『ある行旅死亡人の物語』の著者が語る、「亡き者」へのこだわり。そして漫画『亡き者のクロニクル』を読んで考える「孤独に死ぬことは不幸なのか」。

現在「コミックDAYS」にて連載中の漫画『亡き者のクロニクル』は、元刑事の蔵骨林檎と、父を不審死で亡くした大空一冴という二人がコンビを組んで、身元不明の遺体=行旅死亡人の素性を捜索するヒューマンサスペンスで、現在電子版単行本2巻まで発売中です。一方、2022年11月に刊行、今でも増刷を重ねるノンフィクション『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)。その著者の一人である通信社記者・武田惇志さんに『亡き者のクロニクル』を読んでいただいたうえで、「行旅死亡人」という 死者の物語に惹かれる理由を伺いました。

現在「コミックDAYS」にて連載中の漫画『亡き者のクロニクル』は、元刑事の蔵骨林檎と、父を不審死で亡くした大空一冴という二人がコンビを組んで、身元不明の遺体=行旅死亡人の素性を捜索するヒューマンサスペンスで、現在電子版単行本2巻まで発売中です。一方、2022年11月に刊行、今でも増刷を重ねるノンフィクション『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)。その著者の一人である通信社記者・武田惇志さんに『亡き者のクロニクル』を読んでいただいたうえで、「行旅死亡人」という 死者の物語に惹かれる理由を伺いました。

聞き手:モーニング編集部

 

 

──武田さんが『ある行旅死亡人の物語』上梓後も、たびたび「行旅死亡人」をテーマに記事を公開していらっしゃいます。

ある行旅死亡人の物語
著:武田惇志 伊藤亜衣
発行:毎日新聞出版 定価:1,760円(税込)

 

武田: 「行旅死亡人」については、ずっと追いかけているわけではなく「どこかで気にしている」という感じですね。このテーマでは、90年代に朝日新聞の記者さんが記事を書いたことがあり、それがインディーズ映画『行旅死亡人』の原案になったことがありました。「もうひとりの私が死んだ」という記事です。おそらくですが、行旅死亡人にドラマを見出してトレースしようとしたのは、この記者さんと私だけかもしれません。

 

──となると、行旅死亡人をテーマに取材をしているのは、使命感でしょうか。

武田: それは大袈裟ですね…。ただ、そこに人の関心があれば自分の関心もある。しかも、それを誰も追いかけていないのであれば、一人くらい深掘りする記者がいてもいいだろう、というくらいの気持ちです。実際には常に追いかけているわけではなく、たまに官報を見て気になるケースがあれば取材をして、そこから深まりそうであれば本腰を入れる、というかたちです。『ある行旅死亡人の物語』で書いたケースは「じゃあ現場まで行ってみようか」となった例です。

 

『ある行旅死亡人の物語』上梓後も、精力的に「行旅死亡人」の取材を続ける武田さんの記事。

nordot.app

 

 

──日頃からリサーチをかけているんですね。

武田: 官報を見て、気になったら電話をかけることはあります。官報は行旅死亡人の情報を載せて終わり、というものであって、自治体からすれば問い合わせが来ることを想定していないと思います。私自身、問い合わせた際にけんもほろろな対応を受けたことがあります。官報に載せるということは情報を募っていることになるのですが…。

 

──それは取材をして初めてわかったことなんでしょうか?

武田: そうですね。それまでは知りませんでした。

 

──逆に、自治体にとっては「よくぞここまで調べてくれました」というケースもあるわけですよね。

武田: 自治体からそのように言われることはありません。今の時代、個人情報の保護が優先されますので。それに、行旅死亡人の情報をどこまで出すのかという点で自治体によって差もあります。自治体にとっては深掘りされても特にメリットがないので、温度差はありますね。『亡き者のクロニクル』の林檎園のような人たちがいれば、また話は違ってくると思いますが。

オモテの顔は「林檎園」という児童養護施設。その裏で主人公たちは、行旅死亡人の捜索をしている。

──調べれば身元がわかるはずの人が、そのまま放置されているということはあるのでしょうか。

武田: 私たち記者は以前から、ネットで官報の検索機能を情報収集の目的で使っていましたが、機能変更があり、個人情報保護の観点から人名でヒットすることがなくなってしまいました。こうなると「行政は身元を明らかにしてほしいという気持ちがあるんだろうか」と、ついつい勘繰ってしまいます。すでに紙の官報が廃止されている以上、我々一般人には情報を知る術がなくなってしまっているのが現状です。

 

──「それでもいい」ということなのでしょうか。

武田: 原則論からすればおかしな話です。たとえば明治時代なら、行旅死亡人の情報を新聞に載せて官報に載せて、それでも情報が出てこなかったら終わり、でよかったわけです。しかし現代はネット社会です。もし本気で情報提供を求めるなら、自治体もネット空間などでもっとやれることがあるように思います。ただ実際は、十中八九、身元が見つからない存在こそが行旅死亡人なので、そこまでやっても見つかる保証がなければ予算もかけられない…ということなんでしょうね。

 

──武田さんにとって、そもそも「世間から見限られた人」を追いかける動機とは?『ある行旅死亡人の物語』では後半に進むにつれ、著者のお二人の気分が高揚していく様子が読み取れます。

武田: たしかにこの時は、小出しではあっても情報を得続けられたので、追い甲斐がありました。しかしそういうケースはほとんどなく、官報以上のことがわかることはあまりありません。通常、行旅死亡人が官報に載るのは、死後1年以上経ってからです。事件においては、早く取材しないと情報がどんどん薄れていきますので、その意味では「行旅死亡人」は取材対象としてハードルが高いです。1年も経つと、関係者を捜すのも一苦労です。

 

──人の記憶も1年経てば薄れていきますよね。

武田: 時間と人をかければまた状況は変わるのかもしれませんが、記者が本業の合間に取材する程度であれば、情報はまず見つけられないですね。官報に名前があるケース、たとえば『亡き者のクロニクル』の団地編で「自称◯◯」というおばあさんが出てきましたが、こうした場合なら多少でもわかる可能性があります。「自称」という場合は、たいていがその人本人なのですが、名前だけでもわかっていれば調べる術がいくつも見出せます。もちろん偽名の場合もあり、難しい取材に変わりはありませんが。

 

第2章「集合住宅の行旅さん」に登場する「自称○○さん」。これだけでも、貴重な情報になる。

──『ある行旅死亡人の物語』では、「鮮度」が落ちている情報をあえて追いかけて、その結果小出しとはいえ情報を一つ一つ手に入れ、行旅死亡人の「素顔」に肉薄している点が興味深いです。

武田: 私自身、取材者としても貴重な経験をすることができました。これに限らず取材というものは、うまくいくことのほうが少ないので、行旅死亡人の取材では、運よく情報を集めることができました。

 

──巡り合わせのような「運」もあったのでしょうか。

武田: 私はこの仕事をやってきて、わりと運命論者に近づいたという自覚がありました。「ダメな時はダメ」だと。行旅死亡人の取材においては、ある種の「引き」があることを感じましたので、結局はこのテーマに関して「縁」があったということでしょう。

 

──そういう武田さんのお話を聞いてから『ある行旅死亡人の物語』を読むと、また感想が違ってくるかもしれません。

武田: 私はもともと散文的なタイプでしたが、この取材を経て、リアリズムだけがすべてではないな、と思うようになりました。

 

──記者のスタイルが一つの取材をきっかけに変わっていく様子は興味深いです。

武田: そうですか! 『ある行旅死亡人の物語』のあとがきに本音を書きましたが、実は「死ぬ」ということをすごく考えるようになりました。

 

──ご自身はまだ「死」を考えるような年齢ではないですよね。

武田: 仕事柄、不慮の事故や事件の取材でご遺族のもとに伺うことがありますが、これまでは当事者の方々と会っても自分事とはなりませんでした。それは私が記者としてまだまだ未熟だからかもしれません。しかし、行旅死亡人の取材では長期間、亡くなった方を追跡していたこともあり、ずっとその方のことを考えるようになりました。漠然とした想像をすることもあれば、生前にその方がどういう人生を送っていたか、どう暮らしていたか、という仮説を立てて取材に活かすという具体的な想像もするようになりました。

 

『亡き者のクロニクル』主人公の一人、大空一冴は、父親の謎の死が「行旅死亡人」捜索にかかわる動機になった。

──なるほど。経験がイメージを作り出す一助になっている。

武田: こうした取材から「自分もいつかは死ぬ」と考えるようになり、人生観、世界観が変わりました。その延長線上で、自分の家族との向き合い方も変わりました。

 

──『ある行旅死亡人の物語』には、死者についての具体的なことが書いてあり、孤独死が誰にでも起こり得るものだと実感させられます。つまり、一歩踏み込んだ死のイメージが湧いてくる本ですね。

武田: そうですか。

 

──こうした取材を続ける中で、武田さんの目には今の社会はどう映っているのでしょうか。

武田: これまで「行旅死亡人は〝社会問題〟なのか」と問われることがありました。私はそう単純に括れるものではないと考えています。行旅死亡人、孤独死について取材してきた結果、そう感じました。いわゆる〝社会問題〟という言葉には「孤独に死ぬことは不幸だ」という視点が入り込んでいるように思います。もちろん、誰かが遺体を片付けないといけないなど、人に迷惑がかかるという意味では社会問題性もありますが、今では遺体を片付けるお仕事もあります。事実、よくよく調べてみたら、ご遺体になった方の人生が必ずしも不幸でなく、むしろ幸せだったということが取材から浮かんでくることもあります。大恋愛していた、という方もいましたし。

 

幸福な死か不幸な死か。捜索の過程で、それが見えてくるケースがある。

──たしかに、孤独死に幸福を見出すことは、あまりなかったです。

武田: 喩えとして正確だと思うのは、「社会にとっての〝無意識〟」。現代人は普段、死を意識しないじゃないですか。ましてや行き倒れて亡くなった方のことを日常的に考えることなど、誰もしません。そういうことは専門業者や役所に任せてしまい、そこに押し込めて見ないようにしている。つまり、行旅死亡人という存在は日本社会という自我にとって、無意識の一つなんだと。しかしその存在は、社会を構成する断片の一つであることに間違いないですから、「意識化」することに一定の意味があるのではないか。私はそう思っていまして、だからこそ『亡き者のクロニクル』という漫画にも意義があると思っています。

 

──そう言っていただけるのは光栄です。

武田: 自分にも常に当事者性がある。そういう意味があるんじゃないかなと、整理しています。

 

──『亡き者のクロニクル』の連載を始めて、漫画を読んでくださった方が、こういう現実(漫画はフィクションなのですが)に触れて、何かが少しだけ変わるといいな、と。『ある行旅死亡人の物語』が今でも読まれ続けているのは、きっと読者の皆さんの間で口コミが続いているからですよね。武田さんのメッセージがきちんと伝わっているのではないでしょうか。

武田: 最初はミステリーを読むように興味本位で手に取ってくださった方々の、「自分の死について考えた」とか「家族を含め当事者性を持った」という感想を見ると、自分たちの考えがしっかりと伝わったような気がします。

 

──令和の今、「大家族」というものがなくなっていき、誰しも孤独死する可能性が増えています。そういう時代性と『ある行旅死亡人の物語』とのリンクは、当然お考えだったわけですよね?

武田: もちろんです。行旅死亡人はそれほど数が増えていませんが、孤独死自体は増えています。ただ、人には孤独に死ぬ自由も、誰にも知られたくない自由もあり、さらには行き倒れる自由もあります。

 

──行き倒れる自由、ですか。

武田: 藤原新也さんの『メメント・モリ』という本が好きで。あの本には「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という有名なフレーズがありますが、あれは本当にそうだなと感じます。そこにも人間の尊厳はあるわけじゃないですか。『亡き者のクロニクル』で田舎から上京した人の話がありましたが、田舎のしがらみを捨て都会で自由を謳歌し自由に亡くなっていくのも、尊厳のあり方です。そうなりたい人が多いとは思いませんが、行旅死亡人から見えてくるものでもあります。だから、あまり勝手に価値判断をしたくはないんです。そういう誰もが見てみぬフリをしているものを、テーマとして浮上させたいと考えました。

 

第2章「集合団地の行旅さん」で描かれる老婦人の孤独。息子の「呼び寄せ」に端を発した!?

──その役割を『ある行旅死亡人の物語』が果たしている。

武田: そうであればいいのですが。

 

──この本で、「行旅死亡人」という言葉を初めて知った方も多いかと。

武田: 最初、この言葉をタイトルに入れたほうがいいのではと編集者の方には話したのですが、「知られていない言葉は避けた方がいい」と。たしかに、自分でも記事のタイトルでは、見慣れない言葉は使わないですし。本のもとになった記事でも「行旅死亡人」という言葉は使わず「孤独死した女性」としています。結局、一度タイトルはペンディングになったんですが、できあがる頃にこれに落ち着いたんです。他に候補がなかったということもありますが。

 

──この言葉、そして装丁の雰囲気も相まって、ミステリー色が強くなりました。ところで、少ないながらも行旅死亡人が後を経たないわけですが、こうした状況はこのまま続いていってしまうのでしょうか。

武田: 続くかどうかはさておき、その状況を我々がどうにかするものでもない、と私は思います。人間は匿名になって死ぬ自由もありますし。でも国家の観点からすれば、そういうことは避けたい。マイナンバーも導入されましたしね。でもそれは管理社会側の発想で、フラットに見たら、日本国籍の人が海外でのたれ死んで身元不明と扱われても、その人の自由です。実際、そういう人は昔からいるわけですから。そういえば落語にもありますよね。

 

──「粗忽長屋」ですね。

武田: そうです、「あれ、ここでのたれ死んでるのは自分じゃないか」という。そういえば私は以前、四国の徳島支局に赴任した際に、四国のお遍路に興味を持ちました。お遍路さんにもいるんですよ、行旅死亡人が。

 

──それはつまり、お遍路をしながら亡くなって、行旅死亡人になるということですか?

武田: そうですね。お遍路をする巡礼者には、訳アリなケースもありまして。かつて、自分の村でお遍路さんの遺体が見つかると自分たちで処理しないといけないので、他の村に遺体を運んだという逸話もありました。

 

──見ず知らずの人の遺体は処理に困る、と。

武田: そうですね、でもそれくらいありふれていることのようです。聖なる巡礼と表裏一体のようで、民俗的な興味を掻き立てられます。

 

──行旅死亡人という名称ではなかったにしても、昔から連なる「歴史」があるわけですね。

武田: 「行旅死亡人」という名前は、明治時代になって生まれて、国が管理するようになりました。しかし、それ以前から行き倒れていた人はいたわけです。ただの酔っ払いもいれば巡礼者もいた。身元を抹消してお遍路に出る、という人だっていました。

 

──そういうお話を伺うと、自分がどう死ぬのが幸せで、どう死んだら不幸なのかを考えてしまいます。

武田: 私自身、イメージは多少できたのですが、そのために何か行動を起こす、というところまではいきません。ただ、誰のそばで死にたいかを考えることはあります。

 

──やはり『ある行旅死亡人の物語』を読むと、死についていろいろな角度から考えるようになりますね。実は『亡き者のクロニクル』の新章では、戦争で甚大な被害を受けた都市に、一冴と林檎が出張します。戦争が、身元がわからない遺体、つまり行旅死亡人をたくさん生み出したと解釈してのエピソードです。

 

『亡き者のクロニクル』第4章は、広島が舞台に。作者がどうしても描きたかったエピソードだ。

武田: 実際、戦争や原爆の被害者に対して、行政処理を前に進めるために、「行旅病人及行旅死亡人法」を適用すべきだと主張する方はいます。そういう現実に照らし合わせると、全くおかしくない展開ですね。とても興味深いです。

 

──今になってもなお、身元が判明するケースがあるそうです。

武田: 現代でも行旅死亡人が出てくるわけですから、戦争の時にはもっといたでしょうね。『亡き者のクロニクル』でどう描くか、とても楽しみです。ちなみに、戦前は行旅死亡人ではなく「行旅病人」、つまり亡くなっていないけど身元不明の状態で保護された方も多かったそうです。今はほとんどいないと思いますけど、行旅病人の記録は公文書館で保管していますね。

 

──最後に、漫画『亡き者のクロニクル』について少しお話を伺います。一読していただき、捜索対象や捜索の仕方について、実際に追いかけた経験のある武田さんから見て、気になるところは?

武田: 実はとてもリアルだと思いました。リアルすぎて驚いたくらいです。国会図書館で電話帳を調べる方法などは「よく知ってるなあ」と思いました。

 

「電話帳」は過去のものと思ったら大間違い。行旅死亡人の捜索には重要なアイテム。

──作者のナナトエリさん、亀山聡さんから出てきたエピソードですね。

武田: 団地の管理組合が、個人情報の提供を嫌がるところもリアルだなあと。記者が読めば、みんなうなずきますよ。

 

──「記者」という名刺があれば、取材はスムーズにいくのではないですか?

武田: 肩書や立場などがハッキリした取材対象にあたる時は、記者の名刺が効果を発揮することはあるようには思いますが、一般の住民の方への取材の場合は「記者だから応えない」ということもあります。

 

──リアクションはさまざまですね。

武田: 『亡き者のクロニクル』の主人公たちのように、特に自分が何者かを名乗らずに、訊きたいことだけ訊いたことは私にもあります。怪しまれたら世間話でごまかすこともあります。

 

──それをできるのが記者のテクニックですね。真実に近づくために、さらに必要なものは?

武田: これが有用だというものはないですが、「どうして調べているのか」と訊かれたら常に答えられるようにはしています。取材対象の方が心を開いてくれそうな場合には、当然ですがこちらもどういう思いで、どういう意志を持って取材しているかを伝える準備をしておきます。

 

──一冴と林檎とも共有したいです。

武田: 『亡き者のクロニクル』では主人公に共感するポイントがありますよね。特に一冴自身の背景にいろいろありそうで。それと同じことだと思います。

 

──その「背景」はおいおい描いていくと思います。

武田: あと、ひとつ感心したのは、『亡き者のクロニクル』のストーリー展開が、だんだん行旅死亡人の「顔」が見えてくる構成になっていて、あれはとてもリアルだと思いました。

 

──それは『ある行旅死亡人の物語』でもそうでした。

武田: 私の場合は、まず最初に(行旅死亡人の)写真がありましたから。文字情報しかない中で、対象に肉薄していくのはリアリティがあります。第1話の場合は、最後の最後で名前と顔が一致する構成で、「行旅死亡人がそうでなくなる瞬間」を描いていて、読んでいて当時の取材を思い出しました。

 

『亡き者のクロニクル』の主人公たちの使命は、行旅死亡人に肉薄し、さらにその「人生」を「記録」すること。

──その答え合わせを、武田さんもしたかった。

武田: そうですね。いったい誰なんだ、と。

 

──答え合わせができた時に、その人の人生が見えてくるわけですね。

武田: 団地編のように、違う人が自分の部屋で亡くなっていたとか。とても興味深いです。本当によくわからないことが起きるんです。官報を読んでいるだけでも、「これはどういうことなんだろう」と。なので、漫画のエピソード、すべて「ありうる」話ですよ。

 

──不思議ですね

武田: 「なんだろう」と思いつつも、結局わからずじまいなことが多いですね。本当にわからないことは記事にもできないですが、でもやっぱり気になります。惹かれるのはそういうところなのかもしれません。謎と言っていいのかわかりませんが。

 

──最後に、改めて『ある行旅死亡人の物語』の読みどころを。

武田: これまでは私から「こう読んでほしい」という著者の意図を、あえて話さないようにしていましたが、出版から2年半経ちましたので、そろそろいいかなと思い始めていたところでした。みんな必ずいつかは死を迎えるので、普段見て見ぬふりしている「死」について少しでも意識する機会になればいいですし、それがこの本の意味かもしれないなと思っています。自分の人生を見つめ返す機会になるのであれば、著者として喜びです。

 

──『亡き者のクロニクル』も同じように、読者の皆さんに考える機会となればと思っています。今日はありがとうございました。

 

 

武田惇志(たけだ あつし)
1990年生まれ、名古屋市出身。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。
2015年、共同通信社に入社。横浜支局、徳島支局、大阪社会部を経て、現在は東京・データ調査報道部で勤務。

X→@kouryo_authors

 

 

『亡き者のクロニクル』電子版1巻、2巻発売中
著:ナナトエリ・亀山聡

 

『亡き者のクロニクル』第1話試し読み

 

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