40'sランドスケープ~40歳の景色~ インタビュー【福本伸行】

モーニング40周年を記念して各界の著名人が40歳の自分を振り返るインタビューシリーズ、第14回には漫画家・福本伸行が登場。『賭博黙示録カイジ』の連載が軌道に乗り、順風満帆だった40歳の頃も、そして今も、「面白い=新しい」だと言い切り、チャレンジを続けている。「40歳で一度、人生の通知表をもらう」など作品同様、読む者の胸を刺す名言が続出する。

モーニング40周年を記念して各界の著名人が40歳の自分を振り返るインタビューシリーズ、第14回には漫画家・福本伸行が登場。『賭博黙示録カイジ』の連載が軌道に乗り、順風満帆だった40歳の頃も、そして今も、「面白い=新しい」だと言い切り、チャレンジを続けている。「40歳で一度、人生の通知表をもらう」など作品同様、読む者の胸を刺す名言が続出する。

(取材・文:門倉紫麻 写真:柏原力)

※この記事はモーニング19号に掲載されたインタビューのフルバージョンです。

 

『カイジ』を始める時、若さの最後の絞り汁を出して
絶対勝つ!と思った

 

 64歳の福本伸行が、『カイジ』シリーズ1作目となる『賭博黙示録カイジ』の連載を始めたのは、38歳の時だった。

 「いわゆるメジャーな雑誌(「ヤングマガジン」)では初めての連載。これはものにしなきゃいけないと強く思いました。若さの最後の絞り汁を出して、絶対勝つ! みたいな感覚かな(笑)。その時始めた作品が25年以上経ってもまだ続いているのは……ちょっと異常ですよね」

 異常、とは?

 「漫画っていうものは長くても10年ぐらいでいいんじゃないですかね。なんだったらもうちょっと短くてもいい。『あしたのジョー』とか『巨人の星』みたいな名作は5年くらいでしょう。できるものはできちゃうんですよね。ただ、長いということはそれだけ存在させてもらえている証明、実力の証明でもあるから、ありがたいことなんですけど」

 18歳で漫画家を目指し、21歳でデビュー。ちばてつや賞ヤング部門では22歳で佳作を受賞、その後大賞2回を含む9回連続の入賞を果たした。「新人賞への応募はちば賞だけです。たぶん僕が、ちば賞の連続受賞の記録を持っていると思う(笑)」。麻雀漫画誌で連載を持つなど勝負事を扱う作品を中心に順調に活動を続ける。だが、『賭博黙示録カイジ』──多額の借金を抱える青年・伊藤開司が生死をかけて特殊なギャンブルに挑む姿を描く、後の大ヒット作が始まるまでは「知る人ぞ知る、みたいな存在だったんじゃないかな?」と福本は言う。

 「不遇とはちょっと違って、ある程度上手くいっていたんですよね。30代になってからは『いいものを描けているんじゃないか?』と思うようになっていたし、『天』(『天 天和通りの快男児』)、『アカギ』(『アカギ〜闇に降り立った天才〜』)、『銀と金』で少しずつ実績を上げてはいて。ただカチッとした当たりはなかった。『なんでメジャー誌は俺に声をかけないんだろう? ここにいるぞ!』みたいな自負はあったんですけどね(笑)。前に、自分の評価と世間の評価には何年かずれがあると聞いたことがあって。自分が自分を評価した3年とか5年後ぐらいに、やっと世間も自分を評価するようになる、と。

 『近代麻雀ゴールド』で『天』を描いていた時がまさにそうでした。10年以上の連載だったんですが、その間、本当に1年ずつ雑誌の中での『天』の比重が大きくなっていくというか、中心的な漫画になっていくのがわかるんですよ。編集者の評価とか読者からの人気が、ちょっとずつ高くなっていった。ジリジリする感じでしたね。遅っ! みたいな(笑)」

 40歳を前に無事広く評価されたのは、30代をどう過ごしてきたからなのだろう。

 「30代というよりは、20代で地肩を作れたことがよかったんだと思う」

 20代で、どのように「地肩」を作ってきたのか。

 「18歳で漫画家になろうと思ってかざま(鋭二)先生の門を叩いてアシスタントになったものの絵がうまくならなくて、1年半ぐらいで辞めることになったんですよ。かざまプロのアシスタントは、みんな絵がうまいので、卒業した先輩たちは原作つきで連載の仕事を取ったりしていた。でも僕には画力がないから、自分で話を考えて、読み切りを描くしか仕事がなくて。そうやってずっと読み切りを描き続けたことが、話を作る能力を高めた──地肩を作ったんだと思います。読み切りは、今でも描くのが大変だと感じます。連載には連載の難しさがあるけどね」

「ヤングマガジン」1996年11号に掲載された『賭博黙示録カイジ』連載第1話の見開き。

 

「流して」仕事をしていると
何かが少しずつ失われていく

 

  40歳を迎える約半年前に、講談社漫画賞を受賞。まさに前途洋々な40代のスタート。自らも「『カイジ』が流れに乗って、いい形になっていた頃ですね」と言うが、気持ちが浮つくようなことはなかったのだろうか。

 「僕、一つ自負していることがあって。仕事があって順調に売れている時も手を抜かなかったんです。手を抜くとあっという間にダメになる。手を抜くというか“流す”というか。流して描こうと思えば、流せちゃうんですよ。だけどそれをすると、何かが少しずつ失われていくんです」

 漫画に限らず、長く続けていればどんな仕事にも慣れは出てくる。時に流したとしても、ある程度のクオリティを保ったまま日々の仕事は回る。福本のように「手を抜かなかった」と言い切れる人はどれだけいるだろう。

 「もちろん、流している人も、何もしていないわけじゃないですよね。毎日頑張っているんだと思う。だけど、やり慣れた仕事以外。新しいことにチャレンジすると、仕事をする上での寿命が伸びる気がするんですよ。だから僕は、『最強伝説黒沢』だったり、『賭博覇王伝 零』だったり違うパターンのものを始めたんです。同じステージで、同じ世界のことだけをずっと描いていたら、新鮮であり続けるのは難しいと思う」

 『カイジ』で多くの支持を得て尚、自身と同じ44歳の中年男性を主人公にした『最強伝説黒沢』、10代の少年を主人公にした『零』をスタート。「流す」どころか、常に新しいものにチャレンジしてきた。

 「若い時は、まずは仕事を獲る為に。可能性を広げる為に。いっぱいチャレンジしないといけない。でもそれって、今もなんです。今も、チャレンジしなきゃいけない。年齢は関係ないと思っていて。面白いストーリーを思いついて、“その世界”の登場人物を魅力的に描ければいい。ただそれだけなんです。若い人が描いているとか80歳の人が描いているとか、そういうことは問題にならない。『カイジ』を読んでいる人がふと冷静になって『ちょっと待って、これ描いてる人って60歳超えてるの?』ってことになることはあるかもしれないけれど(笑)。
 よく『面白いって、何?』という話になるじゃないですか。僕の答えは、20代の頃から同じで『新しいってこと』。新しいことを提示できれば、ずっと面白いんだと思う。まったく新しい世界に挑戦するのももちろんいいですが、日常の些細なことでも、本当に自分の内側から出てきたことであれば新しいんです。誰もそれを知らないんだから、ほかの人から見れば新しいことになる」

 「本当に自分の内側から出てきたもの」は、誰も知らない新しいもの──ハッとするのと同時に、自分にも新しいものを生み出せるかもしれないと、勇気がわく言葉でもある。

 「新人漫画家が掲載できる漫画をなかなか描けないのは、面白いポイントを作り出せてないから。ストーリーだけがあってもそれは“模型”であって、リアルなものじゃない。読者を楽しませる仕掛けが準備できていないのに、何か描かなくてはと焦って描いてしまうとその漫画は厳しい。ストーリー自体はステレオタイプでもいいんですよ。ちょっとしたセリフとか、ちょっとした表現のようなアイデアをいくつか埋めておかないと、読んでいて楽しくないでしょう。だから自分の中にある、自分が面白いと思えるものを入れるんです。それがあると、自分がワクワクするじゃないですか。そうするとどんどん描きたい気持ちになる。

 僕の漫画は1つのネタを10話とか20話かけて描くわけですが、その途中途中にネタ以外の面白さが必要で。くだらないセリフとか、ちょっとした言葉遊びとか、あんまり聞かないロジックとか……僕はそういうことが面白いと思って描いている」

 そしてギャンブル漫画を手掛け続けて来た福本ならではの、こんな工夫も。

 「ルール説明って基本的にはつまらないんです。だから基本のおおまかなところを5割くらい伝えて、あとは実際にゲームをしながら伝えていく。その場面に来た時にこれはこうだよ、って言った方が素直にわかるし、ルールを説明すること自体が面白くなる。込み入ったゲームのルール説明が最高に上手な漫画家だと思っています(笑)」

 

人間の中身は、若い頃と変わらない

 

 先述のように、『最強伝説黒沢』の主人公・黒沢は、初登場時、福本と同じ44歳で、さらには生年月日も同じ。そもそも主人公をこの年代に設定したのはなぜだったのだろう。

 「中年の冴えない男、というのが先にあったので、44歳で始めて。“現在”を生きていてほしいから、10年後に始めた続編(『新黒沢 最強伝説』)も54歳にしました。よく言われることだけど、自分がいい年になってきて実感したのは、人間の中身って、若い頃と変わらないということ。漫画の主人公は、本質的には若者であるべきだとは思うんですよ。だから黒沢も、心は若者なんだと思う。黒沢は、青春という“はしか”にちゃんとかからず、青春をこじらせて大人になってしまった若者(笑)。まあ、大人になればなるほど、忸怩たる気持ちをいっぱい抱えることにはなるんですが。
 もともと『黒沢』を始めた動機は、単純なんですよ。ギャグというかユーモアを中心に据えた漫画も『俺、描けるよね?』と思ったから(笑)。『カイジ』とか『アカギ』ではそんなことやれないじゃないですか。でも、普段から面白いことを思いついているわけで。『黒沢』でならそれが描ける。黒沢がプールで女の子の背中にオイルを塗るシーンで、どこまでが背中でどこまでがお尻なのか、ギリギリの境界線について悩む……みたいなこととかね(笑)」

 「人望がほしい」と切実に願う中年男が、失敗を繰り返しながら、やがて本当の人望を得る姿に涙した人も多いはずだが、もともと福本は笑える漫画として発想していたのだ。

 「それと、編集者とは平成の宮本武蔵を描こうと話していたんですよ。ともかくケンカして、ケンカして……戦い続けていく男の話。でもすごく臆病なところから始めちゃったものだから、なかなかエンジンがかからずにケンカが始まらない(笑)。最後は暴走族とケンカするまでいくんだけど……言うほど“最強伝説”にはならなかった。でもそれが1周回って、弱いけど自分を貫こうとして中学生と戦うのが最強なんじゃないか? という感じが出てきたと思います」

 我々読者の「それこそが最強だ!」という読後の感情も、福本が最初から意図していたものではなかったということだ。

 「描いていくうちにそうなった。僕の悪い癖で……人間の小さな気持ちを拾い続けちゃうので、結果的にすごく長くなる。今は僕も黒沢って立派だなと思っているんですよ。その後(続編『新黒沢 最強伝説』)の黒沢も、最後まで卑怯なことはしなかった」

 

『カイジ』は最後まで描き終えたい

 

 福本自身が40代だったことと40代の主人公を描くことに関係があるのか、あるいは福本がキャリアや年齢を重ねる中での心境の変化が作品に反映されることはあるのか──そんなことを知りたいと思い、つい質問を重ねてしまう。だがストレートな答えが返ってくることはなく、福本がエモーショナルにキャラクターや作品について語るような場面もほとんどなかった。

 『賭博堕天録カイジ』の、コンプレックスを抱え、繊細で人間味あふれる敵役・和也について聞くと「結果的にそうなったってことかなあ。初めにああいうキャラを描いてしまったことで、コンプレックスを掘っていくしかなくなった。それが煎じ詰められて『実はいいやつじゃん!』みたいになったんだと思う。ズルはするけどルールは反故にしない、みたいなね」。『黒沢』の“アジフライ”のくだり(部下からの人望を得ようと全員の弁当にこっそりアジフライを追加するも、逆にアジフライを盗もうとしたと誤解される)に何年経っても胸が痛むと筆者が打ち明けると、笑って聞きながらも冷静に「それは、具体的にどの部分が一番痛いの?」と返ってくる。
 多くの質問に作中の具体的な場面に言及しながら論理的にかつ生き生きと答え、漫画ひいては創作そのものの構造の話に鮮やかに帰結する。エモーショナルに語らないことで、逆に福本が創作のどこに面白みを感じているのか、なぜクリエイターとしてトップを走り続けてこられたのかが見えてくる。
 『賭博堕天録カイジ』シリーズは「和也編」「ワン・ポーカー編」に続き、連載中の「24億脱出編」も信頼できる仲間たちとの比較的穏やかな日常が中心に描かれている。福本の心境と関わりなく「結果的にそうなった」のだとすると、今後のシリーズではまたヒリヒリする展開が前面に描かれる可能性もあるということだろうか。

 「ありますね。そもそもそういうものじゃないですか、『カイジ』の世界って。だから今の『24億脱出編』を描き終わったら、そういう世界を描いて終わるのが座りがいいというか、正しいような気がしています。実際それをどう描くかというのは難しいところではありますけど」

 終わりもしっかりと見据えているのだ。

 「できたら『カイジ』は最後まで描き終えたいですよね。僕が44歳だったら焦らなくていいけど、64歳だとそんなにたくさん時間があるわけでもない。『カイジ』の場合、1つのシリーズに5年くらいはかかりますからね。終わらせ方は……最初に思っていたのとはちょっと変わっちゃった気がするよね。カイジが(宿敵である)兵藤を完膚なきまでに叩きのめして終わって、本当にいいのか? と思うようになった。もっと悪いやつなら……まあ悪いやつなんだけど(笑)今、僕は兵藤にも愛着・愛情をもってしまっている。僕は悪いやつにも理屈が欲しくて、ついそう描いてしまうので。ある種の正当性がないと、ただの変な人になってしまう。悪いやつほど、ある意味信念を持っていて欲しい」

 近年、その「悪いやつ」を主人公に据えたスピンピオフ作品が福本以外の作家によってたくさん生み出され、多くの読者を獲得しているのは、彼らがただの悪人ではなく、彼らなりの信念や理屈を持っているからかもしれない。

 「そうだそうだ(笑)。理屈がないと、スピンオフも作りにくいよね」

『カイジ』最新シリーズ『賭博堕天録カイジ24億脱出編』より。「ワン・ポーカー編」で得た24億を持ち逃避行を続けるカイジと仲間たちの日常を描く。

 

40歳で一度、人生の通知表が渡される

 

 今、周りにいる40歳前後の人を見て、福本はどんなふうに感じているのだろう。

 「結婚して子供がいる人と、独身の人とでは、同じ40歳でもかなり考え方が違ってくる気がしますよね。でも確かにさっき言った“若さのしぼり汁”を出す時期というか、若さという武器が使えなくなる瀬戸際だとは思う。そこまでの間にキャリアを積めている人は飛べる、というか……キャリア積めているのかどうかという人生の通知表が一回渡される時なのかもしれないですね」

 人生の通知表、という言葉にその場にいたそれぞれが思いをめぐらせる。25歳のモーニングの編集者は「大学を卒業する時に渡されたような気がします」と話す。コロナ禍で公式の卒業式自体は中止になるも大勢の人が大学に集まる中、「私は数人と話すだけで終わってしまって。友だちがいないということがわかってしまった。ショックでした。大学4年間、何もしてこなかった、という通知表を渡された気分でした」。福本は最後までじっくり聞いた後、「……いい話じゃないですか! その気づきは素晴らしい。次に繋がる」と力を込めて言い、大きな声で笑った。
 41歳で漫画編集者16年目のモーニングの編集者はこう話す。「漫画の編集者って、通知表がはっきり渡されないもどかしさがあります。新しい作品が始まると張り切って取り組んで、気づいたら5年ぐらい経っている。次にまた新しい作品を張り切ってやって……そんなふうに楽しくやれてはいるんですけど、実はどういう通知表になっているのかはわからないです」

 「学校と違って、自分のこれがダメだとか良いとか、はっきりと数値化された通知表がもらえないのが社会人の苦しいところだよね」と福本。
 「1学期ごとにもらえたら『ちょっと俺、頑張んなきゃいけないな』って思えるのに。よっぽどへましない限り、クビになったりもしないしね。でも、ある日突然部署を変えられたりすることがあるわけだけど(笑)。でも2人とも今こうやって毎日仕事に来られていることで、もう合格点なんですよ。やり続けられること自体が、すごいんです。よく考えたら……僕には通知表が来るんですよね。連載の順位とか単行本の売り上げとか。担任の先生から『今16位なんで、そろそろがんばらないと厳しいよ』って言われて『はい!』みたいな。今のところ、僕は大丈夫だけど(笑)」

 キャリアを積んできた今も「漫画は順位ではない」や「理解できないほうが悪い」などと思わずに、素直に「はい!」と言えることに驚く。

 「あ、僕ね、それが漫画のいいところだと思っていて。読者の判断というものが明確にある。それだけを見ているわけではないけれど、そこでダメだと言われたらダメなんです。退場するしかない」

 では漫画家や漫画編集者ではない、40歳を前に迷っている社会人に何か言うとしたら?

 「『まだ40歳』、ですかね。まだありますぜ? って(笑)。『もう40歳』っていう考え方がダメだと思うんですよ。中学生になった時に『もう13歳か』とは思わないですよね(笑)。『もう』と言う時って、後ろを向いているんだよね。『まだ』をつければ、未来を見られる。ちょっと運動して、あんまりお酒も飲まないようにしていれば、あと20年とか25年は動けますよ」

 まさに今、福本はそこから25年が経とうとする時期にいる。

 「今は、幸いにしてチャレンジできる仕事があって、舞台を与えられていて。死ぬまで自分が面白いと思ったことを発表し続けることができればいいなと思っています。で、さっき言ったみたいに読者の評判が悪ければ、退場。それは仕方がないことだし、ちゃんと結果を出さないと終わるっていうのが、一番面白いところですよね」

 それは漫画家の厳しいところではなく面白いところなのですね、と言うと「シビアなのは、面白いと思いますよ」と笑った。

 

内なる何かが「漫画を描け」と言う

 

 この先の自分の人生についてはどのくらいまで考えているのだろう。

 「僕はね、弘兼(憲史)先生を見ているところがあります(笑)。僕の11歳上なんですけど、今もがんばって漫画を描いておられる。だから自分もそのぐらいまでがんばれるかな、という気持ちがあります。たぶん弘兼先生も僕も、もう漫画を描かずに遊んで暮らしてもいいんですよ。だけどまあ……あえて言うとなまじ漫画を描く才能があるばかりに、それが許されないというか(笑)。内なる何かが『漫画を描け』って言うから、それに従うしかない。だってそれが一番楽しいというか、一番充実するわけだから。弘兼先生も、描くのが楽しくなかったらもう辞めていると思う」

 漫画を描くことを辞めるのを許さないのは、漫画界や読者といった外側にあるものではなく、自分の内側にあるものなのだ。
 そして福本は今、また新しいことを始めようとしている。モーニングで初めての連載が決まったのだ。

 「まだネームもできていないんですが、本質的なところはもう決まっていて、そこに迷いはないです。ただ今それを語るわけにはいかなくて。まあ簡単なことを言うと“人間の業”の話ですかね。『黒沢』にもそういうところがあるんだけど」

 人間の業──福本作品では、繰り返しそのことが描かれてきた。福本の創作にとって、外せないものなのだろうか。

 「いや、物語ってほぼそれしかないんじゃないか? と思う。人間の本性とか核とかそういうことですよね。恋愛ものであっても、結局人間の業の話だし。純粋な物語を描いても、どこかに業は出てしまうっていうことですね。清く生きたいと思っても、人間ってそれだけではいられないですよね。それって面白いよね、と僕は思う。業を美しい話として描くこともできるんですよ。例えばアカギは、自分の生きたいように生きて、刃物を突きつけられても信念を貫いた──これは美しい話じゃないですか?」

 業、本性、核、本質、本当に自分の内側から出てきたこと、内なる何か。取材中に出てきた言葉を並べると、福本の中の大事な場所にあり続けるものが見えてくる。
 18歳でも、40歳でも、64歳でも。ワクワクしながら新しいことに挑戦し続ける福本が、新連載を語る口調も、最後まで力強かった。

 「もう少ししたら、まとめてドンと考える時間を作れると思うので、そこから悪戦苦闘しようと思っています(笑)。今は、今ある連載に追われていて、まだ新連載に取り組める状況じゃない。だからいつ始めるか、まだはっきりとは言えない状態ではあるんですが……必ず始めます。こういうふうに言っておくことが、大事なんですよ(笑)」

 

(了)

 

福本伸行 Nobuyuki Fukumoto

 

1958年神奈川県生まれ。1980年「月刊少年チャンピオン」にて『よろしく純情大将』でデビュー。「カイジ」シリーズ、『天 天和通りの快男児』、『アカギ〜闇に降り立った天才〜』などヒット作多数。現在「ヤングマガジン」にて『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』、「近代麻雀」にて『闇麻のマミヤ』連載中。

 

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