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【インタビュー】 湘南ベルマーレ 遠藤航選手



移籍を断り、湘南に留まった思い

遠藤航えんどうわたる は悩んでいた。

2014年シーズン、所属する湘南ベルマーレはJ2優勝を成し遂げ、2年ぶりのJ1復帰を決めていた。その中で遠藤はリーグ戦38試合に出場。プロ4年目を終えて、湘南では不動のセンターバックとして確固たる地位を築いていた。

リオ五輪を目指すU-22日本代表でも主軸を担っているように、これまでも各年代の日本代表に選ばれてきた。その将来有望なDFに他クラブが注視しないわけはなく、昨冬、浦和レッズから獲得のオファーが舞い込んだのだ。

「これまでの人生の中で一番悩んだかもしれない。ある日は、移籍したほうがいいんじゃないかと思うけど、一晩寝て、次の日に改めて考えたら、やっぱり湘南に残ろうという思いになる。そんなことの繰り返しで、毎日のように考えが変わっていましたね」

家族にはオファーが届いているという話はしたが、心情を吐露したわけではなかった。移籍は“選手”としての決断である。プレーヤーとして、フットボーラーとしていかなる選択をすべきなのか。自問自答する日々を送っていた遠藤にとって、一番の理解者はチームメイトの永木亮太ながきりょうただった。同じ選手だからこそ、ともに湘南を牽引してきたからこそ、気持ちは分かってもらえた。

「亮太くんと話した時間が一番長かったかもしれないですね」

まるで学生のように長い時間、いわゆるファミレスで語り合ったこともあった。簡単に結論の出る内容ではなく、気がつけば6時間が過ぎていたという。

「そのとき、彼にも移籍の話がきていましたし、過去にも亮太くんはセレッソ大阪からオファーが届いて、移籍するか残留するかで悩んでいたこともあったので、相談しやすかったというのもありますよね」


おそらく、そこでの会話も、悩んでいた日々と同じく、堂々巡りだったのだろう。話が移籍する方向に傾けば、残留する流れにもなる。湘南のサポーターから見れば、キャプテンで中盤の底を担う永木と、最終ラインの一角を務める遠藤の話し合いは、チームの命運を左右する首脳会談のようなものだろう。朗報だったのは、ふたりの出した答えが同じで、湘南に残留するという結論だったということだ。

「最終的には一緒にがんばろうという話になりましたね」

そこにはこんな思いがあった。

ちょう貴裁きじぇ)監督が、自分を(湘南の)ユースに上げてくれたんです。自分がプロになれたのも、ユースで指導してくれた曺さんが、そのとき、トップチームにいたからだと思うんですよね。だから、他のチームではなく、湘南で、曺さんと一緒にJ1で結果を残したいという思いがあった。2013年をJ1で戦い、J2に降格して、そこから1年ではい上がって、今シーズンからJ1に戻ってくることができた。亮太くんもそうですけど、その経験をしている選手がチームには多い。その選手たちと、もう1回、J1で戦いたいという気持ちが自分の中では強かったんです。なかなか考えはまとまらなかったですけど、最終的にはそうした思いが勝って、残留を決めました」

シーズンが始まった今は、もう迷いも悩みもない。

「間違いなく、今回の決断もいつか振り返ってみたら、自分にとってのターニングポイントになると思いますね」と、力強く話す彼の分岐点には、いつも曺監督の存在があった。だからこそ、彼は湘南で戦うことを選択したのだろう。


いつも分岐点には曺監督の存在があった

もともと小学生のときはストライカーだったという遠藤が、センターバックとしてプレーするようになったのは中学2年生になってからだ。1つ年上の先輩たちが部活を引退し、遠藤たちの世代が中心となった新チームが始動する中で、顧問の先生から打診された。

「お前、センターバックでやってみないか?」

当時の監督は理由をこう説明したという。

「新チームにはセンターバックを務めることのできる選手がいない。お前の良さは、フィードにある。その特徴を後ろから活かしてもらいたい。ボランチより後方でプレーして、チームを安定させてほしいんだ」

学生時代にポジションをコンバートされた選手は星の数ほどいる。だが、その多くは半ば嫌々か、強引に変わることがほとんどだ。ところが遠藤の場合は違った。即答したのである。

「監督から理由を説明されて、妙に納得したんですよね。正直、強いチームではなかったんです。1つ年上の先輩たちの代も神奈川県でベスト8にも入れなくて、ようやく僕らの代で県ベスト8に入ったくらい。それこそ中学生からサッカーを始めた選手もいるくらいで。だから、考えてみると、たしかにセンターバックをやれる選手がいないなって思ったんです。それで監督の考えがしっくり来たというか、面白そうだなとも思ったんです」

こうして“センターバックの遠藤航”が誕生した。

「振り返ってみると、自分でもなんですんなり受け入れたのか分からないですね。中1でもFWで試合に出ていて、中2のときはトップ下とかボランチで試合に出ていたんです。これは今もですけど、いろいろなポジションでプレーすることはポジティブに捉えていますし、そのときも自分の中で、素直にいい経験になるなって思ったのかもしれないですね」

これが彼の人生を変えた。

「センターバックをやるようになってから、トレセン(※)にも選ばれるようになったんです。それで中学3年生の夏くらいですかね。僕のプレーが曺さんの目に留まったらしく、それで湘南のユースに入ることが決まった。だから、もし中学2年生のとき、センターバックになっていなかったら、自分はここまで来ていなかったかもしれない。それを思うと、その決断も自分にとってのターニングポイントだったと思います」

  ※有望な選手を選抜し指導すること。


それから遠藤は、曺監督とともに歩み、選手として成長してきた。湘南のユースでは曺監督から直接指導を受け、曺監督がトップチームの(ヘッドコーチを務めていた2010年には、2種登録選手としてJ1に6試合出場。その後、2012年に曺監督がトップチームの指揮官に就任してからは、苦楽をともにしてきた。


J1で通用するということを証明する

湘南は、曺監督就任1年目の2012年にJ1昇格を果たすも、2013年は16位に終わり1年でJ2へと降格した。指揮官が交代することなく続投して臨んだ昨シーズン、雪辱を誓ったチームは、J2で勝ち点を101の大台に乗せるぶっちぎりの強さで優勝を決めて、J1へと返り咲いたのは先にも説明した通りだ。

遠藤にとっては3度目のJ1、曺監督とともに迎える2度目のJ1に並々ならぬ意欲を見せる。2012年から継続し、今や“湘南スタイル”とまで呼ばれ、確立されてきたサッカーとは、どのようなものなのだろうか。

「攻守にアグレッシブなサッカーで、攻撃に関して言えば、縦に速いというか、ボールを奪ったら後ろからどんどん人が、わーっと湧き出て行くと言えばいいんですかね。スピーディーな攻撃というのを第一に求めています。そこが僕ら湘南の良さでもある。あと守備では、前線からどんどんプレスを掛けて、前で、高い位置でボールを奪うことを目標にやっているので、そこも見てもらいたい」


焦点は、J2を席巻したその“湘南スタイル”が、J1で通用するかどうかだ。

「J1は、例えば、自分たちがミスしたときに、そこを確実に突いてくるというか……本当にひとつのミスが命取りに、失点に繋がってしまう。こちらが攻撃しようとしたとき、ボールを縦に入れることを少し躊躇して、ひとつ横に動かしただけでも相手の陣形が整ってしまう。本当にちょっとしたところなんですけど、そのちょっとが大きい。だから昨シーズンも、J2を戦いながらも、J1を意識して、もしかしたらこういうプレーだと、J1では止められていただろうなとか、J1ではやられていただろうなって思いながらやっていましたね」

J1を経験し、身をもって悔しさを体感してきたからこそ分かるものがある。

「あとは、単純に精度の差ですよね。サッカーは簡潔に言えば、多くゴールを決めたほうが勝つ競技。J1だと、相手に決め切る力があったり、最後のところで身体を張って守ることができる個の強さがある。2013年にJ1を戦って最も感じたのはそこです。だから、個が成長しなければ、J1で勝てるチームにはならないと思って取り組んで来ました。曺さんも、常に『J1を意識しろ』『J1基準でプレーしろ』ということを僕らに言ってきました」

そして、J2でも上を視野に入れることで、湘南は結果だけでなく、自信をも培ってきた。いまは、あのときとは違うという自負がある。

「昨シーズンは、今までやってきたことが結果として表れてきた。曺さんが監督になってから、今日まで、やることは変わっていない。その中でそれぞれのクオリティが上がったからこそ、結果が出たんだと、僕は感じています。なかでも、90分を通して運動量が落ちなくなったというのは特に感じているし、今シーズン、ボールを回されたり、苦しい展開を強いられたりして、いざ、そこからカウンターに、前に出ようとなったとしても、走り切ることができると思う。走る量だけでなく、質も上がっている。その証拠に、昨シーズンは、後半終了間際やアディショナルタイムでの得点というのもかなり多かったと思います。我慢していれば、絶対にチャンスが来るという自信がある」

彼の言葉はJ1でも結果となって証明された。3月14日に行われたJ1 1stステージ第2節対鹿島アントラーズ戦でのことだった。13分という早い時間帯に先制点を許した湘南は、追いかける展開を強いられた。だが、湘南の選手たちは諦めることなく、自分たちのスタイルを貫くと、54分にPKを獲得。それを遠藤が決めて同点に追いついた。

さらに1-1で迎えたアディショナルタイムに、途中出場のFWアリソンが、右クロスを頭で決めて逆転。今シーズンJ1初勝利を挙げた。そして、右サイドから決勝弾を生んだクロスを上げたのが、遠藤だった。試合後、彼はインタビューで聞いた言葉と同じことを繰り返していた。

「我慢すればチャンスはあると信じていた。次につながる勝ち点3だと思います」

話していると、彼が22歳の若者であることを忘れてしまうほど成熟している。それはすでに二児の父親だということも少なからず影響しているのだろう。大人の振る舞いに好感を抱くが、若者らしく素直に心情を打ち明けてくれもする。そこがまた、人間として魅力的に映る。

「もちろん、絶対にJ1で勝てるという自信はないですし、不安もあります。でも、このサッカーをやっていれば、結果はついてくるんじゃないかという思いがあるんです。だから、相手を気にするのではなく、自分たちがやってきたことを100%出すことに集中することが大事だと思います。キャプテンの(永木)亮太くんをはじめ、今年はいろいろな選手が『証明する』という言葉を口にしている。僕も湘南がJ1で通用するということを証明したいし、個人としては2010年、2013年とJ1を経験し、なかなか勝てないシーズンを過ごしたので、今シーズンこそJ1で通用するということを証明したいなって意識しています」

もう迷いも、悩みもない。目指すのは上だけだ。曺監督が選手たちに植え付けたのは、“湘南スタイル”というサッカーだけではない。自分たちを信じて戦う彼ら自身が“湘南スタイル”なのである。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



遠藤航(えんどう・わたる)

1993年2月9日生まれ、神奈川県出身。湘南ベルマーレ所属。DF。178cm/75kg。
ユースから育成組織で育ち、2010年には2種登録選手としてJ1で6試合に出場し1得点の記録を残す。2011年に、正式にトップチームへ昇格すると、主にセンターバックとして活躍。各年代の日本代表にも招集され、リオ五輪を目指すU-22日本代表では、中心選手として期待されている逸材。