府もJ1残留という目標に向かって、ひたすら前へと突き進む。ドイツで揉まれ、ひと回りもふた回りも成長した阿部は、目を輝かせながらこう言った。

「もっと甲府を上位に導きたいですね。正直、甲府が上位に食い込んだら、みんなびっくりしますよね。絶対にびっくりする。周りが驚いてるのを見るのは面白いじゃないですか。甲府だからこそ、できることがある。このチームで、強いチームを倒して、周囲を驚かせたい」

そして、ひと通り話し終えた阿部は最後にこう言った。

「ドイツで自分自身と向き合っていたときに感じたことのもう一つに……やっぱりサッカーが好きなんだなって思ったんですよね」

そこには初めて会った4年前と変わらぬ純粋さがある。いや、むしろ、その根幹は月日を経て、より太く逞しくなった。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



阿部拓馬(あべ・たくま)

1987年12月5日生まれ、東京都出身。ヴァンフォーレ甲府所属。FW。171cm/73kg。
法政大学を卒業後、2010年に東京ヴェルディへ加入すると得点源としてゴールを量産。2013年には当時ブンデスリーガ2部のVfRアーレンへ移籍し、2シーズンをドイツで過ごした。2014年7月に甲府へ加入すると、得意のドリブルを活かして活躍。守備的な戦いを強いられるチームにおいて、ストライカーとして攻撃を担っている。





※【お詫び】 「モーニング」本誌39号掲載の阿部拓馬選手のインタビュー記事において、ポジションがFWではなくMFに、背番号が9ではなく8になっていました。深くお詫び申し上げますとともに、今後このような事態が起きないよう細心の注意をもちまして再発防止に努めて参ります。(モーニング編集部)