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【インタビュー】 浦和レッズ 武藤雄樹選手



ドリブルで勝負していた学生時代

水を得た魚——環境が変わるだけで、こうも人は輝きを増すのだろうか。今シーズン、浦和レッズに加入したFW武藤むとう雄樹ゆうきは、今年最も飛躍した選手の一人だろう。これから始まるチャンピオンシップにおいても、彼が浦和のキーマンとなることは間違いない。

武藤と話をしてみて感じたのは、器用なようで不器用で、不器用なようで器用な選手ということだ。じゃあ、一体全体、どっちなんだというツッコミが入りそうだが、一つ言えるのは、それだけ彼が実直で、ひたむきだということだ。挫けそうになるたびに努力し、這い上がってきたからこそ、今の彼がある。

これまでのキャリアを振り返ってもらったとき、武藤自身もこんなことを言っている。

「高校時代のチームメイトは、大学時代の僕のプレーを見て『お前、変わったよね』って言いますし、大学時代のチームメイトには、ベガルタ仙台のときの僕のプレーを見て、『お前、そんな感じのプレースタイルになっちゃったの?』って言われましたからね」

その時々で武藤に対する周囲の印象は異なる。今、浦和のサポーターが抱いている武藤のプレーヤー像も、おそらく浦和に来てから築かれたものではないだろうか。もしかしたら、そのイメージは、数年後、それこそ数ヵ月後には全く違ったものになっているかもしれない。それだけ武藤は、さまざまな特徴と魅力を持っている。


話は彼が初々しかった武相高校時代にまで遡る。

「高校のときはずっとドリブルしているようなプレースタイルだったんですよね。サイドハーフをやった時期もありましたけど、基本的にはFWでプレーしていました。比較的、ワンマンチームで、自分にどんどんボールを集めてもらって、ひたすらドリブルで突破する感じだったんです。そのときはもう、自分はドリブルだけで勝負できると思っていました。たぶん、選手生活で一番、ドリブラーって感じだったと思います」

ところが、話はドリブルのようにサクサクと前には進まない。

「大学に行ったら、そのドリブルに行き詰まったんです。1年生のときは、結構、得点できていたんですよ。そのゴールのほとんどが自らドリブルで仕掛けて奪う形で。だから、チームメイトもみんな、『(ドリブルで)行っていいよ』って言ってくれていました。それが急に、2年生くらいからドリブルで相手を抜くことができなくなったというか、ドリブルだけではゴールを決められなくなったんです」

流通経済大学に進学した武藤は、1年生のときにJFLで21試合に出場して15得点を挙げた。ところが2年生になると、19試合で5得点とゴール数が激減してしまったのだ。

「ドリブルしても囲まれるし、止められてしまう。それこそシュートブロックもされて、うまくいかなくなる。そうすると、やっぱり試合にも出られなくなるじゃないですか。流経大は選手層も厚いですし、ドリブルばかりして、何度も何度もボールを取られる選手を使ってくれるほど、甘くはなかったんですよね」


ドリブラーからワンタッチゴーラーへ

出場機会が減り、悩んでいた時期だった。1学年後輩のGK増田ますだ卓也たくやが、当時からサンフレッチェ広島の練習に参加していたこともあり、いつも広島の試合映像を持ち歩いていた。そこにヒントとなるようなプレーをする選手が映っていたのだ。

「ボールを受けて、ただドリブルするだけではもう無理だろうなって思っていて、FWとしてもう少しDFと駆け引きしなければと考えていた時期でした。増田は真面目なヤツで、いつもDVDで広島の試合映像を見てたんですよね。スタッフが撮影したスタンドからの映像なんですけど、それを一緒に見ていたら、佐藤さとう寿人ひさとさんの動きを見て『これだ』って思ったんです。背丈も似ていたし、スピードにも自信はあったので、参考にできるな、と。映像を見て『あー、なるほどな』とか『そのタイミングで動き出せばいいのか』って思ってからは、寿人さんのような動きにトライするようになったんです。チームにはパサーも揃っていたので、DFの裏を狙うことばかりを考えるようになりました」

冒頭で器用なようで不器用と書いたのは、武藤が一つのことに集中してしまうからだ。DFとの駆け引きを身につけようとするあまり、前を向いて仕掛けることを忘れてしまい、監督からは「お前は器用な選手じゃないんだから無理するな」と言われたという。

だが、不器用なようで器用だと書いたのは、武藤がそれをものにしてしまうことができるからだ。

「寿人さんのDFの裏へ抜ける動きやDFとの駆け引きを自分も続けていったら、大学4年くらいになって、また結構ゴールを決められるようになったんです。そのときは、駆け引きしてDFの背後を取って決める形のものばかり。大学サッカーの雑誌に“ワンタッチゴーラー”って書かれたときは、思わず、『よしよしよし!』ってなりましたね(笑)。これは寿人さんに近づいてきている証拠なんじゃないかって。たぶん、大学の1年のときと4年のときのゴールを比較したら、全くゴールの取り方が違うんじゃないかと思います」


だからか、大学を卒業して仙台に加入したときも「寿人さんにプレーが似ていると言われたときはうれしかった」と素直に喜ぶ。

今や広島のエースストライカーとなった佐藤も、かつて仙台に所属し、そこで才能を開花させていた。当時の武藤からしてみれば、同じ道を歩んでいるような思いもあったのだろう。

「仙台のサポーターの方たちが、寿人さんの応援歌を僕に使ってくれました。サポーターのみなさんからプレースタイルが似ていると言われたときは、周りに認められてきたんじゃないか、少しずつ寿人さんに近づいているかもしれないって自信になりましたね」

当時、仙台は、カウンター主体のサッカーをしていたこと、また武藤自身がFWだけでなく、サイドハーフとしても出場する機会があったことから「DFの裏を狙うシーンもありましたけど、スルーパスがそれほど多くなかったので、『オレはドリブルもできる』と思っていましたし、仙台ではサイドからも積極的に仕掛けていましたね」と、振り返る。

FWとしてプレーすれば、DFと駆け引きして背後を狙い、サイドハーフとしてプレーすれば、ドリブルで突破を図る。本来の彼が持っていたもの、それを失いかけたことで新たに得たもの——結果的に武藤はどちらも自分の武器とした。


浦和でも示したストロングポイント

ただ、不器用さは今シーズン、浦和に加入したときも少しばかり顔を覗かせるから面白い。

「浦和でプレーするようになってまず思ったのは、攻撃する時間が本当に長いなってことですね。仙台のときは、基本的には守備から入って、カウンターを狙うようなサッカーだったので、常に自分たちでボールを保持して、自分たちから攻撃を仕掛けていくというサッカーは、これまで自分がやってきたサッカーとは違うなって思いました。ただ、前線の選手としては、それはものすごく楽しいですよね」

シーズン当初は、独特でもある浦和のサッカーに慣れようと必死だった。

「ミシャ(ペトロヴィッチ監督)のサッカーは、細かい戦術があるので、それこそキャンプのときは、何度も何度もプレーを止められて『武藤、そこは違う。今のはここに動くべきだった』って言われて。それの繰り返しで。それまでは大袈裟に言えば、状況に応じて好き勝手に動いていたところもあったので、考えるスピードを上げないとついていけなかったですね。もともと浦和でプレーしていた選手は当たり前のようにやっているんですけど、僕のような新加入選手が入るだけで、ワンテンポずれてプレーが止まってしまう。もう、心の中では『また、オレのせいでゲームの流れが止まっちゃったよ?』って思っていましたからね」

武藤曰く、開幕前の練習でミシャから指摘される回数が多かったのは、「圧倒的に僕かトシ(高木たかぎ俊幸としゆき)(笑)」だった。それでも「ミシャが繰り返しプレーを止めて、何度も説明してくれたのでありがたかった」と言うように、戦術を理解していくのに、それほど時間はかからなかった。

ただ、同時に悩みもあった。

「このサッカーの中でもプレーしていけるっていう手応えは徐々につかんでいたんですけど、今度はそればっかりにとらわれすぎてしまっていたんですよね。極端な言い方をすれば、浦和のサッカーをやるだけだったら、別に僕じゃなくてもいいのかなって感じたりもして。何か自分のストロングポイントというか、良さを出さなければ勝負できないなって思ったんです」

そんな武藤の胸中を察してか、救いの言葉をかけてくれたのが槙野まきの智章ともあきである。

「チームのサッカーに慣れようと頑張るのはいいけど、お前が前を向いて仕掛けなかったり、お前の良さが消えたりしたらもったいない。合わせようとするばかりでうまくいかない選手もたくさんいる。やっていれば、そのうち慣れるから」

キャンプで同部屋だった槙野が、武藤にアドバイスを送ったというエピソードは、有名な話になりつつあるが、これにより武藤が自分自身の良さを取り戻したのは事実だ。目の前が開けた武藤は、シーズンが開幕すると、スタメンの座をつかみ、特徴であるDFの背後を突く動きやクロスに走り込む動きによって、1stステージだけで8得点とゴールを量産した。


もう一つのストロングポイントで新境地を開くか

ただ、2ndステージでは5得点とゴール数が下降したのも事実である。武藤はそれをこう分析している。

「1stステージは特にクロスに飛び込むことで得点を重ねることができたんですけど、2ndステージに入ってからは、研究されていることもあるのか、ゴール数も減ってきてしまっている」

だからこそ、武藤はもう一つの武器で、新境地を開こうとしている。

「ミシャが掲げるサッカーは本当に判断が重要なので、さらにそこの精度は上げていきたい。それと、もう少しドリブルで仕掛けてもいいかなって思っているんですよね。浦和のサッカーはコンビネーションを重視しているのでパスが多いですけど、それができたうえで、タイミングよく一対一で仕掛けられたら、マークする相手もドリブルかパスかで迷うと思う。同じ形で得点を取り続けられるほど、Jリーグは甘くはないので、新たなバリエーションを作りたいなとは考えています」

今シーズンよりJ1は2ステージ制となり、チャンピオンシップが行われる。現行のレギュレーションで優勝を決めるのは初のことだ。1stステージで優勝した浦和、そして武藤は新たに頂点を目指すこの戦いに挑むことになる。

「まだ経験したことがないので、難しい試合になると思いますが、チャンピオンシップで勝たなければ優勝とは言えないですからね。浦和はシーズン途中に失速してしまったり、勝負どころで勝てないと言われているけど、それを覆したい。プレッシャーのある舞台でも浦和らしいサッカーを見せられればと思っています。注目される大会でもあるので、これだけ浦和は楽しいサッカーをしているんだっていうところを、たくさんの人に見せたいですね」

来るチャンピオンシップの舞台では、武藤の積極的なドリブル突破から、歓喜の瞬間が訪れるかもしれない。クロスに飛び込むプレーが対応されるのならば自らドリブルで仕掛ければいい。点で合わせるのがダメならば、自ら線を描けばいい。それはまるで、悩み、這い上がってきた武藤自身の軌跡のようでもある。

不器用でありながら器用であり、器用でありながら不器用でもある。だから、彼の成長は止まらないし、引き出しも増えていくのだろう。チャンピオンシップが終わったとき、周囲が抱く武藤の印象は再び変わっているかもしれない。(了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹



武藤雄樹(むとう・ゆうき)

1988年11月7日生まれ、神奈川県出身。浦和レッズ所属。FW。170cm/68kg。
2011年に加入したベガルタ仙台には4シーズン在籍したが、途中出場も多かった。だが、今シーズンより移籍した浦和レッズで得点を量産すると先発に定着。チームでは2列目のシャドーを務め、チャンスメイクおよびゴールを狙う。今夏には東アジアカップを戦う日本代表にも選出され、北朝鮮戦でデビュー。国際Aマッチ2試合出場2得点。