私は「できない事務員」だった。松浦だるまインタビュー(2)

『累』で美醜の本質と人間の深淵を描く──松浦だるま、創作秘話第2回。

 

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コミックDAYSインタビューシリーズ

第2回 「松浦だるま」(2
取材:構成=木村俊介

 

幼少期、漫画家を目指すきっかけ、傑作の誕生秘話──

なかなか表に出てこない漫画家の真の姿に、かかわりの深い担当編集と共に迫る。

 


 漫画家──松浦だるま 作品に『累』『誘』など

 編集者──永尾拓也 二代目担当編集者


 

1回はこちら

 

 

第2回 青春の体験も、作品の中に投げ込んだ

 

演劇を入れたことで「復讐譚」のみではなくなった

 

松浦だるま 私には、もともと「これこそが自分のオリジナリティなんです」と言えるような絵柄もないのですが、それでも、『累』に自分なりのなにかがにじみ出ているのであれば……おそらく「ストーリーにひっぱられていった」という気がします。

回を追うごとに、より黒っぽく、シャープな線で描く漫画に変わっていったのは「ストーリーに要請されてのもの」という気がします。変わることは悪いことではないと思っているので、今後もストーリーにひっぱられて変わっていくのだろうな、とは思うのですが。

 

永尾拓也(二代目担当編集者) 『累』の初回のネームは、たくさん描き直したんですか?

 

松浦 初代の担当さんにはじめて持っていったネームは、本当に「勢いだけ」で描いたもので、まとまっていなかった。相談や推敲を経て実際に描ききった原稿は、自分でも「私はまだ第1話・第2話の完成度を超えられていないのかもしれない」と思うぐらい満足のいくかたちにはなっているんですが、それは「初回が口紅を紹介する物語」だからなんです。

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『累』第1話の1ページ目と第2話の最終ページ。この2話を通して物語の根幹が鮮やかに描かれている。

「口紅によって人と人の顔が入れ替わる」という漫画的なアイデアの強さこそが、『累』という作品のおもしろさだと感じているんですが、初回はそのおもしろさをはじめて紹介したストーリーだから、幸運にもインパクトの強いものになってくれた、という……

最終的な形になったものと、いちばんはじめに出したものと、どこがとくに違ったのかと言えば……これは、担当さんに指摘されて直したというわけでもないのですが、「顔が入れ替わることになったふたりが、夜になって小学校の屋上でやりとりするシーン」を入れたことだと思っています。

よりドラマチックになるので、思いついた時には「めっちゃかっこいいじゃん!」と興奮していました。カフェでネームを描いていて思いついたんですが、その時の風景まで覚えているほどですから。

ふたりに秘密のやりとりをさせる場所を考えているうちに「小学校の中では、トイレか屋上ぐらいしかふたりきりになれないもんなぁ」というところまで考えて、その後「じゃあ屋上でなにがおこなわれることになるか」と考えを進める中で思いついたわけです。

 

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『累』第2話より。深い思考の末にたどり着いた屋上のシーン。

 

永尾 演劇というテーマには、どういう意図をこめたんですか?

 

松浦 演劇は、割と後になってから作品に入れ込んだ要素なんです。「キスで顔が入れ替わる」というはじめのアイデアに「累ヶ淵という怪談」の要素を加えた後、さらに「表現を突き詰める演劇の世界」の要素も詰めたわけですね。

詰めすぎかなとも思いましたが、演劇を入れなければ、復讐譚だけになってしまうんです。だから、演劇の要素を入れた時から、本当の意味で「あ、人間の物語がはじまったぞ」という感触がありました。


物語にリアリティを出すには、自分が本当に経験したものから持ってくるのがいちばんいいけれど、それがうまくいった、という感じもあります。私は中学生時代に演劇部に所属していたので。

私にとって演劇の経験は大きいものでしたし、体験のストックには限りがあるから、ここで体験を「使う」のは後に引けなくなる勝負でもあったんですが。

漫画の中で実際に出てくる「演劇部の部長である先輩と一緒に帰るときの、憧れを含んだ楽しい気持ち」なんて、私もかつてありありと感じていたからこそ、現実感をもって描けたんですね。

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『累』第4話より。作品には作者の体験が色濃く反映される。

 

永尾 演劇部に入ったきっかけって、なんでしたか?

 

松浦 なりゆきです。ともだちが入ったからという軽い気持ちで。でも、楽しかった。基本的に、私の演劇部での経験は、『累』的なものではなく、とても普通なものではあるんですけれども。ただ、そこには確実に、私の青春があったんです。頑張ったら結果が出るみたいな喜びを味わえた体験も大きかったし。


入ってみると、演劇部というのは、オタクっぽい女の子も結構いるところなんです。イラストを描いたり漫画を描いたりするのが好きな子が多かったですね。私もそうなんですけど、絵を描くのが好きな子って、どこかで変身願望が強いのかもしれなくて、それで演劇部に入ることにもなるのかもしれないな、と感じたことはあります。

いつもは、別に明るいわけでもない。私なんて、クラスの子ともロクに話さないほうでしたからね。昼休みになったら、廊下の隅にたまって、昔から仲のいい子たちと伊集院光さんのラジオの話をするのが楽しみだった、というぐらいの性格だから(笑)。


でも、演劇では身ぶりや手ぶりもすごく大きくして動くなんてことを、平気でやらなきゃいけない。大きい声も出さなきゃいけない。そうしなければ、遠くで観ている人にまで伝わらないから。舞台のうえでは、ふだんの自分とはぜんぜん違うものにならざるをえない。変身願望を満たせるんです。

 

永尾 大きな声を出すのは、恥ずかしくはなかったんですか?

 

松浦 演劇部の部長は劇団に入っている女性だったんですけど、その部長から「中途半端に恥ずかしがってたら、逆にかっこ悪くて恥ずかしいから!」「子ども向けのアニメのキャラクターになったぐらいのわかりやすい動きで、思い切って大げさにやりなさい!」という言葉含め、厳しい指導があったのでやれるようになったんですよね。


部活をやる場所は、校内の狭いホールと体育館。運動部が走るすぐ近くで「あ・え・い・う・え・お・あ・お!」「あめんぼ・あかいな・あいうえお!」なんて発声練習をしたりするから、聞こえるところでからかわれたりもするんですけどね。「演劇部って、おおげさで変だよね」とか。でも、さっき言った部長がとても強い方だったので平気でした。「大丈夫、これで合っている」と。



じつは、その先輩には会って懺悔をしたいんです。部長は、厳しさのためか一部から疎まれてしまっていた。でも、いちばんみんなのことを考えてくれて、卒業間際まで部活を見に来てくれてもいたんです。本当にいい先輩だったのに、私も多数派の意見に流されて「厳しすぎるよねなんて」噂話に加勢していて……。

ある時、部長が帰った後、みんなで「やっと帰った」なんて話をしている時に、本人が忘れものを取りにきたんです。先輩はそこで私たちの悪口を聞いてしまったかもしれない。それから会っていないんですが、「その時の指導のおかげもあって私はこうして演劇の漫画を描いているんです」と伝えたいぐらいなんです。いま、どこでなにをされているのかもわからず、連絡の取り方がわからないのが残念なことなのですが。

 

永尾 『かもめ』や『マクベス』など、王道的な演劇作品を扱ったのは、どういう意図からですか?

 

松浦 私は、いわゆる「演劇好き」という方たちに比べたら、観劇経験は少ないんです。やった経験ばかりで描こうとしていた。そういう中で、登場人物にどんな作品を演じさせるのかと考えた時、やっぱり、演劇について記してある本なんかに「基本」として出てくるような、シェイクスピアなどの古典的な作品から入るのがいいんじゃないのかなぁ、と思ったんです。

演劇の世界って明確な説明が難しいんです。「新劇」「小劇場演劇」「商業演劇」などのジャンルがどう生まれてどう関わっていまは何が主流か、なんてとても複雑でわかりにくいですから。マニアックに描いたら、単に演劇だけの漫画として終始してしまう。でも、この『累』で突き詰められていく世界は演劇のみではないだろうと。だから、いわゆる基本と言われている戯曲を扱うことが作品に適していると考えました。

 

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『累』第10話より。王道的な演劇作品を扱うことで、作品としてのバランスを取っている。

 

漫画を描いて生活できるなんて、夢のようだけど……

 

松浦 漫画を連載し続ける生活は忙しいですが、こんな充実していることなんてないですよね。うれしいことです。そもそも仕事ができているということ自体が、私にとっては不思議なことなので。

じつは、生活のために事務の仕事をしていた際には、本当に毎日のように、なんで自分はこんなに仕事ができないんだと泣いていましたから。いまはできることをやっているので楽しい。

夢だった漫画家生活は、やっぱり楽しいです。たくさんの方に助けてもらったり、作品を見てもらってご感想をいただいたり、このごろ、やっと「漫画家」と名乗れるぐらいにはなったかなぁ、と思ったり。ほかになにもできることがなかった自分には、ありがたい状況なんです。

 

永尾 最近は、毎日のように電話で打ち合わせをしていますね。

 

松浦 はい。作業能率が悪くて。いまも一話を進めるのに、すごく時間がかかっています。とくにネームには時間がかかるという。情けない話ですが、担当さんと毎日話しているのは、具体的に相談するべき内容があるからでもないんです。

そもそも自分の集中力が切れていることを自覚できずにいる時もあるから、どうですか、と電話をいただくことで、「私は漫画を描いているんだった」と気づかせてもらえるというようなことですね。このあたりは、連載が続いたからこそ出てきている感覚ではあるんです。

はじめは「やった、連載だ」「漫画家になれた」という気持ちだけでどんどん進むことができた。でも、何年も連載が続けば、モチベーションや自信の維持もぐらついてくるという。

 

永尾 連載の中ですでにやった演出はできなくなるなど、作品が継続するからこそ、技術的なハードルが高くなる面もありますからね。

 

松浦 漫画を描くモチベーションを意識的に上げなければならなくなった点は、本当に新人だった時期には想像もできなくて、しかも、わりと大きな課題になっているように感じます。贅沢な悩みではあるんですけれども。


もちろん、漫画家になった当初「ここが、あのすばらしい手塚治虫先生や水木しげる先生がいた世界なのか……」なんて高揚感を味わったことも、本心なんですよね。そこにいられるだけでうれしい、と思って頑張りはじめた。読んでくださる方がいることもありがたい。それも、本当のこと。

でも、同じ仕事を続けるって、本当にたいへんなモチベーションが要ることなんだなぁ……と3~4年描いてきた漫画家は痛感することにもなるのではないでしょうか。読んでくださる人がいるのにもかかわらず、なんでモチベーションが下がるんだろう……という理不尽さも含めて、やっぱり長くキャリアを重ねてきた方たちは、本当にすごいのだなぁとも感じます。


自分の悩みの質の変化については『累』の物語とも響きあうようなところがあるんです。女優として亡くなった母は、こんな世界で息をしていたのか……と、はじめは演技をできたこと自体を喜んでいたはずが、それだけに留まらない複雑な悩みも抱えることになっていく。不思議なんですが、本当に『累』と一緒に漫画家として悩んできたように感じるんですよね。

 

永尾 担当編集者が替わるタイミングでも、ちょうど、そのあたりに向き合っていましたよね?

 

松浦 漫画家の仕事を続けていくうちに、精神的にわけがわからなくなることも出てきたんです。漫画が続くだけでなく、トークショーに出させていただいたり、SNSで「読んでいます!」と伝えてもらえたり、勿体ないくらい評価をいただけて光栄でうれしい、ありがたいと本当に感じます。

でも、その一方で、評価が高まるほど「……さて、評価に反して当の私自身は『できない事務員』の頃からなにも変わっていないのではないか?」という壁に突き当たるような気がしていました。それが、助けてくれる存在である担当編集者の交替とも重なったんです。


ありがたいことに、漫画の内容を褒めていただくようにはなった。でも、それは「私」が評価されているのではないんじゃないか、と思っていたんです。私はいまでも事務の仕事をさせたらだめだろう。イラストだけでも食べてはいけないだろう。人間的にも未熟だ。前と同じように能力はないまま、不当に評価されているのではないか……。

漫画以外なにもできない私が、その漫画でさえも周囲にいる編集者さんやアシスタントさんなど、多くの方たちの協力をいただくことで、仕事を続けられている。だから、自分だけの実力ではないよなぁということを、つらさとして感じていて。

そんな中で、デビュー前からずっと見てくださっていた担当さんが替わるのもショックだったんです。悪い理由で替わるわけではないけれど、ずっと甘えてきた自分が、そろそろ独り立ちをしなければならないぞ、と。


客観的に見れば贅沢な悩みだけど、こんなところも、連載して3~4年ぐらいの漫画家がぶちあたるところなのかもしれないなぁ、とは思いますね。

 

(つづく)