「追悼 さいとう・たかを先生」同姓同名のジャーナリストが特別寄稿!

2021年9月24日にさいとう・たかを氏が逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 今回、同姓同名のジャーナリストである斎藤貴男氏が追悼文を緊急寄稿。名前にとどまらない「縁」と、全話を通読したから言える「ゴルゴ」へのメッセージを記してくれました。

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2021年9月24日にさいとう・たかを氏が逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

今回、同姓同名のジャーナリストである斎藤貴男氏が追悼文を緊急寄稿。名前にとどまらない「縁」と、全話を通読したから言える「ゴルゴ」へのメッセージを記してくれました。

 

私の手許に一枚の色紙があります。

「斎藤貴男様  さいとう・たかを」のサインに添えて、苦み走ったゴルゴの横顔が。

もう35年も前に、さいとう・たかを先生ご本人が、目の前で書いてくださったものです。先生は49歳、私は27歳でした。ビジネス雑誌「プレジデント」の取材でご自宅を訪れた際に懇願して、快く応じていただいたのです。

「同姓同名の人間にサインしたのは、これで6人目だ」と、先生はどこか感慨深げでありました。

以来、この色紙は私の宝物になっています。

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これが「さいとう先生から斎藤氏への色紙」。一般メディア初公開です。

今や「最も発行巻数の多い漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された『ゴルゴ13』。怠惰で飽きっぽい私が、曲がりなりにもジャーナリズムの世界で生き延びてこられたのは、常に仕事場の一角から見守り続けてくれたゴルゴの眼差しのお陰でもあったのに――。

さいとう・たかを先生は、この9月24日に旅立ってしまわれました。享年84。

自分と同姓同名の(先生の本名は「隆夫」なので、正確には名前の読みだけが同じ)、凄くてカッコいい劇画家の存在を知ったのは1966年、小学校2年生のときだったと記憶しています。

あの『巨人の星』(原作・梶原一騎、画・川崎のぼる)や『サイボーグ009』(石森章太郎)、拳銃不法所持で逮捕された桑田次郎氏の復帰第一作『黄色い手袋X』(原作・川内康範)などの新連載が相次いだ時期の「少年マガジン」で、さいとう先生のSF作品『サイレントワールド』もスタートしたのでした。

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『サイレントワールド』新連載トビラ(「週刊少年マガジン」1966年50号)

――時は2068年、宇宙開発月基地で訓練を受けていた日本少年隊の少年少女6人が、銀河系外の宇宙に放り出されてしまう。もぐり込んでいた宇宙船「フジ1号」が暴走し、宇宙空間の歪みに突っ込んだらしい。

大人の乗組員は宇宙線を浴びて全員死亡。絶望の淵に追いやられた6人は、訓練の教官でもあったパイロット・東郷が書き残した「友情・希望・勇気」の言葉を抱きしめ、母なる地球を目指して、底知れず無限の宇宙を生き抜いていく――。

少年少女たちの運命を案じながら死んでいった教官の名に注目してください。

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死を目前にした東郷先生と少年たちの名シーン(「週刊少年マガジン」1967年4号)

さいとう先生が後に自著で告白したところによれば、この2年後に開始された『ゴルゴ13』の「デューク東郷」は、悪童時代の氏がただ1人だけ素直に、その教えに従うことができた教師の名を頂戴したといいます。東郷教官の命名も、同様の発想であったのでしょう。

先生の人間味溢れる作風が、私は幼い頃から好きでした。だから、マガジンでその次に連載された『無用の介』をはじめ、『デビルキング』も『ザ・シャドウマン』も『台風五郎』も、『007』や『0011 ナポレオン・ソロ』のシリーズも、『探し屋はげ鷹登場!!』も『怪盗シュガー』も『ディンゴ』も『カメラマン寸前』も『影狩り』も『娼婦ナオミ夜話』も、リイド社の「劇画座招待席」シリーズとして刊行されている多くの短編も、もちろん『ゴルゴ13』も、そうそう、特撮ヒーローになった『バロム・1』の原作だって。

『サイレントワールド』以降の作品はたいがい読んで、私は1986年のあの日、先生のご自宅で取材にかこつけ、「斎藤貴男様 さいとう・たかを」のサイン入り色紙を手渡される栄に浴したのでした。

先生と同姓同名であるおかげで、私はずいぶん得をしてきました。

なにしろ斎藤なんてありきたりも極まった苗字にもかかわらず、初対面の相手にもすぐ名前を覚えてもらえる。記者の仕事に就いてからは、名刺を交換したとたん、「おッ、ゴルゴ13ですな」という調子で、いきなり打ち解けた会話に入れてしまった幸運が、いったい幾度あったことでしょう。

新聞や週刊誌を卒業し、フリーになった時には、ペンネームを使うべきかと少し悩んだものの、やめました。

先生はひらがなで、私は漢字。ジャンルも違えば、実績には雲泥の差があります。間違えられる可能性は限りなく小さいのですから、妙な遠慮はかえって失礼だと、思い通りの本名にさせてもらいました。

はたして混同されたことは一度しかありません。『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』(新潮社、1995年。現在は『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』と改題して朝日文庫)の取材で、あるスポーツ新聞の編集局を訪れた際のことです。

故・梶原一騎氏の晩年に若き日のボクシング・ノンフィクション「ピストン堀口物語」の劇画化を実現させた新聞社でしたが、漫画・劇画の世界そのものには疎かった幹部氏に、

「さいとう先生は、こんなにお若かったのですか」

と驚かれ、

「いいえ、別人です。申し訳ありません」

と返して、またしても話が弾み、首尾よく充実のインタビューとなった次第です。

ちなみに斎藤貴男の名前は戦前の「粛軍演説」や戦時中の「反軍演説」で有名な斎藤隆夫(1870~1949)とも読みが重なるのですが、かの大政治家と同じですねと言ってくれた人は1人しかいません。

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斎藤隆夫(1936年撮影)

日本社会党や社民党の党首、衆議院議長などを歴任した故・土井たか子氏でした。「だからあなたは偉い」とも褒めていただいたのが、なんだか土井氏らしくて楽しかったです。

と同時に、私自身は斎藤隆夫とさいとう・たかを、直接には何の関係もない二人の大物と同じ読みの名前であることが、たまらなく嬉しくなりました。

なぜなら斎藤は、「稀代の自由主義者」とか「孤高のパトリオット」の異名を取った人物です。さいとう先生の本質は、アウトローたる賞金稼ぎのくせにむやみに人が好く、〝おセンチ劇画〟と呼んで自戒していたという無用の介や、いかなる権力もイデオロギーも信用しないゴルゴの生き方にあると思います。どちらの先達にも憧れます。

そんなお2人と、形の上だけでも並べてもらえるだなんて。私の名前は近所のお寺のご住職がつけてくれたということしか、両親には聞かされていません。同姓同名はどこまでも偶然でしかないようですが、それだけに、幸運に感謝したいと思います。

『ゴルゴ13』は、故人の遺志もあり、スタッフや版元の編集部が協力し合いながら、制作を続けていくそうですね。ほぼ全作品を収集済み(ただし小学館「ビッグコミック SPECIAL ISSUE 別冊 特集ゴルゴ13シリーズ」版で)の大ファンとしては大喜びなのですが、少しく心配してもいます。

この作品はゴルゴが体現している哲学あってこそ成立したと、私は認識しています。万が一にも、単に国際情勢に材を取った情報コミックになってしまったら最後、世論の誘導に利用されまくりかねない危険を孕んだメディアである、と。そんな思惑で動いている政治家たちの姿も、近年は散見されるような気がして――。

さいとう先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。長い間、本当にありがとうございました。

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講談社版『無用ノ介』第1巻