【一色まこと、初語り。】 『ピアノの森』創作秘話【インタビュー】

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インタビュー・文/加山竜司 写真/柏原力・松ノ木セブン

「読む人にとって作品は作者と関係ないところで存在していてほしい」が信条。
そのため、18年にわたる『ピアノの森』連載中はもちろん、2018年からのTVアニメ化に際しても作品について本誌では一切語ることのなかった一色まことが、ついにその重たすぎる口を開く。
ファンでなくても必読の、最初で最後のインタビュー。

『ピアノの森』一色まこと ※5月27日(水)まで3巻無料キャンペーン実施中!

森に捨てられたピアノをおもちゃ代わりにして育った少年・一ノ瀬海。”森の端”と呼ばれる過酷な街で育った彼が、師・阿字野壮介との運命的な出会いで音楽の才能を開花させ、ショパン・コンクールで世界に挑む姿を描く「モーニング」史上屈指の名作の一つ。2015年に完結。KC版全26巻、文庫版全18巻、どちらも大絶賛発売中です。

創作秘話1【はじまりは1枚のイラストだった】

——一色先生がショパン国際ピアノコンクール(以下、ショパンコンクール)に興味を抱いた経緯をお教えください。

一色:NHKで放映された『ショパンコンクール 若き挑戦者たちの20日間』を観たことがきっかけでした。1985年の第11回大会を扱ったドキュメンタリーで、この年はスタニスラフ・ブーニンが優勝しました。このときの彼は、他人を寄せつけないような、本当に神経質そうな人に見えたんです。他人のストイックなところは、普段はなかなか見る機会がないじゃないですか。彼は本当に小さい頃からピアノを練習してきて、ものすごく長い積み重ねのうえに、あの場に来ていたわけです。そのストイックさは本当に尊いものです。ブーニンの緊張感やプレッシャーが伝わってきて、こういう「一瞬にかけるストイックさ」をいつかマンガに描けないものだろうか、と思いました。

——『ピアノの森』は1998年に「ヤングマガジンアッパーズ」で連載を開始しました。そこまで温めていた企画、ということでしょうか?

一色:いえ、その番組を観たことは、すっかり忘れていました(笑)。『魚人荘から愛をこめて』(集英社「スーパージャンプ」連載)を描き終えて、次に何を描けばいいか迷っていたときに、当時の講談社の担当編集者から「なんでもいいから持ってきて」と言われて、イラストを3枚描いて打ち合わせに行ったんですよ。ひとつは「天の邪鬼で憎たらしい表情をしたガキ大将」、もうひとつは「バスケットボールをしている不良」、それから「ピアノを弾いている少年の横顔」の3点でした。すごく貧乏な少年が立ってピアノを弾いているイラストだったんですけど、「ピアノがいい」ということになったんです。それで最初に40ページくらいのネームを描いたときに、NHKのドキュメンタリーを観たことを思い出しました。そこではじめてショパンコンクールにつながったんですよ。

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インタビューで言及されたイラストは現在行方不明で、こちらがいま残っている一番古いイラスト。当初のタイトルは「茶色の小びん」だった。その後「森のピアノ」を経て雑誌掲載直前に『ピアノの森』へ。

 

——その40ページのネームというのは、現在の第1話とは違うものでしょうか?

一色:現在の第1話の内容も含まれてはいるのですが、だいたい2巻の途中くらいまでの内容を、ギュッと40ページに詰め込んだものでした。

——それは……相当ですね。

一色:新人の頃にあまりページ数をもらえなかったので、詰め込むのが癖になってました(笑)。それに、私は「これから連載を始めます」と作品を始めたことはないんですよ。だいたい「集中連載」で始まって、やっているうちに延びていくんです。

——短距離走のつもりが、途中からマラソンになるような感覚ですか?

一色:そうです、そうです。『ピアノの森』を始めるまではガラ・コンサート(授賞式後に開催される入賞者による演奏)があることも知らなかったので、ショパンコンクールに優勝してアンコールを弾いて終わり……みたいな、5話くらいの短い話にするつもりでした。 

創作秘話2【カイを優勝させたくて、必死に描いた】

——「ショパンコンクールに優勝する」というのは、最初に想定していたストーリーだったんですね?

一色:もちろんカイに優勝させたい気持ちはあったけれど、でも優勝にふさわしいピアノを弾かせることができなければ、授賞式で「カイ・イチノセ」の名前があがったときに納得してもらえないと思っていました。読んだ人が「うっそー」と感じたらアウトなので、みんなにカイの優勝を喜んでもらえなければ、と。そればっかり考えていました。

——予定調和になってしまう?

一色:そうですね。だから、カイとパン・ウェイとレフ・シマノフスキに争わせて、誰が勝つかわからないような展開にしたかったんです。

——演奏はパン、カイ、レフの順番でした。

一色:パンを描いているときには、彼を優勝させるつもりで描いたんです。みんなに「パンが優勝だよね」と思ってもらわないと。そのうえで、それを上回る演奏シーンを描けなければ、カイを優勝させられないと思ったんです。

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自らの苛烈な生い立ちに捉われ続けたパンはファイナルの演奏で新しい自分の音楽と出会う。

 

——納得のいくピアノ演奏シーンが描けなければ、結末が変わっていた可能性も?

一色:だから必死でした。カイに優勝させたかったから。でもその前段階として、パン・ウェイを応援してもらわなければならない。そのためには回想シーンも入れて、小さい頃の苦労話もして……。彼の過去は「いつの時代の話だよ」と言われたりもしましたけれど(笑)、でもいろいろな資料を調べたなかでは、あれでもマイルドにしたほうなんですよね。本当にパンはピアノに必死で、彼の(劇中での)存在感がかなり大きくなっていったように思います。私も全力で描いていたから、最後には「これでパンを優勝させられるな」と思えるようになりました。

——そのパン・ウェイを上回らなければならなかった、と。

一色:そこが最大の目標でした。だからカイの演奏と授賞式を描き終えたときに、気が抜けたというか……。これ以上の盛り上がりを描けるのだろうかと、悩んじゃいました。ただ、最後にまだ残っている仕事があったんです。

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誰もが優勝と確信したパンの演奏を、カイはその自由な演奏で凌駕していく。

 

——それが最終巻の最後のサントリーホールでのコンサートですね。さまざまな物語的な意味合いが付与されましたが、「優勝してアンコールを弾く」という当初の構想に到達したようにも思えます。

一色:実は阿字野を物語の途中で死なせることを考えたこともあります。最後にカイがアンコールを弾いているときに、幻のように現れる……と。でも、描いているうちに、阿字野がどういう人間なのかわかってきたようなところがありました。それに読者に、そういうことを期待されていないようにも思えて、それであのようなラストになりました。ラストを書くためにサントリーホールに行ったんですが、その時の人混みの中に、本当にカイと阿字野が存在しているんじゃないかと、今にもこの場に現れて私を驚かすんじゃないかと、そんな錯覚さえしました。時が一瞬止まったような、すごく不思議な、幸せな瞬間でした。

創作秘話3【下田先生との運命の(気まずい)出会い】

——作品の途中から下田幸二先生が音楽監修につくようになりました。下田先生との出会いをお教えください。

一色:2005年に第15回のショパン・コンクールを取材に行ったときです。観客席で演奏を聞きながらいろいろな場面をスケッチしていたところ、ふと隣を見ると、ウトウトしている人がいたんです。その様子をスケッチしていたら……、いま考えるとものすごく失礼な話ですよね(笑)。そうしたら、休憩時間に雑誌社の方から「こちらが下田先生です」とご紹介されて……。

——それは気まずいですね(笑)。

一色:それから私がメールでしつこく質問するようになったんですよ。ちょうど休載しているときだったので、下田先生との出会いがなければ『ピアノの森』は完走できなかったと思います。大きかったのは、下田先生に作ってもらったプログラム(演奏曲)です。カイっぽい曲はどれか、パン・ウェイには何を弾かせればいいのか。何を組み合わせればいいのか、どうすればリアルになるのか、自分では決められなかったので本当に助かりました。ショパン・コンクールの各賞(ポロネーズ賞、マズルカ賞、コンチェルト賞、ソナタ賞)の受賞者を決める際にも、誰にどの賞をあげればいいか、現実のコンクールの傾向を教えてもらったり、「カイだったらこれとこれは獲るんじゃないか」と登場人物のキャラクターに沿ったアドバイスもしてもらったりしました。教わったことは、ここでは話しきれないほどです。

【音楽監修・下田幸二】
音楽評論家・ピアニスト。教え子を多数ショパンコンクールに送り出してきた名ピアノ指導者だが、実は漫画の熱心な読者であり、一色氏や担当編集と会うと最近面白かった漫画の話で盛り上がる。ちなみに現在すごく読みたいのは『ピアノの森』の続編(笑)。音楽監修だけでなく、取材時には一色氏を連れてワルシャワ市内を案内するなど作品を支え続けた。現在、桐朋学園音楽部門、相愛大学音楽学部、フェリス女学院大学音楽学部各講師。

 

コラム【『ピアノの森』続編の可能性は?】

一色:あの流れだと、誉子は次のショパンコンクールにチャレンジすると思うけど、そのとき雨宮修平はどうするんだろう? もう一回チャレンジするとは思えないし、誉子のサポートに回るなら、友情とも愛情ともとれないような二人の関係を描きたいですね。でも、下田先生に言わせると、コンクール直後に「これが最後だ」と思っても、次の大会までの5年のあいだに「やっぱりもう一度」と思う人が多いそうですし……。向井君の話も描けそうです。いろいろと想像は膨らみますけど、私は複数の作品を同時に描くことはできないので、いつか機会があれば……ですね。 

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一色氏が長年使っているデスク。この雑然とした机の上で作品が生まれていく。

創作秘話4【一色まことにとっての「森」】

 ——いよいよ新連載が始まります。前作『ピアノの森』とはうってかわって、今作『レディ・ロウと7日の森』はファンタジーですが、今作でも冒頭から「森」が登場します。一色先生にとって「森」はどのような場所でしょうか?

一色:小さい頃、自宅の隣に森があって、そのまた隣がお寺で、その先に幼稚園がありました。幼稚園に行くには森を突っ切っていくと近道なんですけど、当時はまだ野良犬が普通にいた時代で、森にも野良犬が多かったんですよ。うちの親は私の両手にひとつずつ石を持たせて「野良犬が近寄ってきたら石を投げて追い払え」と言うんです。まだ3歳ですよ! でも、森にいる野良犬は捨てられた可哀想な犬で、寂しいから寄ってくるのであって、悪い犬ではないから決して石を当ててはいけない、手前に投げて追っ払え、と。その印象が強いので、私にとって「森」は怖い存在でしかないです。

——では童話で森が出てくると……。

一色:怖かったですね、どんな話でも。森は生気がみなぎっていて森林浴は気持ちがいい……というイメージは、私の中にはないです。「素敵な森」は、憧れですね(笑)。

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新作の森は「ピアノ」とはまた違った雰囲気。「7日の森」と呼ばれるこの森にはどんな秘密が…?

 

——新連載を控えたいまの心境は?

一色:運動会の徒競走で、自分の順番を待っているときのような心持ちです。走り出してしまえば何も考えないんでしょうけど、いまがいちばん苦しい時期かもしれません。

——最後に「モーニング」の読者に向けてコメントをお願いします。

一色:私は小さい頃からいい大人になるまで、何か困るたびに「魔法で解決できたらいいのに…」と本気で考えるようなヤバイやつでした。この度の新しいチャレンジに、持てるすべての力で挑もうと思いますが、やっぱりどこかで「魔法で解決できたらいいのに…」と祈る気持ちもあります。のっけからヤバイです。でもがんばりますので、どうかお付き合いくださると嬉しいです。(了)

※この記事はモーニング2020年21・22合併号に掲載されたものです。 

 

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