40'sランドスケープ~40歳の景色~ インタビュー【小泉今日子】

モーニング40周年を記念して各界の著名人が40歳の自分を振り返るインタビューシリーズ、第6回は、16歳でアイドルとしてデビューし、今年モーニングと同じく40周年を迎えた小泉今日子が登場。常に何かを「発明」し、楽しみながら走ってきたキョンキョンから次世代への熱きエール。

モーニング40周年を記念して各界の著名人が40歳の自分を振り返るインタビューシリーズ、第6回は、16歳でアイドルとしてデビューし、今年モーニングと同じく40周年を迎えた小泉今日子が登場。常に何かを「発明」し、楽しみながら走ってきたキョンキョンから次世代への熱きエール。
(取材・文:門倉紫麻 写真:柏原力 ヘアメイク:石田あゆみ)

※この記事はモーニング36・37合併号に掲載されたインタビューのフルバージョンです。

39歳の年末に鼻血がターッと出た

 

 「人生折り返しだね、っていろんな人に言われたんですよ」

 40歳の頃の話を、と言われて真っ先に浮かんだのはそのことだという。

 「わりとよく言われることではあるから、『ですね』で終わらせることもできたんですけど、私は『折り返すってこういうことだよね?』と、来た道を戻るところを頭の中で絵にしてみたんです。そうしたら『知っている道を通るということか。それなら怖くない』と思えたし、行きでは気がつかなかったものを見つけながら歩くのは楽しそうだと思いました。その道をこれから一緒に歩んでいく仲間としての意識をみんなで持てたらなと思って、40代最初に出すアルバムのタイトルは『ナイス・ミドル』にしました。中年の星になろう、というテーマです」

 知っている道であると同時に“初めて”を経験する楽しさもあることにも気づいた。

 「40代になると老眼とか白髪とか老化という言葉で表されるものがやってくる。だけどそれって、初めて体験することがまだまだあるっていうことでもありますよね。死ぬ時が完成だと考えたら、老化じゃなくて進化じゃん! と。そうすると『これが老眼か!』とか思えて、ちょっと楽しくなる(笑)。私はよく“アンチ・アンチエイジング”って言っていたんですが、面白いことなのに抗ってしまったら勿体ないよなあと。年相応を楽しむ方が健全だなと思いました」

 生き生きとそう話すが、この考えに至る前までは、40歳になることが「少し怖かった」のだという。

 「だから39歳の年末は、友達に誘われたら全部に行くようにしたんです。普段はそんなに飲みに行ったりしないのに、朝まで飲んで、次の日もまた行くみたいな耐久レースを続けていて。そうしたら12月30日に友達がやっているバーで、鼻血がターッと出た(笑)。ティッシュを鼻に突っ込んでまたお酒を飲んだんですけど、その時に『そうだ、私はこんな人間だったじゃん! 40代もまだまだいけそうだな』と思ったんですよ。もともと、節目が来るたびに『こういうふうに生きていこう』ときちんと考えて言葉にしてきたタイプなんです。自分と向き合う時間を作ってきた。でも40代になる時は、ちゃんと向き合っていなかった。だから怖かったんだと思う。でも鼻血を出したことで『そんなに向き合おうとしなくてもいいや!』と思えて。そう思った途端、さっき言った『人生折り返し』とか『ナイス・ミドル』とか、いろんなプランがダダダーッと降りてきました」

2008年、アルバム『Nice Middle』リリース時の写真。

 

“発明”はいろんなところにある

 

 10代の頃から、節目は意識してきた。

 「16歳の時は原チャリの免許、18歳になったら車の免許が取れるな、20歳になったらお酒もタバコも解禁! みたいなことを考えていて。その全部を味わいたかった。16歳の時はもう仕事をしていたので原チャリの免許は取れなかったですけど、車の免許は18歳になってすぐに取りました。あとは25歳の時に、初めて自分でブランド物のバッグを買う、とか。そうやって1個ずつ、大人になることを自分の中で許していくような感覚なのかもしれませんね」

 なんとなく、ではなく自分で許していく、というのは面白い。

 「髪の毛もずっと染めていなかったんですが、30代になって、『逆にいいかも?』と金髪とかいろんな色を試すようになりました。もし20代の時に役や曲で必要があれば染めていたと思うんですけど、そういうこととは違って……仕事をしている人は誰でもそうだと思うんですけど、仕事をしている時間と、1人の人間としての時間とが並行して自分の中にある。免許を取るとか髪を染めるみたいなことは、人間としての時間で私が楽しむためのもので、それをちゃんと取っておいた、という感じでした」

 スターで居続けるうちに、多忙さゆえに2つの時間の境目がなくなってしまうこともありそうだが、小泉は「人間としての時間」を持てていたのだ。

 「境目がなくなってつらそうな人も、たくさん見た気はしますね。私は家族とか友達とか、周りの大人たちにも恵まれたんでしょうかね。割と普通に過ごせていました」

 恵まれたというより、小泉が常に自分で考え、そのように行動したからこそ得られた時間だろう。

 「確かに1人でいろんなことを考える時間がすごく好きなんですよね……順序立てて、整理された状態で考えたりするのは苦手なんですけど、本を読んだり、好きなものを見ている時に、空想に入っていって、何かに気づくことがよくあります。あと『人生折り返し』みたいなキーワードをもらうことで、考えが一気に広がる。言葉は重要なものだと思っているので、聞き流さないようにしたいです。『今、どういう意味で言ったんだろう?』と自分で考えてみると、発明があるかもしれないですよね」

 発見や気づきなどではなく「発明」と言う言葉を選ぶことからも、言葉を重視していることがわかる。

 「言葉自体も発明だと思うし、新しい言葉とか造語もどんどん生まれている。発明って、いろんなところにありますよね。何百年も前に音符を組み合わせて音楽にしたのも発明だし、コード進行も発明だし……」

 アーティストらしく音楽に話を広げつつ「家族を築くことの中にも、発明はたくさんあると思うんですよ。喧嘩しないためにはこうするとか、寝坊しちゃった時のお弁当はこれとか」とまたぐっと日常に戻した。

 「自分なりの発明を、みんなしているんだと思います」

 

50代で、言葉と仲良くなれた

 

 そうして訪れた40代は、映画やドラマだけでなく舞台への出演を増やすなど意欲的に過ごした。40代最後の年には制作会社「明後日」を立ち上げ、プロデュース業にも本格的に力を入れ始める。

 「40代になると、経験値と今立っている場所とがしっくり来始めるんだなと思いました。50代になると──私は今56歳なんですけど、今度は言葉と仲良くなれる感覚があって、それがすごく楽しい。昔は自分が今感じていることを表す言葉を見つけられなかったり、たくさんの言葉で説明しないといけなかったりしたのが、さっきの“発明”もそうなんですけど、端的にパン! と言えるようになりました。ちょっと難しい言葉を使っても背伸びしているようには見えないし、逆に若い人たちが楽しんでいる言葉を使ったら『おばさん、かわいい』みたいなことにもできるし、いろいろ便利だなと思う(笑)」

 20代の頃から媒体を変えながら書き続けてきたエッセイを順番に読むと、まさしく言葉は端的になり、洗練されていくのがわかる。

 「結構鍛えられました。最初の連載『パンダのanan』の時はまだ20代でしたからね。『原宿百景』(単行本化にあたって『黄色いマンション 黒い猫』に改題)は長い連載(41歳から約9年)だったので、毎回自分なりにどうアプローチするかを考えて書きました。回によって一人称を変えたりしたので、読んでいて不思議な気分になると言われましたね。16歳の私が一人称の時は小説ってこういうふうに書くのかなあと思ったりしました。読売新聞の書評も選ぶ本によって、文体は変えていて。あれも(39歳から)9年間やっていましたからね。いろんなことを、試しながら遊んでいたんだと思います。それがいつのまにか鍛錬になっていた」

 

苦しいと思ったら、横を見てみ?
私も走ってるから!

 

 16歳でデビューしてから、今年で40年。スターとして40歳になったということだ。40歳のスター・小泉今日子の姿は、デビュー時に想像していたものと近いのだろうか。  

 「どうでしょうね……長くやるなんて想像していなかったし、理想像を自分で作っていたわけでもないので。でも40周年の全国ツアーをやってみたら改めて気づいたことがあったんです。私の仕事は、時間を共にする人たちがどれだけいるか、ということにかかっているんだなと。ツアー中、私にも、ファンの方にも『あの頃は良かったね』っていうしみじみした感じが一切なかったんですよ。『私は今ここに立ってるよ!』『俺はここだよ!』みたいなものを、お互いに確認できる時間だった。ファンの方たちと長く時間を共にしてきて、そういう関係性はずっと変わっていないんだな、なんかいいなあと思いました。
 10代、20代の女の子たちと古参の人たちとが感謝し合っていたりもして。古参の人は『若いのにキョンキョンの良さがわかってくれて嬉しい。センスいいね!』という感じで、若い人たちは『古参の人たちがずっと小泉さんを応援して支えてくれたから、私たちも出会うことができました!』という感じ(笑)。素敵な循環が生まれていて、私はその中心でファンの方たちに友情を感じている。これが思い描いていた姿かどうかはわからないけど、私はずっとファンの方と並走しているんだなと思います。『ちょっと苦しいと思ったら、横を見てみ? 私も走ってるから!』みたいな」

 さらに続けて、ファンへの思いをこう語る。

 「私にとってファンの方との関係って、1対何千とか何万ではなくて1対1なんですよ。SNSでは結構直接やりとりをしているんですが、嫌なことを言ってくる人には怒るし、わがままを言ってくる人にはわがままだって言う。1対1の関係だったら、そうなりますよね。高校生が学校のことを報告してきたり、毎日のご飯の写真を送ってきてくれたりするのも楽しい。『キョンキョン、あのテレビ観た?』とか送ってくる子もいるんですけど『キョンキョンはね、大人だからそういうのは観ないんだよ』と返したりもします(笑)」

 筆者と同じく“キョンキョン”を見続けてきた編集者が「とても今っぽいですね。そこまで労力をかけなくてもスターに手が届くというか……」と言うと「それも面白いんですよね」と笑う。

 「この傾向はたぶん、この先も変わらない。だったらパーンと開放した方が面白いんじゃないかなと。みんなが見ている状況になるので、逆にあまり怖いことは起こらないとも思うし。またそれで発明ができるかもしれませんしね」

 

自分のために物を作ったことは一度もない

 

 デビュー40周年の企画も、アイデア出しの段階からすべて自分で行った。その際に大きな刺激となったのは、コロナ禍でファンになったというK-POP、特にBTSのステージだったという。

 「演出プランがするする出てきました(笑)。アイドル、スターと呼ばれる人を好きになったのは中学生以来で、ファンクラブに入ったのは初めて。『ファンは何が嬉しいのか』がわかるようになったことがとてもよかった。彼らから教わっていることがいっぱいあります」

 筆者もBTSのファンだと告げると、最近の彼らの姿について具体的に触れながら「ずっと、人間として私たちの前に立っていてくれますよね。もちろん私は彼らには全然及ばないですが、私もさっき話したように1対1でファンの方の前に立ってきたとは思っているので……彼らの気持ちがよくわかる場面もあったりします」

 ファンを経験したことで、40周年のステージに実際立った時とは違う風景が見えたり、違う感情がわいたりはしたのだろうか。

 「違うものはなかったんです。ホールツアー自体が30年ぶりぐらいだったんですが、BTSのステージをたくさん観ることで、イメトレができていたんだと思う(笑)。自分がステージに立った瞬間、それまでステージ上の彼らを映していたカメラのレンズが、ギュウン! と回転して、今度は私の目から見た客席を映した、というか。それでステージに立つ感覚を全部思い出しました。『来た!』という感じでしたね」

 自分のいる場所が客席からステージに変わった瞬間を、こんなふうに味わい、こんなふうに鮮やかに表現できるのは、小泉今日子しかいないだろう。
 40周年企画の1つとして作られた、80年代のヒット曲『夏のタイムマシーン1982-2022』の映像も、小泉がK-POPから得たアイデアで作られたのだという。

 「TikTokで、子ども時代から今に至るまでのK-POPアイドルの写真を、モーフィングで繋げているものをよく見ていて。私には40年分の莫大な量の写真があるので(笑)、これは絶対やりたいと思っていました」

 曲に乗せてどんどん変わっていく小泉の姿を見ていると、なぜか胸がつまって涙が出そうになる。

 「今回のライブで流した時も、みんな『理由がわからないけど泣いた』って言ってくれたんですよね。自分の時間と重なったからなのかなあ」

 小泉自身も、その映像を観てぐっときたのか、と問うと「ぐっとはこないです」ときっぱり言う。

 「あの写真はここに使ったほうがいいんじゃないか? とか作るほうに集中しているので。40年頑張ったよね、みたいなことでは泣けないんです。でも作ったものを見て泣く人がいたりすると、ぐっとくる。自分のためには物を作っていない。商品ですからね」

 アイドル時代から、自らを“商品”だと明言し、自己プロデュースを続けてきた。

 「受け取る人のためにしか作りません。映画や舞台の劇場の規模によって作るものは変わるし、40周年のステージと今やっている『黒猫同盟』っていうユニットのステージでも変わってくる。でも全部、受け取る人のためにやっていることは変わらない。何をやったら喜んでくれるかな? こういうの好きかな? とその時々で考えます」

 自分のために何かを作ったことは一度もないのだろうか?

 「ないですね。やりたいことなんてないもんなあ。早く家に帰りたいとか、寝っ転がって韓国ドラマの続きが観たいなとか、それくらい(笑)。それはちゃんとやれているしね」

 

“お節介なおばさん”でいたい

 

 取材中、若いファンについて多く言及しており、次世代への思いが強く感じられる。50歳の時には、雑誌のインタビューでこんなふうに話していた。

 〈社会の中で何かを残すとしたら、あと10年だと思っていて。(中略)あとから歩いてくる人たちが歩きやすいような道を整えたいと思いますね〉

 「子どもを持たなかった自分の人生について考えたことがあるんだと思います。別の形で、未来を担う若い人や子供たちには還元していかなきゃいけないなと思っていて。子供にはいろんな大人が必要だと思うので、それなら自分にもできることがあるだろうと。私、叔母という立場は40年くらいやっていて、プロなんですよ(笑)。親には話せないけど親戚のお姉さんには話せたとか、こう言ってもらって嬉しかった、みたいな経験ってありますよね。私がそうなれたらと思うし、若いファンの方たちに対しても同じような気持ちがあります。
 私が10代の頃に原宿で撮った写真を見て、同じ場所で同じような服を着て写真を撮って見せてくれたりするんですよ。それだけでも、私はその子の一瞬の楽しさの役に立っているのかな、と思えてうれしいんです。“お節介なおばさん”でいたい気持ちがある。そういう気持ちで歩いてるからか、人から道を聞かれることも多いし、自分から困っている人に声をかけることもある。一日一善みたいな(笑)。偽善的だと思われるかもしれないですが、自分も嬉しくなるし、その人も嬉しくなるならやりたいと思う。そうやって貯金箱がいっぱいになったら、ちょっといいことが自分にも起こるかな? って思いますしね。あ、『天才柳沢教授の生活』ってモーニングの連載でしたよね? 教授は、道路では必ず横断歩道を渡る、みたいなことをしていたと思うんですが、それを見て私も真似しようと思ったところもあります(笑)」

 

その時々の、自分なりの楽しいことがいっぱいある

 

 話が漫画に移ったところで「これは余談なんですけど」と『ドカベン』の話が始まる。

 「(主人公の)山田太郎は、電車の中ではつり革につかまらずにかかとを上げて体幹を鍛えて、通過駅の駅名を読んで動体視力を鍛えているんですよ。それを見て、中学生の時は私もずっとやっていました(笑)」

 いい話から急にかわいくて面白い話に移行して、思わず笑ってしまう。

 「さっきの横断歩道を渡る、とかもそうなんですけど1人で何かしていると、楽しくて。春に若葉が出てきたら触るとか。若葉ってしっとりして、柔らかくて、赤ちゃんみたいなんです。私はまったく寂しがり屋ではないと思う。その時々の、自分なりの楽しいことがいっぱいあって。真顔で黙っている時も、実は私の中ではめちゃくちゃ楽しいことが起こっている可能性がある(笑)」

 そういえば、取材前には撮影現場に生えていた葉っぱを触って「気持ちいい!」と笑っていた。取材終了後も、荷物を取りに控室に戻る道中から、帰りのエレベーターが閉まる瞬間まで、小泉は話すのを止めなかった。筆者には「誰ペン(誰のファン)なんですか?」とBTSの話を振ってくれ、つい前のめりで話してしまう。控室にあった袋菓子を見て「懐かしい……この和菓子、大好きだったんです。今こんなに小さいのがあるんですね」と手に取って眺め、近くにあったレジ袋をたたみ始める。慌てて止めると「制作の仕事をやっているので、癖でたたんでしまう」と笑い、編集者には「今モーニングで一番人気のある作品は何ですか?」と尋ね「ドラマ化もされているんですねえ」と頷き、そこから韓国ドラマの話になる。

 取材陣への気遣いからだと片付けるにはあまりにも自然で、小泉が常にこうして目の前にあるものに興味を抱き「楽しいこと」を発明したり、プロデュース業にも取り入れたりしているのだということが垣間見える。
 葉っぱを触るのが楽しい、と聞いた編集者が「小泉さんは、本当に発明家ですよね。視点を変えればこんなに楽しいよ、と楽しむことの天才だと思います」と言うと、「あ、でも私の楽しみ方は、漫画とか映画とかがヒントになっていることも多いわけだから。循環しているんだと思うんです」と返した。

 「漫画を読んでヒントをもらって、楽しいことを見つけて、私もエンターテイメントを作る。それを観た人がまた作ることもあるんですよね。実際、若い時に私の舞台を観てエンターテイメントの世界に入りました、という人に何人も会ったんですよ。次は彼らの作ったものを観て、この世界に入ってくる人がいたら、すごくかっこいいことになりますよね」

 

大人としての立ち方を、ちゃんと見せたい

 

 〈社会の中で何かを残す〉という小泉の言葉を、大きな意味で捉え過ぎていたことに気づく。

 「そうそう、大きなことを言っているわけではないんです。最近はよく“扉”っていう言葉を使うんですけど、私の話に出てきた映画を週末観ようかなみたいな、次のアクションに向かう扉を開けることをいっぱいしたくて。SNSで、自分が思っていることを発言するのもその一環なんです。政治についてのことだったりすると、いろいろ言われることも多いんですけど、『悪いことはしていないんだから、謝っちゃいけない』と思っていて。政治のことがよくわからない若いファンの人たちは『キョンキョンなにをしちゃったの?』って思うかもしれないですが、それをきっかけに知ろうとしてくれたら、彼らに新しい扉が開くのかなと思う。何かするというより、大人としての立ち方をちゃんと見せたいんです。それができる大人はたくさんいたほうがいいと思うから、私はその1人でいよう、と。それは誰にでもできることだから」

 そう言った後にすぐ「逆に、大人なのにこんな馬鹿みたいなこともします、みたいなことも含めて見せたいよね」と笑った。
 では彼らよりも上の、40歳を前にした人に、迷っているという漠然とした不安を相談されたら?

「うーん……『漠然とした不安』で終わっちゃう人が多いんでしょうね。具体的に考えていくことに慣れていないというか。でもちゃんと整理してみると、全然違う根っこの問題に辿り着けたりするんですよ。いろんな解決方法があると思っていて……私の場合は、40歳を前に誘いを断らないと決めて、毎日飲み歩いて体を傷めつけて、最後に鼻血を出した。その鼻血と共に、答えが出たわけですよね(笑)。逆に、本当に誰とも会わずに1人でいてみる、とかでもいいと思う。とことん何かをやってみることが必要なんですよね。40歳ってもう大人だからね……本当の悩みだったらいいけど、どうでもいいことを相談しちゃ駄目だよ? って思う。漠然としたことを相談したいなら、せめてオチぐらいつけて面白い話にしてくれないと! 40歳は、それぐらい厳しくいかなきゃいけない年齢だよ、と言うと思います(笑)」

 厳しくも愛のある痛快な答えだ。
 自身のこの先については、どんなふうに考えているのだろう。

 「とりあえずあと4年、60歳までは今の会社で物づくりをして、仲間も増やして、任せられるところまで行けたらと思っています。その後は、グレながら、楽しい毎日を過ごしたいんですよね。今度は新しい“老人像”をどう作るかっていう仕事が待っている気がするんです。最近、周りもみんな朝早く起きちゃうって言っているので、ディナーショーじゃなくてモーニングショーをやったら面白いんじゃないかなとかね。そういうことをプロデュースしていきたい。私自身も『老人だけどイケてる』って思いたいし、みんなにも自分のことをそう思っていてほしい。住環境とかライフスタイルに関してはそれぞれの業界にお任せして、どう楽しむかの部分に関しては私たちエンターテイメント界がやらなきゃいけないと思っています」

 

(了)

 

小泉今日子 KYOKO KOIZUMI

 

1966年神奈川県生まれ。1982年「私の16歳」でデビュー。以降歌手として多くのヒット曲を発表すると共に、俳優としてまた文筆家としても才能を発揮。2015年、制作事務所「株式会社明後日」を立ち上げた。今年9-10月には舞台『阿修羅のごとく』で主演予定。

 

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