『バトルスタディーズ』45・46巻2冊同時発売記念、なきぼくろ対談 若林春樹×なきぼくろ(前編) PL学園にしか興味がなかったなきぼくろ、プロ野球にしか興味がなかった若林。小学生からの知り合いで、ともにPL学園からスカウトをもらった二人。途中で道を違えた熱き男たちの熱血対談!

その当時、PL学園は高校球児の憧れだった…。PL学園で野球をするということがどれだけ素晴らしいことか。神格化したいわけではない。しかしPL学園が一流だったこともまた事実。「野球をするならPLがいい」その思考回路が至って普通だったその当時、そこに疑問を抱いた男がいた…。

その当時、PL学園は高校球児の憧れだった…。PL学園で野球をするということがどれだけ素晴らしいことか。神格化したいわけではない。しかしPL学園が一流だったこともまた事実。「野球をするならPLがいい」その思考回路が至って普通だったその当時、そこに疑問を抱いた男がいた…。

 

 

なきぼくろ(以下、な): 久しぶり! 高校ぶりやから20年以上ぶり!?

若林(以下、若): わざわざ大阪まで来てくれてありがとう! 電話とかでちょくちょく話してるから久しぶり感はないけどな(笑)。

担当編集山田: お二人は小学生からの付き合いで、枚方シニアまで一緒に野球をして、なきさん(なきぼくろ)はPLへ、若林さんはPLを選ばなかった・・・・・・・とお聞きしています。今回の対談では、なぜPLを選ばなかったのか、その選択がその後どんな作用をもたらしたかなどを存分にお二人にお話しいただければと思っています!

 

 

小学6年生にして身長172cm!

 

若: 僕と出川(なきぼくろ)は、小学生の時は違うチームで、相手チームに良いキャッチャーいるなーくらいの印象でした。

な: 俺も若林もキャプテンをやってて、試合前にメンバー表を交換しててんな。若林は小学6年生やのに身長が172cmもあって、「めっちゃでかい!」って印象やった。中学校に進学してから枚方シニアで一緒になって、二人ともキャッチャーで俺は165cm…。身長差で終わったと思ったわ。

若: シニアに入ってすぐ先輩ピッチャーのボールを受けるんやけど、俺は先輩のボールが速すぎて捕れなかったけど、出川は捕れてたんよな。だから俺は自分から「キャッチャー嫌です」って辞退したんよ。キャッチャーから逃げ・・た。

な: 俺捕れてたっけ? 同じキャッチャーで172cmある中学1年生って、体がでかいしリトルリーグでホームラン量産してたのも知ってたから、無条件に負けたと思うやん。でもその時の俺は外野がやりたかったからちょっとだけ嬉しかってん。

若: 少年野球は小学生までやけど、リトルリーグのルールって特殊で、12歳以下までプレーできんねんな。だから中学生でも13歳になってなければ、まだリトルリーグでも野球ができる。

な: リトルリーグは夏に大きな大会があるんやけど、俺と若林はまだ13歳になってなかったから、中学1年生になっても枚方シニアの練習に参加しながらリトルリーグの試合も出ててんな。若林はバットに当たったボールは全部ホームランになるから無双状態やったよな。

若: 少年野球と違ってリトルリーグは外野のフェンスまでの距離の規定が決まってるからってのもあると思うけどな。意外と近かったやん。ピッチャーとバッターの距離も近いし。

な: めちゃめちゃ近かったよな! バットも細くて短いし、ふざけてんのかと思ってたわ(笑)。

若: 少年野球は16mで、リトルリーグは14.02m。バッターボックスに立つとびっくりするよな(笑)。結局俺たちが枚方シニアで本格的に練習に参加できるようになった頃には、3年生たちは引退して新チームになってた。

な: 先輩達がノックを受けてるのを俺たち下級生はベンチで見てるんやけど、「行きたい奴は行っていいぞ」ってコーチが言ってくれたの覚えてる? 俺は「エラーしたら代わってください」って言いに行ってん。それから俺がキャッチャーで、若林がサードのレギュラーになったんよな。

若: 出川はめっちゃやる気やった。

な: せやよ! リトルリーグの最後の遠征で宮崎に行ったやんか。そのために髪の毛を五厘にせなあかんかったんやけど、床屋に行かなあかん時に、あのPL対横浜戦がやっててん。ずっと観ててんけど、さすがに行かなと思って床屋から帰ってきたらまだ試合しててん。そのあと宮崎遠征行ってスイッチがバチン! って入ってん。

若: そうやったんや、知らんかったわ。俺はスイッチが入ったとは少し違うけど、中学2年生の春の全国大会の時やねんけど、舞洲ベースボールスタジアム(当時)っていう、今でも高校野球の大阪予選で使われるスタジアムでホームラン打ったんよ。

な: ただのホームランちゃうで。中学2年生やのに場外やで。両翼100m、中堅122mのめちゃめちゃでかい球場やねん。そこで場外ってホンマにエグいよな。

若: 俺はそのホームランで勘違いしちゃったんよ。すっかり天狗になってしもうて。打った時の感覚は「ぽーん」やねん。「ぽーん」でこんなでかいスタジアムやのに、ホームラン打てんねやって。

な: そうなんや、全然天狗の感じしなかったけどな。

若: それからスカウトの話とかもいただくようになって…。中学2年生の秋〜中学3年生の春は、進路を決める上でめちゃくちゃ重要な時期。俺は右打ちやから基本的にレフト方向のホームランが多いんやけど、その時期だけは「アウトになってもいいからライト方向に打て」って指示がでたりする。

な: 両方向に打てるっていうアピールでな。

若: ほんま見本市みたいな感じ。そうやって順当に勝ち進んでいくと、高校野球でいう甲子園的な大会がシニアにもあって、その大会に出れるって時に出川がやらかしたんよ。ほんまのほんまに大事な試合の数日前に、自転車で競走してたか知らんけど、チェーンが外れて骨折してんな。

な: チキンレースしててん。体感5mくらい飛んで畑に突っ込んだ。左手首が折れてんけど、今でも可動範囲が狭いねん。

若: 何してんほんま(笑)。

な: 手の感覚がないから、パニックやん。その日は家に帰らんと公園の蛇口で深夜の12時くらいまで冷やしててん。見たことないくらい腫れてんねんけど、「これ冷やして、家帰って、試合が4日後やろ? …いけるな!」って。

若: いけるわけないやろ!

な: 次の日病院で診てもらったら、折れてないって言われてん。それやったら、めちゃめちゃ腫れてるけど3日で治るわと思ってシニアの練習に行ってんけど、ボール回しも捕られへん。ほんなら普段厳しい監督が気付いてくれて、もう一回病院で診てもらったら複雑骨折やってん。

若: でも最初の病院で診てもらった時はなんともなかったんやろ?

な: せやねん。練習にも参加しちゃったってのもあるのかもしれんけどな。俺と若林は既にPL学園からスカウトがきてたから進路は決まっててんけど、チームには申し訳ないやん。頼むから勝ってくれって初めて神頼みしてん。

若: 1回戦負け。でも相手チームも強かってん。松本晃(バトスタでは門松のモデルになった人物)とかがおったし、ピッチャーの球速がめちゃめちゃ速くて打てんかった。

な: そんなことがありつつ、PL学園の練習会にも一緒に参加したんよな。 

若: ほんまに嫌やってんなー…。

 

 

高校野球にしか興味がないなきぼくろ、プロ野球にしか興味がない若林。

 

な: 俺は1998年のPL学園対横浜高校延長17回の試合を観てから、PLにしか行く気がなかってん。言ってしまえば、高校野球にしか興味がなかった。

若: 俺はその逆で、高校野球には興味がなくて、早くプロ野球に行きたかった。だからプロに行けるなら高校はどこでもよかった。でもPLだけはほんまに行きたくなくて、練習会に参加させてもらった時もめっちゃ嫌やってん。

な: びびり倒してたもんな。

若: 僕らの二つ上の先輩は有名選手ばっかりやったやん。テレビで見てた今江さん、朝井さんとか。めちゃめちゃ興奮したのを覚えてる。その一方で、おそらくPLの3年生が下級生に対して、「あいつら声出させろや」って耳打ちしてたのが怖すぎて。やっぱりや…って思ったんよ。

な: 全然怖くないよ、それだったら枚方シニアのほうが厳しかったって(笑)。

若: ちゃうちゃう、そういうことじゃなくて、俺たちはまだ中学3年生やん。まだ本入学したわけでもなく、PL学園野球部の雰囲気がわからない人に対しての接し方ではないやん。PLの人が声出すのはわかるけど、俺らも出さなあかんねやって思った。俺はそこで完全に心が折れちゃって、親が関西創価高校に行ってほしいって言ってくれたから、俺は逃げれてん。

な: 俺らもバッティング練習に参加させてもらうんやけど、若林は、竹バットで10本中5、6本場外ホームラン打ってたよな。ボールがバックスクリーンに当たる度に「ゴーン! ゴーン!」って音がして、雨天練習場から先輩たちがぞろぞろ出てきて「誰やあいつ」みたいな雰囲気になってたよな。

若: バッティングは好きやったし、ええとこ見せたろって思ってた。テレビで甲子園観てた時から朝井さんの顔怖いと思ってたから、「すごいやん」ってお声をかけていただいてもビビることしかできんかった。

な: 俺からしたら意味がわからん。あんだけえぐいホームラン打ってんねんから堂々としてたらいいのに。

若: 結局俺は先輩たちが怖すぎて逃げるように関西創価高校に行ったんやけど、PLより練習は楽やと思うやん。関西創価もそこそこ強い高校やから意外と厳しかってん。

な: そこそこどころじゃないよ(笑)。当時のセンバツ4強やからな。

若: 頂点はPLやから。PLに比べたら関西創価高校なんて余裕やと思っちゃってん。俺は野球の実力はあったけど精神年齢は小学生だったから、その厳しさに全く付いていけなくて。結局1ヵ月でやめたんよ。

な: すぐにやめたとは聞いてたけど、そんなすぐにやめたんや。滋賀学園にはどういった経緯で入ることになったん?

若: これは俺の運命やったんやけど、関西創価高校をやめた後に友達が病気で入院してたからお見舞いに行ってん。その子が滋賀学園の子で、話通してもらって高校同士の話し合いの末に転校することになってん。

な: 当時の滋賀学園っていうのはどれくらいのレベルやったん?

若: 元々女子校で、男女共学になったばっかりやったから、ちょうど俺がその3期生。野球部はできたばかりだし、ちょうどいいゆるさくらいのレベルやった。「これこれ!」って思ったで(笑)。1年生からレギュラーで出させてもらったし、自分で言うのもアレやけど、華々しいデビューやった。

な: 一方その頃の俺は洗濯ばっかりしてたよ…。3年生になって初めて滋賀学園と練習試合をした時は、公式戦よりもワクワクした。

若: PLに行かなかったことは俺のコンプレックスやから、楽しい反面、緊張もしてたで。

 

以降、46巻へ続く!

 

文責:編集部

※本対談は2025年7月、感染対策をして取材を行いました。

 

 

 

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