40'sランドスケープ~40歳の景色~ インタビュー【錦鯉】

モーニング40周年を記念して各界の著名人が40歳の自分を振り返るインタビューシリーズ、第9回は、「M-1グランプリ2021」で歴代最年長(50歳と43歳)で優勝した錦鯉。40歳で新コンビを結成した長谷川雅紀の心境、40歳の長谷川に声をかけた渡辺隆の心境とは──。互いへの深い信頼に胸が熱くなるインタビュー。

モーニング40周年を記念して各界の著名人が40歳の自分を振り返るインタビューシリーズ、第9回は、「M-1グランプリ2021」で歴代最年長(50歳と43歳)で優勝した錦鯉。40歳で新コンビを結成した長谷川雅紀の心境、40歳の長谷川に声をかけた渡辺隆の心境とは──。互いへの深い信頼に胸が熱くなるインタビュー。

(取材・文:門倉紫麻 写真:柏原力)

※この記事はモーニング41号に掲載されたインタビューのフルバージョンです。

まさに40歳が転機(長谷川)
年齢を意識したことがない(渡辺)

 

 お笑いコンビ・錦鯉は、今から10年前、当時33歳の渡辺隆が40歳の長谷川雅紀に声をかけたことで結成された。

 長谷川は、当時をこう振り返る。

 「僕は、まさに40歳が転機なんです。それまであまりよろしくない時期が続いていて、(前の)コンビも解散して。芸人をやめることも頭をよぎっていたところに、隆に声をかけてもらった。隆とコンビを組んだことで、ちょっと人生が上向きになってきた、という時期です」

 一方の渡辺は、結成7年目に40歳を迎えている。

 「40歳の頃……2018年ですよね。覚えていないなあ。自分の年齢を意識しないので。中学生の時からおじさんでしたし。おじさんの時期が長いんですよ(笑)。まあでも、年齢を意識してないから、ここまで続けてこられたというのはあると思います」

 自伝的な著書『くすぶり中年の逆襲』(新潮社)の中で渡辺は、40歳の長谷川に声をかけたことに触れ〈年齢のことも気にならない。なんなら雅紀さんがどんどんオッサンになっていった方が面白くなってよりウケるかなと思った〉と述べている。

 「現に今、そうなってますしね。40歳の時より、今のほうがウケている」

 当時からそう確信できたのはなぜなのだろう。

 「まあ……この素材を見ていたら、そういうことになるかなと。発酵食品みたいなものです。発酵しきっていないものを食べて『まだ若い』とか言う人いるじゃないですか。もうちょっと漬けたら美味しくなる、と。その感じです。納豆、キムチ、雅紀さん(笑)」

 長谷川に、そう思われていたことを知っていたかと問うと「いやいや、知らなかったです。そんな話をしたこともないので」と驚いた様子。すると渡辺がすかさず「いや素材側は気づかないですよね」と入ってくる。

 「確かに僕は納豆の粒に似てるというか、納豆の親分みたいだけど」(長谷川)、「似ているからとかではない(笑)」(渡辺)と、リズムよく会話が進んでいく。

 

世代を合わせる
おじさん感を出す──
両方意識していない(渡辺)

 

 渡辺は「年齢を意識」してはいなかったものの、自身が40歳になった時には、長谷川のことを「すごいなと思った」という。

 「結成してしばらくは、毎月30本ライブに出ていたんです。『世に知られてもいない40歳のおじさんが、あの数のライブをこなしてたんだ……』と気づいて、すごいなと。僕だったらやらない、と思った(笑)。雅紀さんがちょっと賢かったらやってないと思うんです。愚直な人だから、よかった」

 長谷川も自ら「確かにね、僕が賢かったら、もうちょっと要領よくやっていたかもしれない」と応じる。

 同席していたモーニングの編集者が「5年くらい前、大学生の時に、バスクで拝見したのが最初だったのですが……」と話し始めると二人とも「バスクに来てたんですか!」と叫んだ。「バスク」とは、お笑い好きの観客が集まる、若手芸人が多数出演するお笑いライブのこと。「変わった大学生だったんですねえ」と言いながら、渡辺が顔をほころばせる。

 大学時代、自身もサークルに所属してお笑いをやっていたという編集者は錦鯉の特異性についてこう語った。

 「若手の方たちと一緒に出ていらっしゃったわけですが、その中でお二人は“昔の人”がやるような漫才をやっていたわけではまったくなくて、新しい漫才をやられていた。いい意味で、実際の年齢とネタの世代がズレている印象でした」

 渡辺は、やはりぶれない、こんな答え。

 「世代を合わせようとか、逆におじさん感を出そう、というのはなくて。バスクみたいなライブの最前線……当時一番盛り上がっていた会場に来ているお客さんをどう笑わせようかと考えたら、おのずとそういうネタになっただけだと思います。でもそれも、自分の年齢を意識していないことと通じるのかもしれないです」

 

雅紀さんの扱い方を知ってほしい(渡辺)

 

 二人のやりとりからにじみ出る、“仲のいい”空気、お互いを理解し合っている空気も、今どきの芸人らしさを感じさせる。

 「理解してあげないといけないというか……みんなに雅紀さんの扱い方を知ってほしい気持ちがあるんです。知らずに見たら、ただの危ない人だと思われる可能性があって(笑)。まあ危ないのは危ないんですけど、扱い方を知っていれば大丈夫なので。ウニの持ち方みたいな。『手袋をして持て』」(渡辺)

 「自分では危ない人だとは思っていないんですけど、思い当たる節はあります。社会ではちょっとギリギリなところもあるのかなと(笑)」(長谷川)

 コンビを組む前から、同じ事務所にいるお互いを見て、面白い存在だと思っていた。

 「僕と隆は対照的なところが面白いかなと思いました。化学反応が起こりそうだなと」と長谷川が言うと、渡辺は「僕はそんなことは全然考えていなくて。この人でなんとか金を稼げないかなと(笑)」と返す。だが著書の中では当時〈いるだけでライブ会場が明るくなっている〉と思っていたと述べており、今も渡辺は「ええ、それはそうですね」と言う。

 長谷川は、当時の渡辺のことを〈態度も言葉も落ち着いてるし、デンと構えてる感じ〉だと述べている。「僕は落ち着きがないので、よりそう思いました。隆は、ずっと変わらないです」

 確かに渡辺は、テレビでもそして取材中も、どんな話題にも変わらぬテンションで自分の意見を言い、不敵さと独特のユーモアを感じさせる。

 「欲があんまりないように見えるんです。僕なんかは、諦めかけていたお笑いの世界でようやく日の目を見て、今はやりたいことだとか欲が出てきた。だけど、隆は月に30本ライブに出ながらバイトしていた時と、こうしてテレビにたくさん出させていただけるようになってからと、何も変わらない」

 それを受けて渡辺は「周りが変わった感じで、僕は何も変わっていない。だから……今は異世界に来た感じです。異世界転生ものですね」と笑っている。急に仕事が増え、注目されても、平常心を失ったりはしなかったのだろうか。

 「いやあ……でもいっぱいいっぱいではあります。どの番組に出ても、全然自分の実力が足りていないなと思うことがほとんどです。なんにもできていないので」

 編集者が「でも、余裕があるように見えます」というと「おじさんだから動きが遅いだけなんです。心の中はものすごく速く動いてるんだけど、動きが遅いから余裕そうに見えるだけ」と笑いながら返した。

 

 

ゆるくやってきたのがよかった(長谷川)

 

 二人とも、もともと自分と誰かを比べて悔しくなるようなこともなかった、と口を揃える。

 「結構早めの段階で “何クソ根性”みたいなものをなくしてしまいました。“マイペース”だといい言い方になっちゃいますが……自分ができることはこれぐらいだなあと。だから今、楽といえば楽なんです。無理せず、素のままの自分をやっているので。それだけではダメな部分もあると最近気づいたので、なんとかしなきゃと考えてはいるんですけど」(長谷川)

 「20年以上後輩に抜かれ続けてきたので。最初のうちは悔しさもあったんですけど、どんどん慣れてきて、徐々になんとも思わなくなるんです。比べるのに飽きたっていうのもあります(笑)」(渡辺)

 40歳の時に、М-1で優勝するという未来は、どれぐらい想像できていただろう。

 渡辺は「ひょっとしたら、とは思っていたかもしれません。準決勝に1回行ったくらいの時だったと思うので」と言うが、それより7年も前、コンビ結成直後だった長谷川は「正直全く見えていないです。ゼロです」。

 「あの頃バスクに来ていた人も、僕たちが優勝するとは想像できなかったと思う。50歳でМ-1グランプリ優勝って……小説とか漫画でもリアリティないよ! みたいな。大谷翔平さんがピッチャーとバッターを同時にやるのとかも、よく『漫画でもそんな設定ないよ!』って言われたりするじゃないですか」

 すかさず渡辺に「一緒にするなよ!」とツッコまれて「いやもちろん畏れ多いんですけど」と言いながら、長谷川はこう続けた。

 「もともと二人で組もうとした時に『絶対売れような! 天下獲ろうな!』みたいなことは話していないんです、不思議なことに(笑)。二人が大好きなドラマ『北の国から』の話を朝までずっとして。『スペシャルだと何が好き?』『ヒロインは誰が好き?』みたいな。それが錦鯉が生まれた瞬間です(笑)。でも……僕たちはそんなふうに、肩に力を入れず、ゆるくやってきたのがよかったのかなって。芸歴とか年齢とも合っていたというか。まあ完全に後付けというか、結果論ですけどね」

 

いるだけで、大丈夫(渡辺)
相方が隆だから、僕は今ここにいる(長谷川)

 

 「無理していない」「素のままの自分」と言っていた、長谷川らしい自己分析。
 渡辺は、「素材」である長谷川のそういった良さ、らしさを最大限に引き出すように心がけてきたのだろうか。

 「いや、それも意識はしていないです。とりあえず、現れればいい人なんで。雅紀さんは、何がどうとかじゃないんです。いるだけで大丈夫なんです」

 いるだけで大丈夫──これ以上ない強い信頼を感じさせる言葉だ。

 「なんですかねえ……特別なんですよね。多分ほかにはいないと思います。客観的に見て、ですけど。相方としてとかじゃなくて、人として、ほかに代わりがいないということです」

 だが「少し懸念がある」のだという。

 「相方が僕じゃなかったら、雅紀さんはもっと早く売れていたかもな、と思うことがあって。40歳の時点で雅紀さん自身は完成していたので、もっと上手にプロデュースできる人がいたかもしれない。僕がこの石の洗い方を間違えていたというか、なかなか輝かない洗い方をしていたのかもしれなくて。僕は『はい、どうぞ』って言って出してるだけなんですけど」

 それを聞いた長谷川は「いや相方が隆だから、僕は今ここにいます」とお互いにとって特別な存在であることがストレートにわかる一言。

 「それまで、ちょっと僕が外れたことをしても、周りからは許されていたんです。雅紀だから仕方ないな、みたいな。でも隆が初めて『それは違うんだよ』って注意してくれて。爪は切らなきゃダメなんだとか、Tシャツは毎日替えなきゃダメなんだよとか……やっと人間の世界のルールがわかってきたというか(笑)」(長谷川)

 そのままでいいけれど、「人間の世界」で生きやすくなるように、渡辺がルールを伝えてきたということだろうか。

 「実際に爪は切らなくてもいいんです。ただ『切れ』って言ったらウケる、ということです。切っても切らなくても、どっちに転んでもいい」(渡辺)

 ここで編集者が、芸人になった友人との話の中で出てきたという、シビアな質問を投げかける。

 「50歳と43歳のコンビがМ-1で優勝して売れたという出来事は、すごく夢のある、ハッピーな話として語られることが多いと思うんです。でも友人から『50歳でも売れることがあるとわかってしまったことで、50歳までやめられない芸人も出てしまうかもしれない』と聞いて、なるほどと……芽が出ないまま芸歴が長くなった芸人に声をかけるとしたら、どんなふうにおっしゃいますか?」

 実際に同じようなことを言われた、と長谷川が話し始める。

 「『やめられなくなる前例を作った』『希望も与えたけど絶望も与えた』と僕も言われました。最後まで諦めるなとか、成功するまで続けろとは言えないです。向いていないと早く気付ける人は、自分に合った世界に行くのもいいと思うので」

 渡辺は、別の視点からこう話す。

 「僕としては『知ったこっちゃないよ』という感じです(笑)。自分の人生なんだから、自分で考えればいい。僕はやりたいからやった、というだけです。絶望を与えられたとか、そんなことで揺らいでいるようじゃダメなんじゃない? と思います」

 芸人としての矜持を感じさせ、かつ芸人以外にも響く一言だ。

 

二人だけで、どう笑いを作るかが原点(渡辺)

 

 錦鯉を結成するまでは「ダラダラ過ごしていた」と、いろいろなところで口にしてきた二人だが、先ほどから話しているように、デビュー直後は月に30本ものライブに出演、しかも毎月新ネタを5本披露すると決めていたという。なぜ「ダラダラ」を脱し、真剣にお笑いに取り組めるようになったのだろう。

 「コンビを組んだものの、二人でやれるネタが一つもなかったんです。それでまずはネタをいっぱい作るか、ということになった。そこからですかね。全然ネタができなくて、題名だけ決めて、あとは己のポテンシャルを信じて(笑)、舞台に立ったこともあるんですけど」(渡辺)

 「あれは本当に苦肉の作というか。月に新ネタ5本って宣言しちゃったから、ネタが完成してなくてもやるしかなかった。お客さんには申し訳なかったですけど」(長谷川)

 「意外とウケたけどね。でも終わった後、どんなネタだったのか全く覚えてなかった」(渡辺)

 バラエティなどネタ以外のトークで彼らを観る機会も多いが、先述の著書にもボクらにとっての原点は『漫才』です〉とはっきりと書かれている。

 「原点はそこなのかなと。漫才に限らずですが、二人だけで、どう笑いを作るか、が原点だと思います」(渡辺)

 二人の芸人としての成功は、こうして必死に芸と向き合ってきた時間が作っているように見える。

 「そうですね。確かにネタは、本当にたくさん作ったので。世に出せないような、何が面白いんだっていうものもありましたから。題材はなんでもいいと思っているんです」(渡辺)

 「偶然テレビで猿を捕まえるニュースをやっていたから、これはどうだろう?って。思いつきです」(長谷川)

 ネタは二人で話しながら作るが、渡辺いわく「どれだけバカなことが言えるか」を重視しているという。

 「ネタのIQを限りなくゼロに近づけたい。大体、大声で元気よく言えばIQが50ぐらい下がる。ただ静かに言ったほうがバカな時もあるし……雅紀さんはそれを素でできるので(笑)」

 「バカ」を重視するようになったのは、ハリウッドザコシショウから「長谷川。お前はバカなんだからもっとバカを前に出していけ」と言われた影響が大きいという。

 「僕が直接言われたわけではなくて、隆からそう聞いたんですが。そこから大きな声で『こ~んにちは~!!』って挨拶するようになりました」(長谷川)

 「(長谷川には)周りから『できると思われたい』気持ちがちょっとあるんです。急に場を回そうとしたりする。それで『お前じゃねえよ!』って全員にツッコまれるんですけど」(渡辺)

 「できないくせにやりたがる。初めて行く道なのに先頭を歩いて、道を間違えて怒られたりしてました(笑)」(長谷川)

 「好奇心が旺盛なので(笑)。でもそういうのも含めて面白いんです。何をやったっていい」(渡辺)

 渡辺の長谷川への信頼が、何度も溢れる。長谷川自身は、渡辺がこうして自分のことを褒めるのを聞くのは、どんな感覚なのだろう。

 「普段は面と向かってそういう話はしないんで……照れますよね」

 「いや別に褒めちゃいないんですけどね」と渡辺は言うが、聞いているこちらもぐっときてしまう。

 「正直、雅紀さんのことを人間だと思っていないかもしれない。たまに僕にしか見えてないのかなと思ったりします(笑)」

 

 

丁寧な終わり方が好き(長谷川)

 

 錦鯉の漫才では、スタートを告げる長谷川の「こ~んに~ちは~!!」とともに、渡辺のゆったりとした「どうも、ありがとうございました」という終わりの挨拶もまた、多くの人に強い印象を残す。

 編集者が「あの終わり方を始めたあたりから、お二人の漫才のウケがもう一段階上がったように感じているのですが……」と言うと、長谷川は「へえ、なるほど」と感心しつつこんなふうに言う。

 「実は、僕もあの終わり方が好きなんです。雑な終わり方が好きじゃなくて……。隆の終わり方は、丁寧なんです。だから好きなんです」

 何かきっかけが? と渡辺に問うと、やはり「あんまり意識してないんですけど」と前置きをしつつ「終わったよ感、を出すためですかね」と答えた。

 「確か、めちゃくちゃすべった時に、あの終わり方をしたらウケたんです。あんなにすべったのに、何を丁寧にお辞儀してるんだっていう」(渡辺)

 「あんな丁寧に『ありがとうございました』っていう人、いないですよね(笑)。でもこれも隆に話したことないから……隆から『これからああやって終わるから』って言われたこともないですし」(長谷川)

 渡辺はなぜ長谷川に、新しい終わり方を伝えなかったのだろう。

 「お互い、何をしてもいいと思っているからですかね(笑)」

 この「丁寧な終わり方」は、誰がやってもウケるということはないだろう。錦鯉の二人にマッチした、まさに「無理のない」ものだからウケる、ということは間違いない。著書で〈漫才には演者の人間味というか、人生が乗っかっているんだと思った〉と述べていた長谷川は「根本的に、そういうことだと思うんです」と話す。

 「ほかの芸人のことも、見ているとわかるじゃないですか。本当はいい人なのに悪い人ぶっていたりすると、緊張とか照れ、やらされているということが伝わってきてしまう。それはいやなので、僕は自由にやらせてもらっています。だからしんどくなったり、何かが負担になったりとかがない。もし、どうしても人から言われてやらなきゃいけないことがあったとしても、自分なりの表現でやるようにしています」

 

今日のことしか考えない(渡辺)
子どもの歌を作りたい!(長谷川)

 

 現在、長谷川が51歳、渡辺が44歳。ここから先の人生については、どんなふうに考えているのだろう。

 「本当に僕は今日のことしか考えてない」という渡辺に、60歳ではこうしようと考えたりは? と聞くと「60歳なんて、知ったこっちゃないです」と笑った。一方の長谷川は「僕は、芸能界でずっとやっていきたいなという思いがあります」と対照的な反応。

 「レギュラー番組もほしいし、やったことがないこともいろいろやりたい。役者の仕事とか、歌を作ったりとか……そのために何か今やっているかというと何もやっていないんですけど(笑)」

 「歌がやりたかったの? 歌うの? 自分で?」(渡辺)

 「作曲と作詞もしたいし、歌ったりもしたい。今はちょっと時間がないからあんまりできていないんですけど」(長谷川)

 「時間がないから、って本気じゃん!」(渡辺)

 「面白いじゃないですか、ヒット曲を作るって。子どもの歌の中に食べ物が出てくるとヒットする、みたいなことを聞くので……コミカルな歌とか作ってみたいです」という長谷川に「『食べ物の歌を作ると、売れるよ?』って騙されてる人みたい」と渡辺が楽しそうにツッこむ。

 編集者が「長谷川さんは、漫画家になりたかったこともあるんですよね?」と尋ねる。

 「そうなんです。だから漫画を描くのも夢の一つです。お笑いをやめようかなという考えがよぎった時、漫画家って年齢制限ないよなと思って……。青木雄二先生が『ナニワ金融道』(講談社)を描いたのも40代ですよね。小学校の時には、大学ノートに漫画を描いて友達に回したりしていたんです。『ドファイトコミック』っていう名前なんですけど。ドは“ド根性”のドです!」

 「ファイトにドはつかねないんだよ(笑)」と渡辺にツッコまれているが、「コロコロコミック」が大好きだったという長谷川らしいタイトルのつけ方だ。実際、長谷川が原作を担当し、コロコロコミック連載作家であるのむらしんぼが作画を担当した作品『皿洗い少年 洗太』を世に出したこともあるという。

 長谷川と同年代でコロコロコミックに多大な影響を受けた筆者が興奮して、幼少期に好きだったタイトルをいくつか挙げると、「あれ読んでたんですか! ちょっと感動的ですね」と長谷川が声を弾ませる。撮影現場に移動する間にも「『おじゃまユーレイくん』(小学館)のどこが好きだったんですか?」と話しかけてくれ、下校中の小学生同士のようにしばし盛り上がる。

 目を輝かせて歌や漫画、好きなもの、やりたいことを素直に語る長谷川を見ていた渡辺は、やはりこう言うのだった。

 「いいと思います。好き勝手に、雅紀さんにはなんでもやってほしいです」

 

(了)

 

錦鯉 Nishikigoi

 

長谷川雅紀 Masanori Hasegawa
渡辺隆 Takashi Watanabe

 

1971年北海道生まれの長谷川と、1978年東京都生まれの渡辺が、それぞれ別のコンビを経て、2012年に結成。「M-1グランプリ」では2020年に初の決勝進出、2021年に優勝。著書に『くすぶり中年の逆襲』(新潮社)。

 

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