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【インタビュー】 川崎フロンターレ 小林悠選手



ノートに綴った自分自身への誓い

2012年シーズンが終わったとき、小林悠こばやしゆうはノートにこう書き記したという。

「絶対に人のせいにしない」
「絶対に物のせいにしない」

いわゆるサッカーノートである。最近は頻繁に書くこともなくなったと笑うが、当時の彼は文字に残すことで、自分に暗示をかけようとしていたのかもしれない。2012年の終わりに書いた言葉を、年が明けたときにも再びノートに綴ったというから、それだけの思いや決意が込められていたのだろう。

小林が拓殖大学を卒業して川崎フロンターレに加入したのは2010年。ルーキーイヤーはリーグ戦6試合の出場に終わったが、翌2011年は一気に飛躍すると、32試合でピッチに立った。その数字以上に目覚ましかったのが、リーグ戦12得点という記録だった。ただし、本人にとっては、いま思い起こすと、まだまだ未熟だったようだ。

「自分で言うのもあれですけど、2011年に取った12得点は、本当にいんちきみたいなゴールばっかりだったんです……たまたまみたいな。なんか、その場にいたから、ワンタッチで決めるようなゴールばっかりで」

そうはいっても、特にストライカーは結果がすべてだ。二桁得点をマークすれば、主軸として地位を確立していくだろうと想像できる。ところが、だ。

「2012年はなかなか得点が取れなくて、すごく苦労したんです。ちょうどそのシーズンに風間かざま八宏やひろ)さんが監督に就任して、好きではない右サイドでプレーすることになって。何もかもうまく行かないまま、そのシーズンが終わってしまった。その年、たぶん、僕が一番、前半で交代させられる回数が多かったんですよ。『自分としては悪くないのになんで交代させられるんだろう、なんで僕ばっかりなんだろう』って、ネガティブなことばかり考えていました」


不慣れな右サイドでの出場が増えたことも重なり、得点数は前年の半分、6得点に終わった。

うまく行かないプレーと思い通りにならない日々に、気持ちは腐りかけていた。

「本当に妻には迷惑かけたんじゃないかなって思います。家ではなるべく文句を言わないように意識していたつもりですけど、多分、自然と出ていたんじゃないかなって思います。『なんで右サイドでプレーしなきゃいけないんだよ』みたいな……うーん、絶対言ってたわ。言ってました、言ってました。妻も優しいから『FWでやりたいよね』って話を聞いてくれていたと思います。いま、思うと、マジ、格好悪いっすね」

このままでは終わってしまう。 「ここが自分にとって、本当のターニングポイントですね。ここで考え方を改めていなかったら、もう本当にね、いま、サッカーをやれているか分からない」 だからこそ、2012年のシーズンが終わると回心転意した。

「誰かのせいにすることなく、右サイドで自分が生きる道を探すというか。自分が試合に出るためにどうすればいいかを全力で考えてやろう、というようなことも、ノートに書いたと思います」


昔とは違う“確固たるプレー”への自信がある

風間監督が就任したばかりのころは、「言うことが難しくて理解できなかった」という小林だが、迎えた2013年シーズンは、とにかく言われるがままに動いてみようと考えた。

「右サイドでプレーするのが嫌だからといって、監督の言っていることを否定していたら、いつまで経っても試合には出られないじゃないですか。それで、イエスマンじゃないですけど、とりあえず、まずは聞き入れようと思った。サッカーをやっていると、これは違うと思うことは少なからずあると思うんですよね。でも、そのときは、とりあえず言われたことはチャレンジしてみようって思った。そうしたら、いつの間にか、うまくなっていったんです。最初はできなかったことが、試合でできたりすると、自分が一番驚くというか。言われていたプレーが成功すると、『あっ、こういうことか』って感じたんです」

練習や試合での成功体験が多くなるに連れて、出場機会も右肩上がりに増えていった。

「考え方を変えるだけで、こんなにも変わるんだって思いましたね。練習に対する意欲も変わっていった。そのせいかは分からないですけど、2013年は、シーズン序盤から試合に出られるようになった。途中で膝の半月板を負傷してしまったんですけれど、それまではすごく順調に得点もできていて、何より、人間としても成長できているなって実感できました」

ケガの影響もあり、2013年はリーグ戦5得点に終わったが、前年とは違う確かな手応えがあった。風間監督の掲げるサッカーをどんどん吸収していった時期と言えるだろう。

「相手を外す動きに関しては、風間さんが監督になってから、格段にうまくなったと自覚しています。いまでは、そうした動きはチームのなかでも得意なほうだと思うので、本当にレベルアップさせてもらったと感じています」

FWとしてだけでなく、右サイドでのプレーをモノにした小林は、昨シーズンのリーグ戦で12得点を挙げた。

「昔(2011年)はたまたまのゴールが多かったけど……それはそれでFWとしては大事な能力だとは思うんです。でも、その翌年から、そのたまたまが起きなくなって、得点が決められなくなった。それから、いろいろな得点のバリエーションを練習して増やしたことでいまの自分はある。いまは、自分の考えがあって、ちゃんとゴールにつながる過程も見えている上でゴールを奪えている。だから、あのころとは違うというのはありますね」


風間監督と出会ってサッカー観が変わったと話す川崎の選手は多い。もちろん、小林もそのひとりである。

「一番驚いたのは、パスに対して少しでもボールに触れたのであれば、それをミスした場合は、受け手のほうの止める技術がないからだと言われるんです。どんなボールでも、受け手が触れたのであれば、しっかり自分の範囲内に止めなければいけないって。それを聞いたときは、自分のサッカー観が変わりましたね」

風間監督は、率いるチームがプロの集団だからこそ、「止める、蹴る」の高い技術を追求する。その技術が伴ってこそ、風間監督が標榜するサッカーはピッチで確実に体現され、チームは上を目指すことができる。

「簡単に言えば、フロンターレのサッカーは、ボールを奪われずにゴールを決めるのが理想。ボールを取られないということに関しては、口を酸っぱくして言われます。ボールの置き方だったり、パスひとつにしてもこだわるので、選手たちの意識も変わったし、練習に対する意欲も増している。みんな、うまくなってるんじゃないですかね」

右サイドでプレーするようになったことで、小林のプレーには多彩性が出てきた。

「右サイドから斜めに走る動きは、そのままFWでプレーするときも使えることがある。それは、もしかしたらFWでプレーしていただけならば、気がつかなかったことかもしれない。相手DFとの駆け引きや裏を取る方法はかなり身につけてきたので、それはFWでもうまく使えてくるんじゃないかと思います」

周囲も小林の個性を把握し、また小林も周囲の特徴をつかんでいるからこその“阿吽の呼吸”が、チームにはある。

「(中村なかむら憲剛けんごさん、(大久保おおくぼ嘉人よしとさん、(大島おおしま僚太りょうたがボールを持ったときは、その持ち方でパスが出てくるタイミングが分かる。出し手と受け手の呼吸が合わなければ、パスは通らないですからね。だから、まず味方のボールの持ち方を見て、さらに相手の体勢や視線を見てから動くと、裏を取れるんですよね。それも何度も練習して、自分の形というのができてきたんですけど」

そう言ってから、小林は「そう、そう」と続けた。それは風間監督から提示された新たなる課題についてだった。

「味方を見ずに、相手を見てパスしろって言われるんです。相手の体重の乗り方だったり、相手の状況を見て、相手のいないところにパスを出せって。本当に風間さんの指導法は独自。観点が違うというか、発想が違うというか。そのおかげで、自分の引き出しも増えたとは思っています」


クラブへの思いとタイトル奪取への決意

風間監督に出会いサッカー観が変わった川崎の選手たちは、Jリーグ屈指ともいえる攻撃的なサッカーを築き上げつつある。自分たちがボールを保持し、引いた相手をもパスワークや各々の動きで崩そうとするサッカーは、見る者を魅了する。指揮官に引き出しが多いため、ひとつ課題をクリアすれば、新たな教材をわたされる。そのため、チームの進化はとどまるところを知らない。

だが、その一方で、大事な試合で勝ちきれなかったり、落としてしまったりする傾向にある。安定感が足りないと言えば、それまでだが、あと一歩が足りず、タイトルに手が届かないのが現状だ。

「失点が多いので改善していかなければいけないですよね。DFだけの問題というのではなく、チーム全体で取り組んでいかなければならない。最後の時間帯で、僕たち攻撃陣も守備を頑張るとか、ボールをキープするだとか……失点さえ減らせば、絶対に優勝できるとは思うので、そこはもっとチームとして話し合っていかなきゃいけないところですよね」

言葉は「ただ……」と続く。そこには目指すサッカーへの信念が見え隠れする。

「やっぱり僕らは1−0で勝つよりも、3−2とか4−3で勝ちたい。それがフロンターレですから。Jリーグは守備の堅いチームが優勝していますが、それを変えたいですよね」


自然と「優勝」の二文字が口から発せられるのは、自分たちのサッカーに自信を持っている証拠でもある。

「フロンターレは、大学のときにケガをしていた僕を拾ってくれたクラブなので、恩返ししたいんですよね。それと………憲剛さんですよね。これだけフロンターレを引っ張ってきた人にトロフィーを掲げてもらいたい。その瞬間を一緒に味わえたら最高ですよね」

小林は今年で28歳になる。川崎に加入して6年目のシーズンを迎えている。

1stステージ第3節のモンテディオ山形戦で肉離れを起こして離脱した小林は、第6節のベガルタ仙台戦で復帰すると、いきなり復活弾を決めた。しかし、サンフレッチェ広島との第10節で、ウォーミングアップ中に膝を痛めると、再び戦列を離れることになった。アクシデントが続いているが、彼はこれまでもケガから復帰するたびに、ひと回りもふた回りも成長してピッチに戻ってきた。

「ずっと試合に出続けていると気付けなかったことが見えてくることもある。ケガをしている時間を無駄にしないことが一番大事だと思うので、毎日、ケガが治ったときの自分を想像して過ごしているんです。それが復帰したときにパワーアップしていける自分につながっているんじゃないかなって思います」

ケガをするたびに逞しくなって帰ってくる。もう腐ることも、ネガティブになることもない。困難も苦しみも乗り越えていける強さがある。そこには昔とは違う“小林悠”がいる。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



小林悠(こばやし・ゆう)

1987年9月23日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ所属。FW。177cm/70kg。
麻布大淵野辺高校、拓殖大学を経て、2010年に川崎フロンターレへ加入。2011年に出場機会を得るとJ1で12得点をマーク。その後、途中交代などが増えていたが、昨シーズン、右サイドやFWとして開花すると再びJ1で12得点。その活躍が認められ、昨年10月には日本代表デビューを果たした。