サッカーファンとしての話をしよう
ふたりの指揮官への思いが2013年8月のことだった。岩上は、当時所属していた湘南ベルマーレの強化部長に呼び出されると、こう告げられた。
「お前に松本山雅FCから期限付き移籍のオファーが来ている。どうするか考えてくれ。ただ、時間がないからすぐに返事をしてほしい」
岩上の頭は目まぐるしく回転する。当時の湘南は、現在と同じくJ1を戦っていたが、松本はJ2だった。カテゴリーで考えれば、湘南にとどまったほうが、より高いレベルでプレーできる。それでも……岩上は「行きます」と即答した。
「(松本の)監督がソリさん(反町康治)だったので、迷わず決断できたというのはあります。(自分の)プロの道を切り開いてくれたのがソリさんだったんです。だから、恩返ししたいというか、助けになりたいという思いがあった。それ以上に、またソリさんの下でサッカーがしたいという気持ちもありました」
岩上は大学4年生の2011年に特別指定選手として湘南でプレーしているが、その当時の監督が反町だった。短期間ではあったが反町の指導を受け、大学生ながらJリーグの公式戦にも出場した。何より、それが湘南との正式契約にもつながった。
強化部長に返事をした岩上は、その足で、湘南の監督である曺のもとへ向かった。
「もちろん、強化部長も引き留めてはくれましたし、曺さんとふたりで話したときも、チームとしては行かないでほしいということは言われました」
出場機会に恵まれていないわけではなかった。2013年シーズン、J1第20節を終えて、先発こそ1試合のみだったが、8試合に途中出場していた。ベンチ入りする機会は多く、曺からは間違いなく戦力として見なされていた。だからこそ、クラブにも監督にも慰留されたのだろう。
ただ、曺は「これからもともにプレーしていきたい」という監督としての思いを告げた上で、岩上にこう声をかけた。
「ここからは、ひとりのサッカーファンとして言わせてもらえれば、移籍するのもひとつの手段だと思う。松本でスタートから試合に出られるのであれば、チャレンジするのもありかもしれない」
岩上は、その会話を思い出すように振り返る。
「曺さんのその言葉が大きかったですね。そう言ってもらってなかったら、もしかしたら自分のなかでも迷いが生じていたかもしれない。ずっとベンチ外だったのなら話は別ですけど、試合ではベンチ入りさせてもらっていて、途中からですけど、試合にも出させてもらっていた。それなのに、急に松本から移籍の話をもらって、自分の身勝手な思いというか、それだけで行きたいという決断をしていたら、どこか後ろめたさが残っていたかもしれない。曺さんの言葉に、背中を押してもらいました」
移籍期限ぎりぎりということもあって、松本行きは慌ただしかった。翌朝、湘南の練習場に顔を出し、チームメイトに別れの挨拶をすませると、すぐに松本へと向かった。
「チームメイトにも噂というか情報は出回っていたので『お前、行くの?』『はい』みたいな感じで挨拶して、その翌日にはもう、松本の練習に参加していました。最初はもちろん、家もなくて、ホテル住まいでしたね」
先発で試合に出たいという思いが強かった。松本に行っても、それが保証されているわけではない。反町から直接、連絡があったわけでもない。ただ、オファーが来たという事実だけで、必要とされていることは感じられた。
「特別指定選手のときに指導を受けていたので、ソリさんがやりたいサッカーも、自分がプレーすることになるポジションのこともだいたいイメージできていた。あとは、チームのコンセプトに合わせるだけかなという思いはあった」
「期待してるから呼んでくれたんだろうなって、自分の勝手な解釈なんですけどね」と、岩上は笑う。「ソリさん自体がそんなに選手と直接、話す監督ではない」というが、2013年は加入してから、(出場停止の試合を除く)J2全試合で先発起用されたという事実が、信頼を物語っていた。
「試合に使い続けてもらっているだけでも、いろいろなメッセージは伝わってくるし、信頼してもらえていることは強く感じる。だから、助けになりたいですし、またソリさんに恩返ししたいと思うようになる」
先発出場すればするだけ、出場時間が長くなればなるだけ、岩上は自信を深めていった。
「スタートから試合に出ると、試合勘というか自分のなかの感覚が違う。1試合ごとに成長しているというのを実感するし、それが1年間通してできれば、また大きなプラスになる」
松本の名物となりつつあるロングスロー
期限付き移籍だった2013年を終え、完全移籍した2014年、松本はクラブ史上初となるJ1昇格を決めた。岩上はそのシーズン、リーグ戦41試合に出場して8得点と活躍。うち途中交代はあっても、途中出場は一度もなかった。「13年と14年で(チームが)何か変わったかと言えば、何も変わっていないと思います。ただ、目指すサッカーの徹底度合いが上がっているというのはある。あとは、ハユさん(
クラブ初のJ1で迎えた今シーズンは、より厳しい戦いになることは百も承知である。
「本当にJ1とJ2とではすべてが違うとしか言いようがない。プレーだったり、判断だったり、ありとあらゆるスピードが違う。J1の選手は簡単なことは、絶対にミスせずにやる。J2ならば、多少、こちらがプレッシャーを掛ければずれたりするけど、J1ではそれがない。逆にこちらが変なミスをすれば、簡単に失点につながってしまうので、気をつけなければならないというか、ひとつひとつ集中してプレーしないといけないですね」
チームはJ1リーグ1stステージ第15節を終えて14位と苦戦しているが、「自分たちのスタイルをぶれずに貫き通す」ことで、徐々に結果もついてきた。
「自分たちにポゼッションサッカーは向いていない」とまで岩上が言い切る松本は、「ある程度、相手にボールを保持させて、しっかり守備を固めてから、奪った後のカウンターを武器としている」。
それを裏付けているのが、1stステージ第15節を終えて、チーム平均走行距離ではリーグ2位の116.1kmを記録している走力にある。
「運動量では自信を持てるチームだと思うので、ボールを奪った後のカウンターで、パス本数を少なくしてゴールに辿り着くというのが、チームのコンセプトだと考えています。見る人にとってみれば、何本も、何本も、パスをつないでいくポゼッションサッカーのほうがいいのかもしれないですけど、自分たちにとってそれは理想にすぎない」
走力と同じく、松本が武器としているのがセットプレーである。岩上が投げるロングスローはいまや松本の名物になりつつある。岩上は「ソリさんからも投げろと言われていますし、実は自分発信ではなくDFからなんです。スローインのとき、まだ、それほどロングスローを狙える位置じゃないだろうというときでも、DFの選手がゴール前に上がってくるので、それで『行くんだ』って思います」と、苦笑いしながら教えてくれた。
「ただ、それだけ徹底しないと勝てないというのはわかっている。なので、多少、遠い位置からでもゴール前に投げようと思う。セットプレーになれば、相手もマークするのは面倒だろうし、嫌だろうし、そこは徹底してやっていきたいですね」
あの声援に走らないわけにはいかない
ただ、3−4−2−1システムの「2」、いわゆるシャドーでプレーする岩上の魅力は、ロングスローだけではない。「自分的にはミドルシュートは得意なほうだと思います。だから、(1トップの)オビナが潰れた後のセカンドボールを拾ってシュートまで持っていくことは意識しています。あとはやっぱり走力かな。チームで一番走るという気持ちで毎試合、臨んでいますし、僕が走ることによってチームの助けになればいい。シャドーでコンビを組んでいる(
思えば、松本のJ1ホーム初勝利は、この男の右足によってもたらされた。4月25日に行われたJ1リーグ1stステージ第7節、ベガルタ仙台戦の60分。左クロスを受けた岩上は、オビナとともに仙台DFのマークをかいくぐると、ゴール右に抜け出して右足を振り抜いた。
ゴールネットが揺れた瞬間、Jリーグ屈指の雰囲気と言われる通称アルウィン(松本平広域公園総合球技場)のボルテージは最高潮に達した。得点した岩上は「咄嗟でした」と照れたが、一目散にサポーターが待つゴール裏へ駆け寄ると、喜びを分かち合った。
「(ホームで初めてJ1で)勝った瞬間は素直にうれしかったですけど、得点後は、まだ試合が終わるまでに時間があったので、勝ってるときのメンタリティというか、相手も焦ってくるとは思ったので、そこをうまくいなすというか時間を使おうと心がけていましたね」
厳しい戦いはまだまだ続く。むしろ走力を武器とする松本にとって、これから訪れる夏場こそが勝負となる。
「まだまだ、凡ミスがあるので、そこをいかに少なくするか。逆にミスをしたとしても、周りの選手がカバーできるかどうかで大きく変わってくる。いかに高い集中力を保ったまま90分間を戦えるか。守り方の答えはある程度わかってきた。どこを抑えなければいけないというのもわかってきた。チームの戦い方はぶれることはない。あとは、その質を上げていくだけです」
松本には、最高のサポーターがついている。
「特にボールを奪った後の歓声がすごい。それに背中を押され、『走らなきゃいけない』って思いますね。いい意味でサポーターの方たちからはプレッシャーを掛けられています」
松本の前線には、試合終了のホイッスルが鳴るまで走り続ける岩上の姿がある。その背中にはプロへの扉を開けてくれた反町、ステップアップへの後押しをしてくれた曺、そして大歓声を送ってくれるサポーターの後押しがいつも響いている。(了)
取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹
岩上祐三(いわかみ・ゆうぞう)
1989年7月28日生まれ、茨城県出身。松本山雅FC所属。MF。170cm/69kg。前橋商業高校、東海大学を経て、2012年に湘南ベルマーレへ加入。2013年シーズン途中に松本山雅FCへと期限付き移籍すると、翌年は完全移籍を果たし、クラブ史上初となるJ1昇格に貢献した。今シーズンも豊富な運動量を武器に2列目で躍動。ロングスローのほか、プレースキックも得意としており、チームの攻撃を担っている。