コミックDAYSインタビューシリーズ
第2回 「松浦だるま」(3)
取材:構成=木村俊介
幼少期、漫画家を目指すきっかけ、傑作の誕生秘話──。
なかなか表に出てこない漫画家の真の姿に、かかわりの深い担当編集と共に迫る。
漫画家──松浦だるま 作品に『累』『誘』など
編集者──永尾拓也 二代目担当編集者
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第3回 心に「かする」ために、全力で描ききる
担当編集を引き継ぐ時期を、どう乗り越えたのか……?
松浦だるま 担当さんが替わって半年ぐらいの間、物語でもたいへんな場面を扱っていたこともあり、なかなか厳しい状況が続きました。精神的に自分を支えるものが、どうも、ぐらぐらしているかのようで。
途中、少し、実写での映画化(土屋太鳳と芳根京子によるダブル主演で、2018年9月より全国公開予定)が決定することにすがっていた面も、正直に言えばありました。映画化は提案があってもいろんな人の関わるものだから、途中まで進んでも企画が実現しないことが多い、とは聞いていたのですが。
実際に撮影がはじまることになって……決まって欲しかったから、ありがたかったんですよね。そういうことなんかもあって、だんだん「時間が解決する」というように、精神的には状況も良くなっていったのかなぁ。
永尾拓也(二代目担当編集者) 松浦さんは制作日程の余裕をストックしていたんですが、2017年の春ごろには、その貯金がほぼなくなりかけたほど苦しまれていました。
松浦 「イブニング」での連載ですから、2週間に1回掲載されるわけです。しかし、その時期にはネームを描くだけでも2週間まるごとかかっていたこともありました。やばかったんです。しかも、その時は、20ページすべてがボツになった……というはじめての体験もしました。
これも、だからいやだとか、悔しいとかいう話でもなく、本当に「うん、自分でも、これではだめだとわかっている」と感じて受けいれていました。少し、呆然としていた時期でもありましたね。
『累』の物語の中でも、主人公が「もう演じることはできないのではないか」という厳しい状況が来るのだけど、私自身も「もう描けないんじゃないか」なんて同じように感じてしまう時もあった。
最終的には、やっぱりさっき言ったように時間が経つ中でものごとが解決した面もあるし、あとは、なんといっても「この物語の続きを最後まで描ききりたい」という気持ちが前に出てきたのかなぁ、と思います。
永尾 20ページすべてボツになったのは、これまででも「はじめて」だったんですね……。じつは、僕は前担当時代の話を、あえて、ほとんど聞かないようにしていたんです。その人は僕が新人の時代に鍛えてもらった編集者だから、あの人のようになれないという「すごさ」はわかっている。自分に厳しいからこそ、編集者としての仕事をぴっちりされるタイプの方なんです。
マネをしてもやりきれないし、マネをする劣化コピーなら「前の担当編集者よりも充分ではない状態」にしか過ぎなくもなる。だから、これから松浦さんと築いていくやり方で仕事を組み立てていこう、と考えて引き継がせてもらったんです。
松浦 ふたりの担当さんに共通しているのは、「私がなにを描きたいのか」を優先して考えてくださるところです。自由にやらせてくださるところとも言えるかもしれません。打ち合わせの時に投げかけてくださる、作品を展開させていくうえで参考になるようなアイデアについては、それぞれ方向性がちがうのは、おもしろいですね。
永尾さんは、絵が浮かんでくるようなアイデアを出してくださる。前の担当さんは、こちらの考えが固くなっている時に、作品の中の世界を理屈の面でも深めるようなアイデアを出してくださるという印象がある。おふたりとも、作品をしっかり理解してくださっていて。
永尾 担当編集者として、僕が個人的にすごく入りやすかったのは、松浦さんと面識があったからなんですよね。新人賞の授賞式でもお目にかかっていました。そのあと、年末の交流会にもいらしていたんです。
当時の僕の直属の上司である前の担当が、その交流会でほかの多くの先生がたへの対応で忙しくなる時などには、まだ社会人1年目だった僕が松浦さんと話すことにもなった。たしか、その交流会の2次会でもわりと長くお話をさせてもらったような記憶があるんです。そんな中で、連載を決めるネームコンペに出された時から、作品はリアルタイムで見てきましたから。
ネームコンペに出した時には、すんなり決まったわけではなく、いろんな意見があったようです。僕はたまたま別の打ち合わせがあってコンペに出れなかったんですが、編集部に戻ったら当時の担当がものすごく怒っていて……。
前担当とは「指導社員」としてコンビを組ませてもらい、いろいろな指導を受けてきました。なかば生活を共にするようなところもあるから、黙っていても「うわぁ、すげぇ怒っているなぁ」というのが、手に取るようにわかるんです。これは、やばい。なにが起きたんだろう、と。
そういう中で、「読んでみて」と渡されたのがコンペに出された『累』のネームでした。読んだら、おもしろい。……あ、たぶん、この作品を会議で否定されたんだろうなぁ、とも想像できたわけです。
実際に、とてもおもしろかったので「おもしろかったです!」と即答したんですけど、雰囲気的にも、もちろん「これはだめですね」なんて言えるような状況ではなかった(笑)。先輩は「……だろ?」「わけわかんねぇこと言われたわ……」「意味ねぇわ……」と怒りながらブツブツ小声でつぶやいていて……(笑)。
松浦 「意味ねぇわ……」(笑)。たしか、そのコンペのあと「重箱の隅をつつくようなことばかり言われたけれど、気にしなくていいから」と言ってもらいました。
永尾 先輩はあきらめないで、編集長に直談判して、やや強引にでも、ほとんど直さないで通したんですよね。それで連載がはじまり、縁あって僕が担当を引き継ぐことになりました。
松浦 後任の担当さんについての希望は訊かれたような気がします。永尾さんがいいとも伝えたんじゃないかなぁ。はじめに、「男性編集者と女性編集者はどちらがいいですか」と訊かれたのを覚えています。私自身は女性で、青年漫画誌に載せる作品を考えるうえでは男性の観点も欲しいので、「可能ならば男性編集者がいいです」と答えたんですけどね。
永尾 どう進めたらいいかは、松浦さんにじかに訊ねて相談して決めていきました。「電話は欲しいです」ということなので、電話連絡をし続けて、今のように密にやりとりをするスタイルに至るという感じですよね。それで、1年ほどが経ちました。
場面を省略するのが漫画、隙間に足して記すのが小説
永尾 松浦さんは、『誘(いざな)』という、いわば『累』の主人公の母親にあたる人物を描いた小説も出版されていますよね。スピンオフ小説を連載漫画家がみずから書くのも、担当になる前から「すごいなぁ」と思っていました。
※松浦氏が自ら手掛けた小説『誘』では、『累』の前日譚が書かれた。
松浦 漫画を描きながら小説も記すのは、おたがいに影響しあって刺激的だったんです。小説ははじめて書いたので、いま読んだら、ややつたなさも感じます。でも、小説を書いたからこそ漫画向きの話と小説向きの話があるなと実感したんです。
『誘』で書いた話は、漫画にはしづらい。『累』は、小説で記すより漫画で描くほうがおもしろい。そういう中で、小説でこそ展開できる物語を深めたんです。
漫画と小説では、なにが違うのかと言うと……あくまでも個人的な感覚でそう思うのですが、漫画って基本的には「省略」で展開を見せるんですよね。ほとんどは言葉よりも「目に見えるもの」のスピード感や、テンポのいいコマ割りと絵で物語を伝えねばならない。考えた場面のうちの8割ぐらいは削らなければならない、という感覚があります。
でも、小説は、書いてみての印象で言えば、むしろ削るよりも、言葉の表現をどんどん足していくことで全体ができあがっていく、というように感じました。だから、ぜんぜん違う方向性の物語を書くことにもなる。そう感じられたので、おもしろかったですね。
もちろん、本来の目的である「漫画の中の背景をより確固たるものにしていく」ということも、漫画よりも過去の物語を書くことを通してできました。小説のために資料をたくさん読み込んで、のちに漫画のアイデアのもとになるような刺激ももらいまして。小説を通して勉強したという感じです。
永尾 いろんな刺激を自分に取り入れようという姿勢があるからだと思いますが、松浦さんが打ち合わせを喜んでしてくださっているのは、編集者としてうれしく思っています。
松浦 私は、かつては自分の作品は人に見てもらえるほどの価値などないと思ってたんです。だから、笑われる危険だってある自分の空想を、まじめに一緒に考えてもらえるプロセスが、そもそも、やばいぐらいにうれしい。
新人の頃はプロットというものがよくわからず、稚拙な落書きのような段階の絵の横に軽くあらすじを記したものしか出せなかったけど、それも含めて案を出して編集者さんと話してきて良かったなと思います。
「この人は私を馬鹿にしないな」という編集者の方に出会えたのは、人生でもうれしい出来事でした。すごく悩んで仕事が停滞した頃、初代の担当さんが「そんなんじゃあ、作品がかわいそうだ」と言ってくださったことなんて、当時、ばれないように泣いたほど、うれしい言葉でしたから。
世の中には「大人になってもやりたいことをやれる人は、ほとんどいない」という考え方もあるとはわかっています。現実的にも、そうかもしれないなと思います。私も、漫画家になれていなかったら路頭に迷っている自分がありありとイメージできるから、こわいことなんですよね。
でも、だからこそ、運良く縁をいただいて漫画を描くという仕事をやれるうちは、たとえば「つらい現実に耐えながら、その合間に漫画を読んでくれているような人たち」の心にだって、ちょっとでもいいから「かする」ような作品を描きたいなと思います。
読者と作者は、本質的にすれちがうものだとは感じるんです。読者は、原作者が「こんな細かいところ、読者にはばれないだろうから、こんなもんでいいだろう」なんて気持ちで描いた内容を見破ってしまうほど鋭い存在ですよね。
でも、一方で、あまりに自分よりも「上」の存在として想像したら、今度は内容を理解してくださらない。下に考えたら上に来て、上に考えたら下に来る、思い通りにいかない存在なんですね。だから、とにかく読者のみなさんのことは絶対に馬鹿にせず、手塚治虫先生のように、誰に対しても本気の、同じ目線で漫画を描き続けるしかないと思います。
ファンレターもいただくんです。昔にいじめられていた方や容姿について悩んでいた方も、真剣に読んでくださる。絶対に手を抜けません。だから「アイデアを寝かせよう」とか「力を温存しておこう」とかいうのはだめで、燃え尽きてもいい、ぐらいの全力でいかないと、悔いが残るだろうと思います。読者の心には「かすったらいいほう」なので、「かする」ためにも全力で描こう、と。
表現は、100パーセント伝わるものではありませんよね。むしろ、99パーセントは伝わらないぐらいでしょう。だからこそ「かする」ことぐらいまでは持っていかなければ。表現を人に届けることは、不可能に近いものだからこそ、全力でやらなければ届かない……でも、全力でやったら、届くかもしれないんですよね。
周囲にはすばらしい人たちが私の漫画を支えてくださっているので、頑張らないと。アシスタントで、小林銅蟲先生と霧隠サブロー先生のような方々が職場に来てくださったのは、なんて幸せなことかと感じているんです。
キャリアはおふたりのほうが長くて、『累』のアシスタント業務という点だけで言えば私は雇い主ではあるけど、私はそれよりもまずは、おふたりのファンですからね。Twitterでお付き合いしている方全体の中でも、おふたりは私にとっては「やばい人ランキング」ぶっちぎりのツートップなんです(笑)。
『累』の連載をはじめるにあたり、アシスタントとしての作画能力を持ちながら、うちに勤務可能な距離におられるのが、たまたまそのおふたりでした。ありがたいことに、すばらしい線で『累』を彩ってくださっています。アシスタントとしての能力もすばらしい。もちろん、それぞれ描かれている、振り切りすぎた作品もすごすぎる。ほかにも来てくださるアシスタントの方たちが、どんどんおふたりの雰囲気に染まっていくのも、またいい感じで……(笑)。今は、そんな環境で仕事を続けているところです。
(おわり)